Fabrication

2011.11.07

デジタルファブリケーションと手作業の職人魂は共存できるか?

Text by kanai


すべてのハッカー、クラフター、ティンカラーの物作りの形が、デジタルファブリケーション(fabrication、製造技術)によって完全に変わってしまったと、Make読者ならほぼ全員が感じていることだと思う。レーザーカッター、CNCフライス盤、3Dプリンタは、物をデザインするときの考え方も変えてしまった。作品の品質や精度も上がった。私はそうしたデジタルファブリケーション技術の熱烈な愛用者だが、同時に、それが広く普及してくるに従って、文化的な変化も引き起こすのではないかと心配している。
先日、この問題を友人に尋ねてみたが、私は失望の声をあげてしまった。あまりにも多くの才能ある同僚たちがソフトウェアにしがみつき、頭の中のアイデアを現実にするための別のツール(編注:伝統的な工具など)を手に取ろうともしない。彼の言葉は印象的だった。「ボクはワコム(のタブレット)とPhotoshopで満足だよ。コンピュータと共に育ってきたから、ほかのもので何かを作るなんて考えられない。デジタル製造技術は自然の成り行きだから、それを使っていきたいと思う」
デザイナーがデジタルファブリケーションだけに依存するようになったら、どうなるのか? そうなったときの制約は? たしかに、それもパワフルなツールだけど、レーザーカットや3Dプリントで作られたものは、すぐに見てわかる(それを表現する業界用語がすでにデザイン会社などの間で使われている)。また、そうした機材はまだ高価なため、現場で簡単に使うというわけにはいかない。たとえば、Arduinoプロジェクト用のケースなどは作れても、家のプロトタイプを今すぐ作れと言われても困る。私はなにも、機械化に抵抗する石頭の職人というわけではない。手作業の基本を知らずにいることは危険だと思えてならないのだ。材料を実際に手に取ることで、創造的な技を思いつくこともある。ワコムとスタイラスからは生まれてこない。つまり、アナログかデジタルかという話だ。

デジタルファブリケーションとは、別々の要素の繰り返しだ。作るか作らないか、変えるか変えないか。マシンにプログラムして、出来上がるのを待つ。気に入らなければ、それを捨てて、やり直せばよい。デジタルファブリケーション技術で何かを作るときは、最初から最後まで、通常ならそれを作るのに使用するはずの工具に一切手を触れる必要がないとされている。しかし、現実はそううまくはいかない。デジタルファブリケーションで作ったものを、さらに自分で組み立てて完成させなければならない場合もあるからだ。私の友人も、Makerbot Turtle Shell RacerぐらいなものならCADで設計できる技術はあるが、できたパーツを手で組み立てて製品として完成させるための知識はどうだろう。
旋盤で木のボウルを削り出す場合と比べてみよう。鑿を木材に押し当てる強さやタイミングは自分でコントロールしなければならない。また、最適な鑿を自分で選ぶことも大切であり、鑿を研ぐという作業もある。あなたが押し当てた鑿に対して木目がどう応えてくれるかを感じながら、リアルタイムでデザインを決めていく必要もある。材料との非常に親密な対話をしながら、最終的な形ができていく。
かたや、ちょっとばかり木工の心得のある私に言わせれば、プロの仕事と呼べるほどの木工技術を身につけるためには、何時間、いや何年もの修行が必要だ。私がドリルやノコギリと苦労して過ごてきした時間は長すぎたのだろうか。もっと、Rhinoceros(3Dモデリングソフト)やIllustratorと過ごすべきだったのだろうか。木工作家でデザイナーのBen Lightはこう言っている。「新旧の技術は美しく共存できる。技能、テクニック、職人気質は、デジタルだろうがアナログだろうが、いつだっていちばん大切なものだが、ひとつの分野で自信を持てたり、熟練していれば、ほかの分野でも恐れずに仕事ができる」

私たちは Makerbot(3Dプリンタ)や Zing(レーザーカッター)と共に、後ろを振り返らず、このまま突き進むべきなのだろうか。それとも、信頼できる昔ながらの工具を取るべきなのだろうか。あまりにも進歩が早いために道を見失ってしまった。古代のミノア文明の人々『ウォーハンマー40,00』のテンプレートコンストラクトのように、私はリスクを分散しながら、両方が心地よく混在する状態を保ちたいが、みんなはどう考えているかを聞いてみたい。コメントに意見を寄せてほしい。
– Michael Colombo
原文