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2017.10.20

3Dプリンターを使った愛猫の義足作りで人生を取り戻した傷痍軍人

Text by Goli Mohammadi
Translated by kanai

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Makerムーブメントで本当に素晴らしいことのひとつに、誰でも受け入れる間口の広さがある。誰もがMakerになれるし、すべての人が、自分の中のMakerを発見することができる。熟練の退役兵、Karolyn Smithは、自分がMakerだとは考えたこともなかった。体に重傷を負い、心にもPTSDを抱えて戦場から帰国した彼女は、薬漬けにされ、根本的な治療への望みを失っていた。そんななかで彼女は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のOperation Mendの創造的な技術と医師たちに出会い、先進的な手術によって痛みが劇的に低減し、移動も楽になり、希望も取り戻した。最新技術が彼女の人生を救ったのだ。

その後、Karolynは、ちょっとした偶然でSophia(ソフィア)と名付けられた仔猫に出会った。この子も大きな怪我を負い、片足が麻痺した状態でシェルターに保護されていたのだ。彼女はSophiaの中に自分を見た。そして、この子の義足を3Dプリンターで作ることが自分の使命だと心に決めた。メイキングの技術をまったく知らなかった彼女は、地元で活発に活動していたMakerコミュニティ、Fab Lab San Diegoに接触した。彼らは彼女を両手を広げて歓迎し、彼女の内に眠るMaker魂の発掘を手伝ってくれた。私たちは、Karolynに会って、詳しい話を聞いた。

1. 戦闘で負った怪我について教えてください。

バグダッドの北西部を巡視していたときです。街灯の柱の陰に置かれていた爆弾が爆発しました。明らかに、私たちを狙って仕掛けられたものです。仕掛けた人間は、高機動多用途装輪車両の高さと、アメリカ人男性の平均的身長(177センチ)をターゲットにしていました。それが私には命拾いになったのです。その日、砲塔についていたのが167センチの女性兵士だったとは、思ってもみなかったのでしょう。私はこの爆弾を「ラッキーナンバー13」と呼んでいます。

そのIED(簡易爆発物)を通過したとき、時間は午前2時で真っ暗でしたが、爆弾が作動し、巨大な火の玉が私に向かって飛んできました。溶岩の波に飲み込まれたようでした。私は咄嗟に息を飲みました。そして数秒間、意識を失いました。私の負傷は吸引によるものでした。熱風を吸い込んでしまったため鼻腔をやられ、死ぬまで気管支の薬を飲み続けることとなりました(運動誘発性の喘息のようなものです)。また、第四腰椎が粉砕し、第五腰椎がずれて、第五腰椎と仙骨の間がヘルニアになりました。さらに難聴になり、軽度の偏頭痛に13年間悩まされることになりました。これらの負傷は、私たちの車両を直撃した13個の路上の爆弾によるものですが、最大のダメージは、最後のラッキーナンバー13によるものだと考えています。

2004年4月(戦闘がもっとも激しかった時期)に派遣されてから最初の6カ月間、私たちは路上の爆弾、迫撃砲、周到に計画された待ち伏せなどに晒されました。容赦のない攻撃です。憲兵として、私たちはMSR(主要補給路)を守り、バグダッドの一地区全体を巡視する任務を帯びていました。また私たちには、その地区内のにある9つのイラク警察署の警察官に、戦術、技術、手順を教えるという特別な任務もありました。しかも、私たちの前進作戦基地(ファルコン)が。当時、世界でもっとも危険な道路として「地獄のハイウエー」と呼ばれていたルート・アイリッシュの近くにあったので、なおさら危険でした。

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2. 脊椎の治療には、どのような最新技術が用いられたのですか? それによって、新技術に対する見方は変わりましたか?

私が帰国した当時の復員軍人援護局(VA)は最悪でした。薬漬けにされたり、薬をもらえなかったり、メールを出しても返事をくれなかったり、4年半の間、オピオイドの過剰投与を受けました。それが彼らの、私の脊椎損傷に対する治療方法なんです。それによって症状は悪化しました。私はVAによって、気分的にも精神的にも暗くて深い穴に突き落とされたのです。まったく親身になってくれません。そこで、自分自身を取り戻すための最後の手段として、私はFacebookページを始めました。仲の良い獣医は十名ほどいたので、整形外科医を紹介して欲しいと書いたのです。ただの整形外科医ではなく、実際の経験が豊富な人です。私は有り金を叩いて、サンディエゴの小さな家も売って治療費に充てる覚悟でいました。毎日、大量のオピオイドとレベル9の痛みに苦しみ、VAからは新しい治療が望めないとなると、さっさと自殺するしかない。でも、最後にもう一回、戦わずに死ぬなんて私にはできませんでした。

