Florence Nightingale: The Passionate Statistician(英語)… ナイチンゲールは、軍病院の衛生状態改善をビクトリア女王に訴えるために、数多くの統計資料を視覚化していた。それぞれの扇形は、クリミア戦争中に、1カ月に怪我、疾病、その他の理由で死んだ兵士の数を表している。-
クリミア戦争の最中にトルコのブリティッシュホスピタルに赴任したナイチンゲールは、そこで悪夢のような悲惨な混乱状態を目にした。長い廊下には男たちがどこまでもひしめくように横たわっている。病院の床下に設置された汚水溜めから臭気が漂う。食料はほとんどなく、基本的な生活必需品はさらに欠乏している。だが、1856年7月、戦争が終わりナイチンゲールがトルコを去るときには、病院は改善され効率化され、死亡率もイギリスの一般病院と同等になり、ナイチンゲールはビクトリア時代の女性の鑑として尊敬を集めることとなった。しかし、さらに多くの命を救ったのは、彼女が晩年に行った、あまり知られていない行いだった。彼女は、二度とあのような惨事が繰り返されることのないよう、イギリス軍の医療システムに対して根本な改革を行ったのだ。その社会的改革のために、彼女は実に革新的な方法を編み出していた。応用統計学だ。
– Phillip Torrone
訳者から:下は、この記事の最初の部分の要約。
クリミア戦争から戻ったナイチンゲールは英雄として称賛されたが、本人は多くの兵士の命を、病院内の疾病によって失ったことを、ひどく後悔していたそうだ。そこでビクトリア女王に軍病院の改善を直訴するために、830ページにおよぶ報告書を提出した。しかし、それでも足りないと感じた彼女は、当時最新の理論であった医療統計学の提唱者、ウィリアム・ファーに相談を持ちかけたところ、「大切なのは印象ではなく事実だ」と教えられた。そして彼女は精力的に数値化されたデータを集め統計を出していったのだが、そのおかげでいろいろな事実が判明し、愕然としたという。たとえば、若い兵士は平時にイギリス本土で暮らしていても、死亡率が一般時の2倍も高いなど、軍病院の環境に起因する問題が浮き彫りにされていったそうだ。
そうしてまとめ上げた統計だが、はたしてこの数字の羅列をビクトリア女王は理解できるだろうかと案じて、統計を図に現すことを考えた。それまでにも統計の内容を図で現すことはあったが、数えるほどしかなかった。彼女は統計学の師であるファーに、統計資料があまりに無味乾燥であると訴えたところ、ファーは、統計とは究極的に無味乾燥なものであるべきなのだと答えた。しかしナイチンゲールは納得せず、師の反対を押し切って図を使うことにした。
なかでも有名なのが、ここにある”coxcomb”(ニワトリのトサカ)と呼ばれる図なのだそうだ。
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