Science

2015.11.27

顕微鏡修理の禅と技:壊れた走査型電子顕微鏡を修理する男の物語

Text by Jon Christian
Translated by kanai

Dust, as seen through Sanfilippo's microscope
Sanfilippoの顕微鏡で見た埃(顕微鏡写真提供:Tom Sanfilippo。その他の写真はJon Christian)

それはArtisan’s Asylumのコンクリートの床の上に散乱していた。さまざまなベージュのキャビネットには、電子部品や冷却装置、真空画像チャンバー、そして伝染病のパニック映画を思わせる、無数のノブやスイッチやインジケーターのライトが並んでいる。この電子走査顕微鏡は、長年放置されていたものだ。壊れたままの状態で放っておかれていたものだから、どこが故障しているのか誰も知らない。

Tom Sanfilippoは、これを自分で直そうと考えた。

Sanfilippoは数年前までマイクロソフトでソフトウェアエンジニアをしていたのだが、ハーバード・エクステンションスクールで、ナノファブリケーションとナノ解析に関する授業を持つようになった。そして彼は、電子走査顕微鏡が、粒子ビームを使って昆虫や埃や微生物やその他の微少なものを何千何万倍に拡大して、美しいモノクロームの画像を作り出すのか、その方法を知りたくなったのだ。それは「電子顕微鏡の禅です」と彼は言う。やがてSanfilippoはハーバード大学のセンター・オブ・ナノスケール・システムズに外部ユーザーとして加わることとなり、その画像装置を使えるようになった。

ハーバードでSanfilippoは、当時センターの画像装置の管理や指導を行っていたNicholas Antoniouと出会った。AntoniouはSanfilippoの装置へのただならぬ興味を知り、去年、こんな提案をもちかけた。もしSanfilippoが運送料を負担するなら、ハーバードではもう不要になった旧式の壊れたLEO 982をゆずるというものだ。「誰でもいいから引き取ってもらいたかったんでしょう」とSanfilippoは話していた。

よくある話とは言えないが、聞かないこともない。大学や病院では、大きな機材を廃棄しなければならないときがあり、捨てるよりはそれを欲しがっているホビイストに譲るほうが理に適っている。カリフォルニア州オークランドのハッカースペース、Sudo Roomも電子走査顕微鏡を譲り受けたが、何に使っていいかわからずにいる。

そこからサンフランシスコ湾を渡った側のNoisebridgeでは、International Scientific InstrumentsからTV Mini-SEMをゆずり受けたが、結局廃棄してしまった。電子走査顕微鏡は大きく、扱いにくく、直して使うには相当の労力がいる。

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電子顕微鏡というものは、今でも大変に貴重なもので、研究所などでも特別扱いされるのだが、Sanfilippoの顕微鏡は大変に古く、DOSで制御され、3.5インチの1.44MBフロッピーディスクを搭載している。新品だったころは50万ドルはしただろう。中古でも稼働品は1万ドル以上する。しかも、どこが悪いのか誰にもわからないとう、非現実的な状況だった。なのでSanfilippo自身も、いくつかの部品を交換すれば直るのか、それともメインのシステムが全体的にダメになってしまっているのか判別できなかった。家に持ち帰り、分解して、自分の手を使って探るしかない。さらに悪いことに、そのデリケートで複雑に入り組んだコンポーネントをうっかり傷つけてしまえば、このエレガントなマシンは永遠にゴミとなってしまう。

電子顕微鏡は、その筐体だけでもたいそうなものだ。「リビングルームに置いておけるようなものじゃありませんよ」とAntoniouは言う。LEO 982は3キロワットの電力を消費する。220ボルトの電源が必要だ。また、圧搾空気を送るもの、水、窒素が必要になる。彼はそれらの入手先をArtisan’s Asylumで探した。それは彼が理事を務めてるマサチューセッツ州ソマービルのメイカースペースだ。そして、必要なものがほとんど手に入るとわかった。あと必要なものは、その作業に手を染めるか否かの決断だけだった。

結局、彼はそれをやることにした。決め手になったのは、その提示が特別なことだと感じたことだ。

「こんな申し出は、もう一生ないだろうと思ったんです。だからイエスと言いました」と彼は言う。

分解とトラブルシューティング

まずSanfilippoは、電子顕微鏡のキャビネットから、もつれ合ったシリアル、パラレル、SCSI、同軸ケーブルを取り外すことから始めた。電子顕微鏡はクリーンルームに置かれていた。なので、その作業を行うときは、彼もかさばるクリーンスーツを着なければならなかった。それはまさに複雑怪奇だった。コンピューター端子、真空チャンバー、電源装置の間を、電気系統のケーブルや水のパイプが何十本も通っている。ユニット間には、蛇腹ホースが4本つながっている。ひとつでも差し間違えれば、システムが動かないどころか、完全に壊してしまう恐れがある。