軍隊時代の友人、Michael Schlitzが、UCLAのOperation Mend(訳注:傷痍軍人とその家族のための最先端の医療サービス)のことを教えてくれました。その数週間以内に、私はロサンゼルスの施設に予約を取ることができました。案じたとおり、VAは私の脊椎のカルテをなかなか送ってくれませんでした。2015年、UCLAの整形外科および神経外科学部のNick Shamie教授と、脊椎の専門家トップ10に入る1人の医師が、私の第四脊椎、第五脊椎、仙骨の骨形成タンパク質(BMP)椎体間固定術を施してくれました。私の手術は、損傷を負った脊椎を体の前方から治療するというものでした。手術は9時間かかりました。術中、お腹の中の臓器はすべて私の胸の上に置かれ、最後に元の位置に戻されたのです。これにより、BMP(下の写真)が組み込まれました。これは、私の幹細胞から抽出されたタンパク質で、Shamie先生率いるチームが設定した範囲内で骨を蘇生する特徴を持ちます。

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回復には時間がかかりました。手術のときに内臓や神経を取りだして長い間胸の上に置いてあったので、内臓が機嫌を悪くしたのです。その影響で、数カ月間ベッドで寝たきりになっていました。大きな手術の後はそんなものです。約1カ月は歩行器を使いました。しかし、凄いのはここからです。Shamie先生は、VAが私に何年間も投与し続けてきたオピオイドを断つ減薬訓練をしてくれたのです。それ以来2年間、私はオピオイドに手を出していません。実質上、痛みは去りました。ただし、長時間、前に体を倒していると痛くなります。前屈の範囲は狭くなり、これからも骨の結合が進むので、最大で30パーセント狭くなると言われていますが、靴の紐が解けたときは、通りすがりの人に「爆弾にやられて体を折り曲げることができないので、紐を結んでもらえません?」と頼めばいいだけの話です。もう2回ほど試しました。これは、デートの相手を見つけるには最良の方法です。

手術を受けたことで、私の技術に対する考え方が変わりました。私の声が企業を動かし、退役軍人省のチョイスプログラムに参加させ、政府の援助によって傷痍軍人に高度な製品を提供してもらえるようになればと願っています。または、退役軍人省とは別に、Operation Mendの協賛企業になったり、技術を育て医師たちに届ける透明なネットワークを構築してくれるようになればと思っています。Operation Mendは、瀕死の重傷を負った兵士に新しい人生を与えてくれます。最新の医療技術を持つ最高の医師と出会えるようになれば、退役軍人の自殺率は半分以下に減るでしょう。

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3. Sophiaと出会った日のことを教えてください。そのとき何を感じましたか?

私はサンディエゴ動物愛護協会を訪ねました。すごく緊張していたのですが、みんなとてもよくしてくれて、Sophiaと、彼女の大の仲良しでボーイフレンドのLeonidasを私に引き合わせてくれました。Sophiaを初めて見たとき、私の心は溶けました。後ろ脚を切断されていたこともありますが、なんといっても、その顔は天使そのものだったのです。私はその子を抱き上げました。本当にかわいかった。恐がりも、嫌がりもしないで、気持ちよさそうにしていました。私はSophiaを置いて、Leonidasを抱き上げました。この子もまるでふわふわのテニスボールのようでした。本当にかわいくて、この子は私が初めて飼う男の子になりました。

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Sophiaは私とよく似ています。拾われたのは生後わずか8日のときで、へその緒が後ろ脚に絡みついて、足の先の血流をさえぎっていたのです。母親はいなくなり、母乳がもらえませんでした。生まれて最初の1週間、家も食べる物もない生活を送っていました。サンディエゴ動物愛護協会の仔猫担当の獣医の話では、Sophiaのへその緒はおへそのところで切れかけていたので、立ち上がろうともがいていたようです。かなり痛かっただろうに、あの子は生きるために立ち上がって歩こうとしたのですが、後ろ脚にへその緒が絡まって倒れてしまったのです。

どんなに倒れても、何度でも立ち上がろうと頑張りました。今、椅子に座ってこれを書いている間も、誇らしくて涙が溢れます。なんて強い子なんでしょう。だからあの子に惹かれるんです。決して諦めようとはしなかった。本能だと言う人もいるでしょうが、私は精神の問題だと思っています。素晴らしい精神の持ち主です。私がPTSDで苦しんでいたとき、あの子はわかってくれました。あのいまいましい爆弾のお陰で、私が社会不安を抱いていたことなど誰もわかってくれません。でも、講演が終わって、手の平にいっぱい汗をかいて家に帰ると、あの子は私に駆け寄り、膝の上に飛び乗ってイヌのように転げ回ります。私は大笑いして、手の平の汗のことなど忘れてしまいます。

4. ネコ用の着脱可能な義足を3Dプリンターで作ろうと思ったきっかけは?

