Electronics

2012.01.20

黙想 ── Makingに飛び込む

Text by kanai


あなたが自分はMakerだと気づいたのは、いつの時点だった? 創作の心は、何かを学びたい、仕組みを知りたい、改造したいという飽くなき欲求から芽生える。この衝動が早くに目覚める人もいれば、遅い人もいる。あなたは、いつも壊れた自転車を直していた子供だっただろうか。または、家族が買った初めてのパソコンにはまって、何年か後にフィジカルコンピューティングを使って複雑なガジェットを作れるようになるまで、ずっとパソコンにしがみついていた子供だっただろうか。
それとも、すぐに自分のオモチャを分解してしまう子供だったかも。それは破壊衝動とは違う。むしろ、再び組み上げることを目的としていたはずだ。これはイゴンとヒーマンでチームを組ませたようなものだ(編注:イゴンは『ゴーストバスターズ』でハロルド・ライミスが演じたイゴン・スペングラー博士、ヒーマンは80年代のアニメ「マスターズ・オブ・ユニバースの」のスーパーヒーロー)。そして彼らに、グレイスカル城とゴーストバスターズの基地の両方を同時に冒険させるようなものだ。余計なものをすべて取り去ってみれば、それは何かをひとつに結合したり、作り変えることを目指すものの、滅多に成功しない情熱的な挑戦というわけだが、安売りで買ってきたフィギュアの腕が、まったく別のフィギュアの胴体にぴったりはまったとき、部品の中には、プラスティック固有の宇宙での共通性を持つものがあるのだと大発見をして感銘を受けることもある。
そんなMakerの心を自然に意識できていた人もいるだろうが、大人になってから気づく人もいる。物作りの欲求は、特別なときに立ち上がるために、心の中でじっとしながら、学校や社会から植えつけられた数々の技能の隙間から、純粋な創造の目で機会を覗っている。バンド演奏に興じているときは、アンプの仕組みを学んだり、本番直前に断線したコネクタをハンダ付けしたりする。そうした必要に迫られた状況から、作ることの喜びやDIYの満足感を知り、もっとたくさん体験したいと思うようになる。
Makerムーブメントの素晴らしさは、物作りの心を目覚めさせて、すべての人々の中にMakerを育てるところにある。この数年間、私たちは、ある「再生」を体験してきた。それは、Makerだった私たちの遠いルーツへつながる消えかけた線を、再びはっきりと浮かび上がらせるものだった。もう、それによって責められることはない。逆に称賛されるのだ! コンテンツ製作や改変は、インターネットの世界で脚光を浴びることとなったが、それには、創造や改変の一般化そのものが大きな要因になっている。自分のアイデアをみんなと共有できる基盤が与えられれば、そのアイデアは、たちまち、より優れた大きなものへと膨らんでいく。「機械いじり」の洗練された形だ。
今や、オモチャの分解の大人版としてハードウェアハッキングがあり、システム化を夢見た子供時代の欲求の延長線上にArduinoのプログラミングがある。今になってやっと、冒険は、PCでテキストアドベンチャーを作ることから、現実世界のコントロールへと発展した。実質的に、電子の分野でも工学の分野でも、あらゆるタイプの技術は、非常に簡単に他の技術に統合できるようになっている。
この時代に生まれて、今これができていることは、なんと幸運なことだろう。私たちはみな、いきなり作り始めたか、分解から創造に移行したかのどちらかだ。あなたはどっち派だった? そしてどうなった?
– Michael Colombo
原文