Crafts

2008.10.03

"世界大恐慌" – ルネッサンス – 自分の居場所

Text by kanai

Nm-741337
WendyとMikeyまたはそのいずれかがアップしてくれた素晴らしい記事だ(英語)。次のルネッサンスはどうなるのか? という話。ボクも賛同するな。おかげですごい金曜日になった……

2000年、仕事をやめてお金と決別し、溶接、裁縫、建設、食料生産などの”腕”ひとつで生きていこうと人生の方向転換を実行したとき、私は多くの友人から、気が違ってしまったと思われたようだ。私はなにも、世捨て人になったわけではない。私を突き動かしたのは、大きな破壊のあとに、よりよい世界が訪れるという考えだった。そんなこんなで今までやってきた結果、何人かの友人は、私はマトモだったと信じるようになってくれた。石油の枯渇と通貨システムの破綻が目前になると、世の中の変化が速度を増してきた。石油によって私たちは、自然環境から自らを隔離し、その上に人工の環境、つまり自然環境の貧弱な模造品を建設できるようになった。しかし、私たちの出発点となった自然界は、生命を永続させるものであり、そもそもそれが生命であり、管理を必要とせず、自然に与えられるものだった。私たちはそれを依存型の機械に置き換えてしまった。燃料が切れたなら、それはたちまち停止して、私たちは振り出しに戻される。そこでは私たちの仕事はただひとつ、地球上で生きていくということだけだ。通貨システムは拝金主義者に富への道を拓いた。富は、親切心や創造性や愛などで計られるものではない。そこで死にゆくものをよく見れば、それらはそもそも生きてなどいなかったものだとわかる。私たちの生活がいかに無機的なものであったかが、次第に明らかになってきた。しかし私たちは生きているということを、忘れてならない。生命はいつの世にも存在してきた。だから、死にゆくものに未練はない。
そこで私は数年前に決意した。私はニューヨーク市を離れ、ニューメキシコ州の小さな砂漠の街、Truth or Consequences(T or C)にやってきた。そこは国の経済にほとんど依存しない場所だ。ここでは、溶接、裁縫、木工、缶詰製造法、栽培法などの技能が活躍している。地域経済が活発で、ドルよりも物々交換に重きが置かれている。ドルの量で人が判断されることもない。ある開発業者がここを訪れて、私たちを「救済する」大きな計画があると持ちかけてきたとき、私は、その人には貧困の定義の変化を決して理解できないだろうと思った。アメリカ全土の住宅の4軒に1軒が空き家と言われている現在でも、T or Cに空き家はほとんどない。トレーラーハウスやキャンピングカーに住む人々を見た彼は、「気の毒だ」と感じたようだ。私は、本人の目的に適ったバランスの取れた生活だと思っている。これが富なのだ! ここは、1920年代と30年代の大恐慌が避けて通った街だ。そのとき、ここの住民は自分で作物を育て、それができない人たちのためにスーパーマーケットに貯えた。そのスーパーマーケットは今でも健在だ。
T or Cでは、自分で仕事を持ち込むか、新たに作り出さなければならない。言うなれば、バーニングマンの参加者にはぴったりのところだ。砂漠のユートピア実験場のようなT or Cは、その先駆けだった。ここでは、自分が何を作ってきたか、自分にどんな技能があるかが重要となる。家は5万ドルほどで購入でき、税金の平均額は年間200ドル程度だ。そこに何があるのか? 自分で持ち込んだものがある。バーニングマンと同様に、ここでは自分が何屋であるかを宣言して、もっとも得意とする技能を提供することが大切なのだ。ここは、私の「Makerは革命家である」という信念に光を当ててくれるところだ。
私たちは、いずれは落ち着くところに落ち着く。みんなが”世界大恐慌”と呼ばれるものに引きずり込まれようとしている今、この崩壊はルネッサンスの別の姿であると考えてみてはどうだろう。もしまだ、過去の社会にしがみついていたいならば、つまり、金、消費主義、拝金主義を捨てきれずにいるならば、それらにどれほどの命が含まれているかを考えてみるといい。大昔の神話はこう教えている。私たちはパラダイスから、楽園から落ちてきたのだと。宗教の教えは、人間が物質崇拝へと転落したと説いている。こうした考え方は、なにも宗教の専売特許ではない。私たちは、自然から授かった世界の上に世界を築き上げ、自然と決別できたことを喜び、それを称えるための神を自ら作り上げのだ。この崩壊から学ぶべきことは何だろう? それはパラダイスと人間性の再発見だ。そして行き着くところ、富は、それを所有することにもっとも長けた者、つまり、私たちに自らの能力を通じて生きることを教えてくれる現実世界に生きることを知る者の手に収まることになる。そこでは、個人の繁栄が全体の繁栄となる。

訳者から:Truth or Consequencesは、ニューメキシコ州にある小さな街の名前。古くはその名もズバリHot Springsという名前の温泉の街だったのだが、今ではこういうことになってるわけね。
原文