私が世界で初めてのことをするなんて、思ってもいませんでした。すでに誰かがやっていると思っていたので、私が最初だと聞いて驚きました。私は、Sophiaがぴょこぴょこと歩くのを見るのが心苦しかったのです。手術の後、歩行器を使って(わずらわしいときはときどき杖を使って)歩いていたときのことを思い出すからです。5年間、Sophiaの腰を見続けてきた私は、あと何年で股関節形成不全症になるのだろうと考えるようになりました。そして、予防しなければ思ったのです。

私の父は、いつも「7つのP」を忘れるなと言っていました。「Previous prior planning prevents piss-poor performance(前もって事前に計画を立てておけば、小便のように惨めな結果になるのを予防できる)」というものです。私はそれに従っています。事前によく考え、タイムラインを分析し、問題を逆から見て、問題を予防する。技術系の大学を出ていると思うかもしれませんが、私は軍隊にいたときを含めて16年間、リスク緩和を専門にやってきました。私が持っている学位は、国土安全保障緊急事態管理学です。技術系の教育は受けたことがなく、まったくの素人です。それだけに、とても楽しんでいます。

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5. 誰かに作ってもらうのではなく、自分で作ることにどんな意味を感じていますか?

自分で失敗したり成功したりが好きなんです。自己中心的に聞こえるでしょ? 私は目標を高く掲げて、自分に大きな仕事を課すタイプの人間なんです。それは、人に自慢するためでも、世界一だと新聞に書かれたいためでもなく、自分はこれだけやれるんだと実感したいからです。失敗したときは、意地悪な批評家になって、失敗の原因を徹底的に探ります。そして、さらに努力します。

人と協力し合うのが嫌だという意味ではありません。人の力を借りたことがないので、人に頼むのを忘れてしまうのです。若いころは運動選手でしたが、チームスポーツでは、どうして他のメンバーは私と同じぐらい頑張らないのかと不満を感じていました。子どものくせに真剣過ぎたのかもしれません。その後、競輪と出会いました。それは自分にとってパーフェクトなスポーツでした。コーチについて教えを請い、学びました。それから独り立ちして、約10年間、自分だけで生き甲斐を感じていました。自分で失敗したり成功したりが大好きなんです。誰かに褒められたり、慰められたりする必要は感じませんでした。

軍隊に入り、チームメイトと組まなければならなくなったとき、幸運にも私は、自分が頑張り屋であることに気づきました。軍隊のすべてのテストに全力で当たり、クラスの上位2パーセントの成績で卒業しました。その後、第127憲兵中隊、第709憲兵大隊、第18憲兵旅団、ドイツ第5部隊に配属されて、旅団の頑張り屋さんたちと過ごしてきました。そこは私にはピッタリの場所でした。今でも、一緒に派遣されていた200人以上の仲間たちと会って話をしています。毎日会ってる人もいます。

技術的な知識がないため、プロトタイプの製作には苦労しました。デザインに必要なスキル一式を一生懸命に勉強しました。今は、頭の中にある最後の構想を実現させるために、企業と協力する方法を学びたいと思っています。今度、Maker Faire San Diegoで講演をする栄誉が与えられたので、「次なる段階」について話をするいい機会になると期待しています。私は、自分が知らないということを認めるのが大嫌いです。しかし、このアイデアを実現させるには、私以外の専門家の力が必要だと認めなければならない時期に来ています。

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6. Fab Lab San Diegoのメンバーとはどのようにつながったのですか? 彼らはどのように受け入れてくれましたか?

Fab Lab San DiegoのMakerたちは、私のSophiaのFacebookページを見て連絡をくれました。私はあれこれ調べたのですが、着脱可能な義足を作った人は見つかりませんでした。外科的に移植する方法しかなかったのです。移植には感染症の恐れがありますし、Sophiaは体が小さいので、それは望ましくないと考えました。そして私は GoFundMeページで1,500ドルを集めました。義足の開発を助けてくれる人は現れたかと Fab Labから質問が届いたのはそのときです。彼らは力になりたいと言ってくれました。そこからすべてが始まったのです。

