ニューヨークタイムズ紙の記事、”It May Be a Sputnik Moment, but Science Fairs Are Lagging“(スプートニクな時期のはずなのにサイエンスフェアは遅れている)によれば、学校の科学の授業が少なくなったために、サイエンスフェアに参加する子供たちが減っているという。科学や技術に大きな関心を抱かせようとする教育方針は、テストを重視しすぎる標準指導モデルのために迷走している。
記事にはこう書かれている。
サイエンスフェア真っ盛りのシーズンながら、高校生の参加者は減少傾向にある。その原因は、注目度の低さではなく、サイエンスフェアが求める創造性や自主的な探求心を犠牲にして、数学や読解力の成績向上を目指すオバマ政権の教育方針にあると多くの理科教師は考えている。
統一テストを過度に偏重するあまり、教師にも生徒にも歪んだ誘因が植えつけられ、国中がテストに取り憑かれてしまった。良い教育とは、”標準化” された教育であると歪曲して認識されるようになった。「実験から学ぶ」ための時間が学校でとれなくなれば、生徒たちは学べなくなるも同然だ。「教科書で科学を学ぶ」学校が非常に多くなっている。これは退屈であるだけでなく、もはや科学ではない。(宗教なら1日中、本で学べるが)
標準化とテストへの依存度が大きくなれば、学校はますます意味を失い、子供たちは学校の外で本当の勉強をしなければならなくなる。フィンランドの教育に関するこの記事 “The Children Must Play“(子供は遊ぶべき)を見てほしい。フィンランドの学校では、遊びとアートとクラフト、体験を通した学習を奨励している。フィンランドではテストの依存度が非常に低い。アメリカの教育者にとれば、テストというシステムから遠ざかることなど想像もつかないだろう。それどころかアメリカでは、テクノロジーを使って標準化とテストへの依存度をさらに高めようとしている。この記事で「創造的で自主的な探求」と表現されているこうした勉強法は、社会から軽視されるようになるだろう(言うまでもなく、この探求心こそが物作りの原点だ)。
サイエンスフェアの参加者が減少している原因はほかにもある。毎年、ごく小数の突出した生徒が素晴らしい展示を行い全国的な賞を受賞して称賛を浴びている。それはよいことだが、そのほかの参加者たちはどう感じているのだろうか? または、サイエンスフェアに参加しようなどと夢にも思わない子供たちは? 地方で開かれるサイエンスフェアでは、すべての子供たちが科学を探究し発見ができるよう、参加の間口を十分に広げて迎え入れる態勢ができているだろうか。サイエンスフェア事態が型にはまってお役所仕事的になっていないだろうか? そして、主催者たちが科学に対する視野が狭まっているのではないかと心配になる。
サイエンスフェアをもっとオープンで楽しいものにするには、どうしたらいいのだろうか。サイエンスフェアを改革するには、どうしたらいいのだろう。Maker Faireから学べることはないだろうか?
– Dale Dougherty
訳者から:このなれの果てが日本の教育でありんすね。今もますます数値至上主義で本当の教育から逆行爆走中! 政府の方針というより、親の意識でしょう。
[原文]