Science

2009.08.21

エアカーはどこへ?- Part 1

Text by kanai

Make外部編集者でもあるBill Gurstelleは、最新著書『Absinthe & Flamethrowers: Projects and Ruminations on the Art of Living Dangerously(アブサンと火炎放射器;危険に暮らすための術に関する企画と黙考)』を発表した。Billの危険なクエストの様子はtwitter.com/wmgurstで見ることができる。彼はMake: Onlineの8月のゲスト筆者だ。


多くの未来派人間やMakerにとって、エアカーは科学技術の象徴だ。個人向けテクノロジーが追い求める聖杯のようなものだ。エアカーとは、シカゴからフォートウェイン(シカゴから200kmほどの都市)まで飛べる自動車と、Piggly Wiggly(スーパーマーケット)まで卵とコーヒーを買いに行ける飛行機を合体させたような乗り物だ。私はそれが欲しい。
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聡明なる諸君は、もうとっくに21世紀なのに、どうして我が家のガレージにエアカーがないんだ、と疑問に思われるだろう。エアカーの研究開発に挑むだけの時間は十分にあったはずだ。そこで今日から2回にわけて、この夢の乗り物の開発にかけた個人や企業の取り組みによる成果を振り返ってみたいと思う。長い話になる。正直言って、楽しい話ではないかもしれない。
それでは、この問題の考察を、ルイジアナ州知事候補になったことのあるPatrick Landryの言葉から開始しよう。

「私は州知事になったら、このルイジアナにエアカーの研究開発のための投資をしてくれる投資家を捜したい。そして、エアカーの大量生産を行う。エアカーは、超軽量飛行機と自動車を掛け合わせた乗り物で、アメリカの交通に革命をもたらすものだ。目標とする性能は、55から75マイル(約9キロから120キロ)で離陸でき、短距離を低空で飛行できること。形はインディーカーのようになると思う」

2003年の州知事選に破れたPatrick “Live Wire” Landry候補の言葉より。
Patrick E. Landryが政界入りしたのは1999年。電気工出身であることから”Live Wire”というあだ名を持つ彼が、さまざまな資格を持ちながら政界入りを目指した理由は、彼の純粋さにある。
どう見ても、Landryはキワモノ候補だ。しかし、彼の純粋さ、バグダッド核攻撃論、エアカー開発案に1万票が集まり、2003年の州知事選では立候補者17人中8位と善戦した。
ベビーブーム世代の人間なら誰でも、エアカーと聞けば『宇宙家族ジェットソン』でジョージが娘のジュディーをオービットハイスクールに送っていくあの乗り物を想像するだろうが、エアカーのアイデアは1960年代のアニメに始まったわけではない。なんと、飛行機が発明されると同時に、その構想はあったのだ。
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これは、バイエルンのマッド・キング・ルドウィッグが1885年にデザインしたエアカーだ。彼はみんなから頭がイカレていると言われていた。しかし彼の死後120年が経った今、ドイツの科学者たちは、彼を知られざる飛行技術の先駆者として讃えている。
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映画『チキチキバンバン』で使われたノイ・シュバン・シュタインの美しい城の城主であったルドウィッグは、ライト兄弟が初飛行に成功するより 20年も前に空飛ぶ自動車の設計を行っている。しかし、試験飛行させようとしたときに、気が触れたと宣告され、王位を剥奪されてしまった。
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近年、ドイツの航空工学の専門家は、ルドウィッグの設計を検証し、実際に飛行可能であったと語っている。彼とオーストリアの技師グスタフ・コッホとの間で交わされた手紙から発見された数枚のスケッチによると、この飛行機で、彼が愛していたアルペンの湖畔に点在する、あの有名なノイ・シュバン・シュタイン城を含む自分の城を見てまわるという計画を立てていたこともわかったそうだ。
次回は、もう少しでうまくいきそうだった試みの話をしよう。
訳者から:原文ではFlying carと言っていますが、やっぱり「エアカー」でしょう。あの黄色い挿絵は、ボクが小さいころに大好きだった未来の乗り物の絵本にあったものだ。だからエアカーと表記しています。誰が何と言おうとエアカーでありますので、これだけは訳者として死守します。
– Bill Gurstelle
原文