Fab Lab San Diegoに入ると、私は温かく迎え入れられ、よく面倒を見てもらいました。自分はイノベーターなのだと感じさせようとしてくれましたが、なかなかそうは思えませんでした。自分のアイデアがイノベーティブだとは、その日のうちに信じることはできませんでした。私はただ、Sohpiaの問題をなんとかしたかっただけです。すると、一人のMakerが私のところへ来て言いました。「最近珍しい、最高にイノベーティブなアイデアだよ。驚いた。あんたはすごいイノベーターだよ!」と。そのとき、私の目に涙が溢れてきました。私は気がついたのです。私は何かを創造した。私はMakerなのだと。それまでこの世に存在していなかったものを考え出した。それは、人生で最高にパワフルな瞬間でした。アインシュタインが相対性理論を思いついたときも、きっと同じ感覚だったに違いありません。

アインシュタインと言ったのは、サンディエゴのバルボアパークにあるスプレッケルス・オルガン・パビリオンで、1930年にアインシュタインが講演を行ったときの有名な写真があるからです。私はサンディエゴ生まれなので、その写真にはいつも勇気をもらっていました。私がFab Labで感じたあの瞬間と同じ気持ちを、彼も味わったのだろうと思います。

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7. 義足を作ったときの研究開発のプロセスを教えてください。

研究開発のプロセスは現在進行中です。Sophiaの体の大きさ、ネコの座り方、義足の違和感に慣れさせるための毎日の練習などを考えると、非常に難しいプロジェクトになっています。それだけでもエベレストに登るほどの大仕事なのですが、もうその長い上り坂を歩き始めています。イヌはあまり気にしないため、義足にもすぐに慣れてくれますが、ネコってすごく神経質なんです。

最初のステップは、私たちが使っているプラットフォーム、Autodesk Fusion 360でSophiaの体をスキャンすることでした。私が椅子に座り、膝の上でSophiaを仰向けに寝かせます。すると、後ろ脚が自然に伸びるので、痛いことをせずに、いちばん自然な形で実際の脚の長さを測ることができます。Sophiaは仰向けに寝るのが大好きなんです。私とSophiaが3Dの画像になったときは感動しました。まるで映画のワンシーンに登場したような気分です。スキャンを進めてゆくと、いろいろな情報が積み重なってゆきました。そこから、みんなのアイデアのスケッチを持ち寄って、デザインを開始しました。そのスケッチのひとつは『Sophia the Bionic Cat』という子ども向けの絵本の表紙に使われています。開発はまだ続いています。

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8. 製作でもっとも難しかったのはどこですか? それをどのように乗り越えましたか?

難しかったのは、Sophiaがとても小さいということでした。もう大人なのですが、あの子の生まれた経緯からすると、未熟児だったと思われます。脚にへその緒が絡まっていたので、血流が止まっていました。しかも母親に見捨てられ、生まれてから8日間は母乳をもらっていませんでした。それでもあの子は、生きようと決めたのです。なので、大人なのですが、体がとても弱いのです。義足が外れないように適切に装着できるハーネスの組み合わせと、体に負担をかけない軽量な素材の組み合わせを探すのは、大変な作業です。それを解決する方法は、さらに新しい技術を取り入れることです。それが何かを知りたければ、また見に来てください。

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9. Fleet Science Centerとは、どのようにつながったのですか?

Fleet Science Center(フリート科学センター)との関係は、私がメールを出して、展示プロジェクト責任者のAshanti Davisとつながったときからです。私は、絵本の宣伝のために、文字通りの営業メールを出したのです。私がFab Labで教わったのは、私には物語があるということ。軍隊の派遣生活で教わったのは、最悪でも「ノー」と言われるだけで、爆弾で吹き飛ばされることはない。だから、大きく考えることができるということでした。このサンディエゴで、STEMまたはSTEAM教育に関していちばん大きく考えることができるのは、フリート科学センター以外にはありません。そこは、私の話を直接聞いてくれると感じました。Ashantiは興奮して私に返信を書いてくれました。私たちは会う約束をして、彼女に私の話をしたのです。彼女は本当に目に涙を浮かべて聞いてくれました。それ以来、私たちは大の仲良しです。

10.「3 Paws Up」について教えてください。何を目標としていますか?

