Electronics

2012.03.02

Soapbox:オープンソースハードウェアの{暗黙の}ルール

Text by kanai


私は、オープンソースハードウェアはすでに定着したと信じている。それは、素晴らしいコミュニティとして、素晴らしい運動として、そして多くの人にとって素晴らしいビジネスとしてその地位を確立している。私は、毎日何らかの形でオープンソースハードウェアと関わっているが、ひとつ話しておきたいことに、私たちはみな、いや私たちの多くが、ある暗黙のルールに従っているということだ。なぜだろう。「オープンソースハードウェア」と総称しているものを中心的に推進してきた人たちは、みな顔見知りだ。友だち同士だ。同じことをしていたり、競争していたりしているが、みなが目指すゴールは同じ。自分たちの作品を共有してよりよい世界を作ること。そして、互いに足を引っ張り合うのではなく、互いに支え合うことだ。ここで私が、「暗黙のルール」と称するものを全面的に支持してくれる人が必ずいると思うが、いろいろな反対意見もあると思う。それはいいことだ。それが今週のテーマだ。
それでは始めよう。

必要がなくても使用料を互いに払っている

奇妙に聞こえるかもしれないが、私たちは互いにお金を払っている。詳細を話そう。私はTV-B-Goneの開発者、Mitch AltmanをLimor Friedに紹介した。彼と彼女を結びつけて、TV-B-Goneのキット版を作らせたかったのだ。5年近く前のことだが、大成功だった。Mitchは全国をまわってワークショップを開催し、MakeやAdafruitや、そのほか多くのショップが彼のキットを販売した。彼はその装置のアイデアに対する使用料を受け取っている。当然のことだ。表舞台の裏では、オープンソースハードウェアの開発者のほとんどが、ハードウェアを作ったり共同開発したときに、互いに使用料を払っている。そんな必要がどこにあるのだろう? 理屈の上では必要ないことだ。だけど私たちは払っている。私は、どうしたらキットを共同製作できるかと相談してくる企業には、この話をして、Limorとの仕事のしかた、使用料を払うこと、そしてどのように成功させるかをMitchに聞くようにと勧めている。Sparkfunにはたくさんの製品のページがあるが、彼らも同じことをしている。この暗黙のルールでは行動が物を言う。 : )

私たちはお互いをものすごく尊重している

オープンソース製造業者が常に求めるものは何か? それは、正しくクレジットされることだ。コミュニティが常に目を光らせているので、この点で問題が起きることは滅多にないが、誰が何を作ったのかがあいまいになってしまう問題はときどき発生する。悪意ではない。ただ忘れられてしまうのだ。オープンソースのアイデアを拝借して製品を作る巨大企業はたくさんある(日常のことだ)。しかし、オープンソースハードウェアのコミュニティはコミュニティだ。互いに尊重し合っている。好かない相手であっても、互いに敬意を払うことは簡単であり、実際に楽しいことだ。「このコード/ハードを使って、改良したんだ。オリジナルを作ったのはこの人だよ」とね。アイデアを借りたときは、「○○に影響されて作りました」と言ったりもする。巨大企業は、こんなことはしない。しようにもできない。しかし、オープンソースハードウェアの世界ならできる。いくらなんでもサムスンが、アップルに「影響されました」なんて絶対に言わない。だけど影響されているのは明かだ。オープンソースの世界では、作り手たちはそのアイデアを最初にどこで見たかを嬉々として語る。

