Science

2009.08.24

エアカーはどこへ?- Part 2

Text by kanai

Make外部編集者でもあるBill Gurstelleは、最新著書『Absinthe & Flamethrowers: Projects and Ruminations on the Art of Living Dangerously(アブサンと火炎放射器;危険に暮らすための術に関する企画と黙考)』を発表した。Billの危険なクエストの様子はtwitter.com/wmgurstで見ることができる。彼はMake: Onlineの8月のゲスト筆者だ。


前回の記事では、エアカーのコンセプトと、広く普及する可能性のあるエアカーの製造がいかに難しいかについて解説したが、研究者たちは、今も諦めずに挑戦を続けている。
ハリウッドの舞台デザイナーから技術者に転向したNorman Bel Geddesは、最初のエアカーのコンセプトを考え出した。彼の作品は、1940年型シボレーのクーペのようで、脇には翼があり、タイヤはなく、その代わりに後部にプロペラがある。
bel geddes airplane.jpg
Bel Geddesはこれで空を飛ぶことはなかった。
しかしその後、数多くのエアカーが飛行に成功している。最初にして、おそらくもっとも成功したエアカーは、ConvAIRCARだったであろう。
convaircar.jpg
計画の上では、ConvAIRCARは飛行機と自動車を合体させた乗り物と想定されていた。数千、数万の通勤者の足に革命をもたらすはずだった。
1947年11月、ConvAIRCARのプロトタイプはサンディエゴ上空を1時間半ほど跳び回った。最初のうちは、開発者たちは本当に使える便利な乗り物を完成させたと思われた。現実的な未来を示したように見えた。しかし実際には、この空飛ぶセダンは、単なる空飛ぶ自動車に過ぎなかった。一回だけのテスト飛行で、実用性の証明まではできなかったのだ。
このテスト飛行の数日後、ConvAIRCARのテストパイロットは未舗装道路に不時着した。ガス欠だ。唯一のプロトタイプは修復不可能なまでに破壊されてしまった。それこで ConvAIRCARは姿を消した。
次回はエアカーの悲劇です。
こちらもどうぞ:
エアカーはどこへ?- Part 1
– Bill Gurstelle
原文