3 Paws Up」は、人生のモットーです。私たちはひと揃いのトランプを持って生まれてきますが、最初に配られるカードは必ずしも良い手札とは限りません(障害を持っていたり、貧しかったり、虐待されたり、親が離婚したり、ガンを患ったり)。良いカードをもらう人もいれば、そうじゃない人もいるけど、どれも自分の手札なんです。誰にでも人生の物語があります。生まれたときに悪いカードを引くこともあれば、幼児期に引くこともある。十代で引く人もいれば、人生の後半で引く人もいる。最終的には、みんなが苦難の人生の物語を持つようになりますが、それでもいい手札を引くチャンスは残っています。そうした機会に対してオープンになって、決してあきらめないことです。

自動車のバックミラーがあんなに小さくて、フロントガラスがあんなに大きいのはなぜか知っていますか? 私はわかります。でもその前に、多くの人が勘違いしていることについて、そして全国を回って講演していることをお話ししましょう。人は人生で悪いカードを引いたとき(苦難に出会ったとき)、バックミラーばかりを見つめるようになるので、何度も繰り返し車をぶつけてしまいます。バックミラーが小さいのには理由があります。過去の過ちや、過去の成功をちょっとだけ振り返るためにあるのです。フロントガラスが大きいのは、すべての素晴らしいことが前から来るからです。

3 Paws Up(3本の足を挙げて)では、人生は一度きりで後戻りややり直しはできないということを思い出して欲しいのです。バックミラーを見るのを止めて、悪い手札にこだわるのも止めて、前を見るべきです。なぜなら、前方にある自分の可能性を見つめることで、まだ手にしていない良いカードを受け止める準備ができるからです。失敗を恐れて発表できずにいるアイデアを持っていたなら、馬鹿にされるのを恐れて新しいコンセプトを発表できずにいたらなら、今すぐ発表しましょう。Sophiaも、そこに留まっていたら、簡単に諦めていたでしょう。あの子はさまざまな困難を抱えています。私もあの子を、脚のないネコとして受け入れていたほうが楽だったかも知れません。しかし、人生というゲームの終わりに手札を見たとき、「まんざら悪くもなかったな」と思えるはずです。3 Paws Upでは、世界にインパクトを与えられる自分の可能性は未知数なのだから、できるだけよいゲームをプレイしようと訴えているのです。#LeaveALegacyをお忘れなく。

11. Sophiaの様子はどうですか?

Sophiaはとっても元気です。よく遊んで、ハッピーで、笑わせてくれます。私はSophiaをセラピーキャットにしたいと考えていました。しかし、アニマルプラネットのJackson Galaxyが、「天国から来たネコ」というタイトルの特集番組でうちに取材に来たときに、SophiaのボーイフレンドのLeonidasは社交的な性格なのでセラピーキャットに向いているた、Sophiaは静かでシャイだと教えてくれました。それから私はSophiaの性格を気にするようになり、あの子にとっていちばん幸せな道を考えることにしました。今では、Sophiaはイベントのゲストとして活躍しています。あの子もそれに満足しているようです。

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12. こうした知識を自分で集めたことで、いちばん良かったことはなんでしたか?

私には子どもがいません。子どもが産める時期は、怪我の回復に費やされてしまいました。なので、今やっていることが、まるで子どもの成長を見守っているようなものだと考えています。つわりがない代わりに、いろいろ考えて、夜遅くまで、または朝早くから仕事して、「どうやってお金を稼ごうか」と心配して、「どうやったらうまくいくか」と頭を使う。子どもは今、幼稚園ぐらいの感じです。

13. これまでの経験で学んだ最大の教訓はなんですか?

私はイノベーターだということです。そして、常に自分に言い聞かせているのは、女学生のように笑えということです。イノベーターと聞くと、Karolyn Smithではなく、イーロン・マスクみたいな大物を思い浮かべるでしょう。今回の経験から学んだのは、研究開発の様子を公開するときは、十分に気をつけろということです。必死に頑張って作った結果を、私よりずっとお金持ちの人に真似されてしまったら、瞬く間にそちらに持って行かれてしまいます。ここは冷酷な共食いの世界です。ゲームの名前は特許権保護。常に自分を防衛せよということです。

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14. 今後、やってみたいプロジェクトのアイデアはありますか?

あります。私はサンディエゴで開かれるイベントで講演を行う契約をBiocomと交わしました。Biocomは、サンディエゴの生命科学系企業、800社を取りまとめる団体です。私の話を聞いてもらえれば、高度な技術が私自身のためだけでなく、世界を変えるために企業が力を与えてくれるかも知れません。Operation Mendのようなパートナーシップを考えてくれる企業も現れるかも知れません。どれだけの企業が、PTSDの治療に役立つアプリを持っていることでしょう。それが、まったく別の用途に使われていることもあります。または、傷痍軍人の車椅子に応用すれば、彼らの人生を大きく改善できる3Dや4Dの技術を持つ企業もあるでしょう。私がイラクから生きて帰ってこられた理由は、まったくわかりません。わかっているのは、私の体に埋め込まれた最新技術が、私の命を救い、私の人生を変えて、私の人生を推進し、人生を楽しめるようにしてくれたということだけです。

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