ネーミング:元の名前とは違うユニークな名前にする

私たちは、まぎらわしい名前は付けないように気をつけている。商標は、ハードウェアの知的財産を守るための数少ない手段だ(回路図は著作権で守ることができない)。だから、どこの誰が作ったのか、ユーザーがすぐにわかるようなブランドの確立には大きな意味がある。例を示そう。一時期、Arduino互換ボードに○○-uinoという名前を付けるのが流行った。または、互換ボードもArduinoと呼ばれてしまうこともあった。でもその時期はすぐに終わった。少なくとも、近ごろはめっきり見なくなった。Boarduinoは、Arduinoチームが公認した名前だった。それはナニナニ-uinoが大量に現れる前の話だ。今では、ユニークなArduino互換ボードがたくさん生まれるようになり、名前も-uinoではないものが多くなった。Arduino互換ボードという呼び方はしても、互換ボードはArduinoではない。Arduinoという名前は、Arduinoチームの所有物だ。彼らのUSBベンダIDから名前からボードに印刷されたロゴまで、みな彼らの所有物だ。他の人の名前を騙るのは悪いことだ。実際に、みんなが知っているルール(商標法)や暗黙のルールが破られることはある。しかし、企業や開発者が、自分の製品に自分で付けた名前の重みを知るようになれば、こうした問題はなくなっていくと思う。商標とUSBベンダIDに関しては、いずれ大きな記事にまとめたいと思っている。まずはこれが手始めだ。

オープンソースハードウェアをきちんと実行する

これは簡単だ。オープンソースハードウェアであるからには、回路図、ソース、部品表、コードのすべてのファイルを公開する。隠してはいけない。秘密保持契約にサインしろなどと言ってはいけない。難しくしてはいけない。ややっこしくしたいのなら、オープンソースはあきらめるべきだ。これは最近見たもので、オープンソースハードウェアとして相応しくないと思ったものだが、オープンソース化をKichstarterの「謝礼」にしてはいけない。そういうものじゃない。オープンソースハードウェアはマーケティング用語ではないのだ。もっと特別な意味がある。私たちは、オープンソースハードウェアを、やりたいからやっているのだ。誰かを騙そうとしているわけではない。私たちの間で常に問題になることがひとつだけある。それは時間だ。常時、何百ものプロジェクトを抱えていると、すべてのファイルを常に最新にしておくことが難しい。私の場合、GitHubのブレークアウトボード用のすべてのEagleファイルを即座にアップロードできる時間がなかった。それほど複雑なものではないので気にする人はいなかったが、私は気になった。だから、すべてがきちんとアップロードできているかを、これからがんばって確認するつもりだ。私は、すべてをGitHubに移そうと思っている。そのほうが自分にも楽だし、みんなにとってもいいことだからだ。

オープンソースを元に作ったプロジェクトはオープンソースにする

これも、我々全員が従っているルールだ。たとえば、Arduinoをベースにして何かを作ったときは、Arduinoがオープンライセンスだから、同じようにオープンライセンスにしなければいけない。ときどき、Arduinoのクローンが非商用ライセンスで発表する人がいる。なぜそうするのかと尋ねると、たいていはこう答える。「Arduinoみたいに、勝手にコピーされたくないんだ」と。プロジェクトが普及してからオープンに切り替える人もなかにはいる。私に言わせれば、Arduinoのシールドはオープンにすべきだ。でも、ここは意見の分かれるところでもある。

コードとデザインに付加価値をつける

コードをコピーして、名前を変えたりして自分の作品だと主張するなんてことは、コミュニティにとって価値のある行動ではない。ロゴや名前よりももっと価値のあるものを付け加える必要がある。オープンソースハードウェアを作っている会社の多くは、コードやハードウェアのオープンソース化や共有のために、多額の予算と人を当てている。自分の製品として出荷するために、ひとつかふたつの変更を加えるだけというのでは評判を落とす。実際にそういうものもあるが、非常に希だ。しかし、これはもっともオープンに語られるべき「暗黙のルール」だ。コピーして改良することと、コピーしてそのまま売ることは、まったく別の話だ。私は、コピーして改良して売るというのが大好きだが、ほとんどやらない。ものすごく大変だからだ。コピーして部品をひとつ変更した程度のものや、コピーをあたかも自分がオリジナルの開発者であるかのように見せかけたもの、つまり付加価値のないものは、オリジナルの開発者にサポートの重荷を負わせることになるし、話が合わないのでノンカスタマーが混乱する。めちゃくちゃなことになる。
オープンソースハードウェアを機能させるためには、オリジナルの開発者をできる限り助ける必要がある。そして、コピーと再発行に関するルールを伝えていく必要がある。人でも企業でも、オープンソースソフトウェアやハードウェアをベースに作った製品をクローズにすることはやめてもらいたい。共有とは、常に双方向なのだ。

