Science

2009.08.31

エアカーはどこへ? – Part 3

Text by kanai

Make外部編集者でもあるBill Gurstelleは、最新著書『Absinthe & Flamethrowers: Projects and Ruminations on the Art of Living Dangerously(アブサンと火炎放射器;危険に暮らすための術に関する企画と黙考)』を発表した。Billの危険なクエストの様子はtwitter.com/wmgurstで見ることができる。彼はMake: Onlineの8月のゲスト筆者だ。


エアカー実現のための Maker たちの冒険……
エアカーの3番バッターはMizarだ。技術の裏舞台から現れた、本当に飛行できるエアカーなんだが、エアカーの歴史上、最大の悲劇を招いてしまった。
Henry SmolinskiとHal Blakeは、軽飛行機の上半分とエンジンと翼をモジュール化して、1971年型フォード・ピントに取り付けた専用レールを使って脱着できるシステムを考えた。
flying pinto.jpg
アタッチメント方式でタイプの違う2つの乗り物を合体させることでエアカーが出来上がる。半分がフォードの小型車で、半分が高翼式の飛行機だ。最初はうまくいった。ちゃんと飛んだし、大きく報道もされた(エアカーはいつでも人気の題材だ)。
1973年の雑誌記事(Peterson’s Complete Ford Book, 3rd Edition)から抜粋してみよう。

「長距離の飛行と、普通の乗用車としての近距離の陸上移動という2つの用途を満たすため、Mizarは次のような仕組みになっている。プッシャータイプの航空機用エンジンを備えたMizarの機体は、近くの空港の格納庫で架台に乗せて保管しておく。そこへ、Mizar用に改造されたピントを乗り付け、機体の下に車をバックで入れると、双方の自動接続ユニットが働いて、たったの2分で合体が完了する。
自動ロック式の高強度ピンによって、車側のレールと飛行機側の支持金具が固定されるようになっている。

最後に話しておかなければならないことがある。1973年末に、SmolinskiとBlakeはMizar試作機に乗り込み、エンジンをふかした。コックピットで何が起こったのかは知るよしもないが、Mizarは離陸の途中に転がり落ちてしまった。わかっているのは、離陸直後、自動ロック式高強度ピンが外れ、2人の開発者の乗った車は南カリフォルニアの上空で突然に翼を失い、ただのフォード・ピントに戻ってしまったということだ。
2人の主要な開発者を失ったことで、Mizarプロジェクトは幕を閉じた。そうして、実用的なエアカーの登場を、世界はいまだに待ち続けることになったのだ。しかし、いつだって地平線の向こうから新しいものが生まれてくる。それは技術の裏舞台から大空に羽ばたこうとしている。
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訳者から:Mizarを作っていたのは Advanced Vehicle Engineers(AVE)という会社。その後の国家運輸安全委員会の調査で、作りがあまりにも雑だったのが原因だとわかったそうです。この記事では、空飛ぶ飛行機のことをFlying carと表記していますが、エアカーと訳しています。だって、エアカーでしょ? エアカーですよ。エアカーじゃないといけません。
– Bill Gurstelle
原文