Sanfilippoによれば、トータルで3日間、クリーンルームで作業をしたという。外す前に、すべてのケーブルの写真を撮り、タグを付けた。それから、ハーバードの運送サービスを頼み、Artisan’s Asylumまでそれを運ばせた。2マイルにも満たない、思いがけない旅だ。

ソマービルに戻った彼は、山のようなシステムとサービスマニュアルを調べ始めた。マニュアルは、LEOの持ち主であったCarl Zeiss AGがドイツ語で書いたものだった。

「ここに至って、問題を発見しました」と彼は言う。「分解したときに私自身が問題を作っていたのです」

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最初に見つけたのは、真空チャンバーの穴だっが。その中では、完全な真空に近い状態にしなければ電子銃が動作しない。ハーバードにあったころ、そこにはエネルギー分散X線分光器が取り付けられていて、拡大チャンバーの中のサンプルの元素分析を行っていたのだが、Sanfilippoの手に渡る前に、誰かが取り外していったのだ。そのため、真空チャンバーにはペプシ缶ほどの穴が開いてしまった。「かわいそうに、ごっそり抜かれていました」と彼は語る。

彼は、穴をふさぐための板を作ることにした。正確に寸法を測り、Artisan’s AsylumのCNCマシンで削りだし、ゴムのシール剤で取り付けた。きっちりはまったように見えた。しかし、テストしてみると、ポンプを修理しなければならないことがわかった。

電子銃を作動させるには、超高真空状態にしなければならない。そのため、LEO 982には3台のポンプがある。1台目で空気を抜いて通常の真空状態を作る。そして、ターボ分子ポンプでローターを使って残りの分子を捕まえ、最後にチタンサブリメーションポンプでチャンバーの内側にクリーンなチタンでコーティングして、残りの気体分子を吸着させる。

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Sanfilippoは、USB-シリアル変換器を使って、ターボ分子ポンプの検査を行った。結果は悲しむべきものだった。作り直そうかとも考えたが、価格的に見合う再生品を使うことにした。

彼は、空気ポンプを分解掃除したが、フィルターがなかった。そのため、ラインからオイルが漏れてターボ分子ポンプに入ってしまうことがわかった。これは致命的なダメージを与えてしまう。彼は汚れたホースを交換し、新しいフィルターを組み付け、ポンプのスイッチを入れた。

だが、空気ポンプとターボ分子ポンプのスイッチを入れてもチャンバーは真空にならなかった。彼が穴をふさぐために取り付けた板から空気が漏れていたのだ。「溝の深さを推測したのですが、どうも深すぎたようです」と彼は振り返る。

彼は選択を迫られた。CNCマシンに戻って板を作り直すか、溝の深さを調整して空気漏れを防ぐか。または、Vacseal(空気漏れを防ぐ液)を買ってきて板の周りに塗るという手もある。選んだのは2つ目の選択肢だった。接着剤の層を厚くしてやったところ、チャンバーは真空になった。

Sanfilippoは次に冷却装置にとりかかった。それは、水を循環させて、高圧電源装置と電磁石を20度Cから22度Cの適正な温度に保つためのものだ。しかし、そのホースが有機物で詰まっていた。「藻が詰まってたんです」と彼は言う。ホースと冷却装置に圧搾空気を通して洗浄し、水道に接続した。

だがSanfilippoは、ここの設備では限界があると思っていた。Artisan’s Asylumには3700平方メートルのスペースがあるが、Project Hexapodなどのロボットや、Autonomous Combat Robots Design Challenge、バイクギャングのSCUL、自転車のフレームビルダー、Paul Carsonなどが場所を占めている。さまざまな工作機械や溶接機、uPrint SE Plus、Lasersaur 100Wレーザーカッターもある。しかし、Sanfilippoが電子顕微鏡を置いた場所には、水道がなかった。そこで彼は、近くの水道の排水口に詰まっていたレジンを取り除いた(「シンクを直したヒーローになりましたよ」と彼)。そして、そのシンクと電子顕微鏡の冷却装置との間に2本のホースを通した。