クローンはクールじゃない

またArduinoを例に使おう。オープンソースハードウェアのイメージキャラクターだからね。プロジェクトの目標がArduinoのクローンを作ることで、コードにもハードウェアにも改良を加えないつもりなら、別のものを作るべきだ。私は、そのまんまのクローンを作っている会社をいくつか知っている。まぎらわしい名前をつければ、社会的に認知されると思っている。そうはいかない。初心者は、どれが本物の、品質もサービスもサポートもしっかりしたArduinoなのかがわからず混乱する。たいていの場合、それらの点でクローンは劣る。世界中の「Arduinoキラー」を箱一杯持ってるが、どこにも付加価値がないものばかりだ。まったく身勝手な製品だ。私は、ニセArduinoを買ったパートナーや子供たちから、毎週数十通のメールを受け取る。正常に動作しない。eBayの出展者やインチキなショップがサポートもしてくれないといった苦情だ。そうした業者は、さんざんクローンを作られたあげくに、まともな神経の持ち主なら、サポートがどれほど大変かを思い知ってオープンソースから手を引いてしまう。

お客さんをサポートする

面倒なサポートをコミュニティに丸投げすればよいという料簡で、ただArduinoクローンが作りたくてオープンソースハードウェアに手を出そうとしているのなら、それはまったくフェアじゃない。時間やリソースを費やしてチュートリアルを作り、フォーラムを立ち上げ、お客さんサポートしなければいけないのだ。またまたArduinoを引き合いに出すが、Arduinoクローンを買う人が後を絶たず、彼らはサポートをArduinoチームに求めてくる。なぜなら、その製品はArduinoだと言っているからだ。オープンソースとは、よりよい物を作るための手段だ。誰かにサポートを丸投げすることではない。自分から仲間に入って、お客さんをサポートして初めて、お客さんから大切なものが得られるのだ。

オープンソースハードウェアの周囲にビジネスを展開する

ベンチャー投資家から資金を受けて、新しくオープンソースハードウェアのソーシャルネットワークか何かを始めるために、誰かオープンソースハードウェアを提供して欲しいと思ったら、自分もオープンソースにならないといけない。オープンソースの考え方に同調して、そこでビジネスを金儲けをしたいのなら、オープンソースに相応のものを与える必要があるのだ。例を示そう。オープンソースハードウェアの「Dropbox」を作るとしよう。いい考えだね。しかし、その利用者がオープンソースハードウェアライセンスのもとにすべてのファイルを公開しなければならないという決まりがあれば、あなたもそれに従って、あなたの側もオープンにするべきだ。そうでなければ、話がおかしくなってしまう。「オープン」という言葉には、明らかに市場価値がある。私たちが見てきたスモールビジネスは、多くがその立ち上げの時点でオープンソースの恩恵を利用したいと考えていた。新しい会社でオープン生態系の中に入りたいならば、あなた自身も相応の貢献をしなければならない。すべてを捧げろと言っているのではない。自分の事業に見合うだけの価値をオープンにすればよいのだ。

