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2009.03.19

DDIY: Don't Do It Yourselfって?

Text by kanai

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この前、Journal of Aesthetics & Protestに掲載されたLisa Anne Auerbachの”d.d.i.y. Don’t Do It Yourself” という記事を読んだ。

D.I.Y.とは、かつてはSharpie(サインペン)を握って言葉と行動で自己改革を行うことを意味した。しかし今は、量販店に金をつぎ込み、海外で生産された素材をどんどん消費して、地球環境を破壊し、森を伐採し、ガラクタを作り、素人工事のガタガタトイレや曲がった壁や趣味の悪いモザイクで日常生活を汚すことを意味する。我々は、腕のいい大工を破産に追い込んでいる。経験豊かな電気工や設備工の経歴を破壊している。住環境の改善を曲解した我々のDIYによって、戸棚にはほとんど使わない工具があふれ、倉庫には余った木材やスチールウールや有毒薬品やニスやコーキング剤があふれている。その戸棚のドアすら、歪んで閉まらない。蝶番は曲がり、ドアの下側は、曲がったものをさらに曲げれば真っ直ぐになるだろうという下手な考えでかけたカンナによってささくれ立っている。洋服を自分で縫おうというDIYの冒険では、余り布や毛糸玉や裁縫道具が家に散乱することになる。自分で縫った服は2~3回の外出にはいいが、学習曲線が急勾配であるため、縫い目がほつれやすい。珍しい料理に対するDIYの激しい情熱は、珍しいスパイスや専用の調理器具や竹の蒸籠やモロッコ式タンジンや、忘れてならないフォンデュセットで戸棚を満杯にする。これらは、その特定の料理の流行が終わるや、リサイクルショップにずらりと並ぶことになる。家に来たお客さんは、ニコニコ顔でありがたそうに料理を口に運んでくれるが、それは料理の冒険の成功を意味するのだろうか? 我々は、常に新しい物に挑戦している。ひとつのものを極める前に、すぐに次なる新しい物が水平線から顔を出すからだ。そしてそのたびに、新しい器具や材料を買い込むことになる。
広告主の策略のお陰で、私たちは人間らしさを感じられている。しかし現実には、我々は巨大なグローバル企業に手綱を取られた奴隷的な消費者となっている。こうしたDIYは、我々から人間性をはぎ取るための、新しい手段に過ぎない。それにより我々は、キャッシュマシンとクレジットカードを言われるままに操作する、搾取されるための存在になってしまっている。DIYは我々の信念につけ込み、財布に穴を開け、苦労して稼いだ金を地獄に送り込む。我々は自分の油で自分自身を煮込んでいるのだ。ユートピアはお取り置き状態だ。指定のクレジットカードに加盟すれば、1.5%のキャッシュバック付き。我々は飢えた怪物になってしまった。どんな代償を払ってでも、自分の商品を取り返そうとヨダレを垂らしている。我々の精神はギフト用のラッピングを施され、私たちに売りつけられる。我々の革命は横取りされてしまった。

彼女の視点は、最後には、Make: Blogをはじめとする多くのサイトで見られるような建設的なコミュニティベースのMakerの世界に戻っている。彼女は、わたしたちの物々交換システムにおける専門知識を学びたいと相談にも来ている。わたしにとって、物作りの楽しさの大部分は、新しいスキルや道具の習得にある。ガレージに使わない材料や道具があふれるという彼女の言い分もわかるけどね。この記事に対する意見を聞かせてほしい。コメントに書き込んでね。
訳者から:かなり過激なDIY批判みたいだけど、この続きを読むと、大企業に扇動された軽薄なDIYブームの批判なんだね。彼女がいちばん言いたいことは、誰かのために物を作ろうということ。DIYで作ったものだけでなく、自分の得意分野の技術や知識を他の人と分かち合う、「商品化されない、物々交換ベースの、コミュニティで熱くなる、自由な」本当のDIYを目指そうという呼びかけだ。
– Becky Stern
原文