この時点で、冷却装置とコンピューターにはスイッチが入る予定だった。しかしどこかに問題があった。Sanfilippoは何度も何度もコンポーネントの間のケーブルを調べ、サービスマニュアルを開き、Asylumにいる電子関係の専門家に話を聞いた。そして、イオンサブリメーションポンプの高圧電源とメインのコンソールとの配線を逆にしていたことがわかった。それが、ハンダ付けしたフューズを何本か飛ばしていたのだ。彼は、Artisan’s Asylum1に転がっているフューズを探して歩いた。友人に手伝ってもらってフューズを交換し、ようやくコンピューターのスイッチが入った。

冷却装置も作動し、Sanfilippoはイオンサブリメーションポンプを作動させることに成功した。スイッチを入れると、真空チャンバー内は超高度真空状態になった。

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コンピューターも作動した。ちょっとしたつまずきはあったものの、MS-DOS 5.22(「ハッカースペースでDOSが立ち上がるのは美しいことです」とSanfilippo)がブートされた。数時間、電子銃を安定させ、アパーチャーをセットし、磁気フィールドの補正を行った。ここまで来てようやく安心できた。すると、すぐに画像が浮かび上がった。

「何が映っているのかわかりませんでした。画像が現れるなんて、思ってもみなかったのです」と彼は語る。

いちばん驚いたのは、センター・フォー・ナノスケール・システムズの顕微鏡の元管理人だろう。

「専門家の助けが必要だろうと思っていたので、何度かコンタクトをとってみました」と語るのはAntoniou。「私はこの装置に関して何十年もの経験があります。少なくともサービスエンジニアとして手からになれると考えていました」

Zeissの担当者で2004年にLEOを購入したHarald Hassも、同様の不安を感じていた。「この人にとっては大変なチャレンジであって、経験豊かなエンジニアの助けがなければ成し得ないことだと思っていました」と彼は語っていた。

壊しちゃった……

Sanfilippoの修理作業はこれで終わってしまっていたかもしれない(「あれが作動して、成功の喜びに浸っていました」と彼)。もし、甥の高校の卒業式に出席するために街を離れさえしなければ。冷却装置をどのように水道とつないだか、憶えておいでだろうか。彼は週末の間、留守にしていた。その間に誰かがホースを外してして、そのままにしてしまったのだ。そのため、電子顕微鏡は冷却装置の水なしに動き続けることとなった。Sanfilippoは、せいぜい22度に達したところで自動的に停止する程度だろうと考えていたのだが、実際は電子回路がオーバーヒートする前に、キャビネットの中でホースが破裂してしまった。

スイッチを入れたとき、なんと恐ろしいことに、水が電気装置に吹き付けられ、床に水たまりができた。

彼はスイッチを切った。キャビネットを分解し、それぞれの部品をヘアードライヤーで乾かした。その結果、長期間シンクから水を取るのは得策ではないと気づき、専用の水道管を引くことを考えた。電子系統にはとくに大きなダメージはなかったが、この事件によって電子銃の先端が曲がってしまい、鮮明な画像が得られなくなってしまった。Sanfilippoは法外に高い再生品の電子銃を見つけたが、交換方法を記した説明書がなかった。彼は、ひとつひとつ場当たり的な手順で、注意深く画像チャンバーを分解し、なんとか取り付けに成功した。

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この先どうなるか

いつもの一日、修復された顕微鏡の上は、いくつもの工具や書類や箱やさまざまな電子部品で埋め尽くされていた。もう直ったはずなのに、何が起きたのだろう。「次のステップですよ。それ以外に何があります?」と Artisan’s Asylumの社長、Derek Seaburyは言った。「壊れた部品の構造解析や、コンピューター上のモデルと一致しているか、3Dプリンターのフィラメントなんかを調べたりできます。素晴らしいツールになりますよ」

Sanfilippoは、少なくともひとつのクラスを開いて顕微鏡について教える予定でいる。この使い方を教えることで、Artisan’s Asylumの他のメンバーも自分のプロジェクトに使えるようにしたい。また彼は、近所にあるエアロノート・ブリュワリーと話をして、そのビール醸造のために顕微鏡を役立てることを考えている。これを売却して、Asylumの予算の足しにすることもSanfilippoは考えている。この程度の電子顕微鏡がいくらで売れるかは、なかなか想像しにくいが、同等のもので10万ドルはしている。

Sanfilippoにとって、この成果は顕微鏡が完成したことではない。大切なのは、すべてのコンポーネントの血の滲むような研究と修理のプロセスだ。普通なら製造メーカーやプロの技術者だけが知っている電子顕微鏡の中身を知ることができた。そこにこそ、このプロジェクトの価値がある。

「(電子顕微鏡の)構造なんて知りませんでした。理論的に知っていただけです。今は、本当に知っていると言えます」と彼は語った。

原文