デザイナーの望みを尊重する

私たちはいつでも電子メールで互いに話し合うことができる。オープンソースハードウェアの作り手たちは、他人のプロジェクトのクローンを作るときに条件を言われることもあるだろう。たとえば、「これを使って子犬を殺さないでくれ。いいね」みたいに。あなたが作ったオープンソースのCNCマシンから子犬を潰す機械を作る人がいたとしても、オープンソースの世界では誰もそれを止められない。とは言え、相手が危ない方向へ進んでいるとわかれば、オリジナルの開発者がそれを止めようとするのは、何もアンフェアなことではないと私は思う。オープンソースハードウェアのプロジェクトがちょっとばかり「ハイジャック」されて、オリジナルの開発者がそれを心配するという場面をたまに見る。そんなときは、誠意のある簡潔な言葉が効く。「私のプロジェクトを何に使おうと自由だけど、子犬を潰す機械は見たくないな」のようにね。これはじつは難しい問題だ。厳格に法律を守りたい人たちは、こうした話に耳をふさぐ。彼らからすれば、ライセンスの弱さを指摘されているのと同じだからだ。でもそれは違う。我々はコミュニティであって、いつでも話し合いで決められるというのは強みなのだ。今から100年後には、今これを読んでいるみんなはもうこの世にいないかもしれない。だから、私たちはコミュニティとして、そのプロジェクトを初めて世界に公開した人のことを尊重する必要があると思う。ライセンスに関するReadmeや、プロジェクトの解説ページに、そのプロジェクトの理想的な使われ方を記しておくのもよい手だと思う。もちろん、みんながそれを順守するとは限らない。だけど、枠を設けることや、趣旨を語ることには意味がある。みんながどう考えるかわからないけど、私たちは自分の作品に特別な感情を抱く人間だ。それは弱みではない。強みなのだ。

いつかオープンソースハードウェア財団ができたときは、全員で支える

いつの日か、どこかの偉い人が、ここで私が何度も語ってきたようなことを話し合える財団を創設してくれるだろう。それは私たちのコミュニティを支援してくれるものだ。私は財団という柄ではない(私はどちらかと言えばオープンソース製造会社の社長でいたい)。それに、言いたいことが山ほどあるから、私では話がまとまらないだろう。
誰だって、じっくり時間をかければひとつやふたつ、大きな事業を実現させることができる。だけど、オープンソースハードウェアのような重大なものを扱う財団となると、私には荷が重すぎる。だけど、ひとつだけ言えるのは、私は資金面での支援はするし、オープンソースハードウェア関連業者の多く、すべて、またはほとんどもそうするだろうということだ。私はオープンソースハードウェアで食っている。だから財団ができれば資金援助はする。他のみんなにもそうするよう促す。私はOpen Hardware Summitにも寄付をしているから、それほど大したことではない。今、私はAdafruitの従業員一人あたま400ドルずつ寄付するように言うことができる。25人いるから1万ドルだ。それが私の本業からの寄付金になる。それほど重要なことなのだ。私は財団が実現するように尽力したい。他の企業もそれにならってくれることを期待する。従業員数で寄付金を決めればフェアだ。自宅のキッチンでひとりで25個のキットを作っている売っている人も、100人の従業員がいる工場でも、一人当たりの負担が同じだからだ。


以上の話は、とっても重大な問題だ。みんなで大いに議論してほしいと願っている。だが、これらはあくまで、私の個人的意見であることを断っておこう。私はオープンソースハードウェア運動について語っているのではない。それでは議題が大きすぎて語れない。私が「私たち」と言っているときは、それがオープンソースハードウェアのコミュニティで一般的な慣例になっていることだと思ってほしい。私は、オープンソースハードウェアの作り手たちと長年にわたって語り合ってきた。なかには、長い間に一度や二度、仕方なく暗黙のルールを破ってしまった仲間も少なくないが、それはすぐに修正されたものと私は信じている。こうした問題を記事にするとき、私はいつも重い責任を感じる。この記事がみんなの役に立つかどうかは、すぐにはわからない。私の仕事はすべてがオープンソースであるとは限らないが、自分でオープンソースだと明言したときは、技術的にも社会的にもみんなが期待するオープンソースの形に適合するように最大限の努力をしている。それでは、みんなの意見を聞かせてくれ。
– Phillip Torrone
原文