2011.07.22
もっとも有名なノーベル賞受賞者、キュリー夫人
今年は世界化学年。そして、キュリー夫人にノーベル化学賞が贈られてから100年になる。これを記念して、Chemical and Engineering News誌は数人の化学者にエッセイの執筆を依頼したのだが、なかでもNaomi PasachoffのMarie Curieと題した原稿は素晴らしかった。キュリー夫人のような勇敢な化学者が、今どれだけいるだろう。
マリの研究により、ピッチブレンドと銅ウラン石という2つのウラン鉱石の放射能が、純粋なウランよりもずっと高いことが発見されると、ピエールも加わって、さらに未発見の放射性物質を探求した。その結果、1898年、ポロニウムとラジウムを発見した。
10分の1グラムの塩化ラジウムを抽出するのに、マリは3年以上のも年月を費やした。
マリ・キュリーは危険を顧みず、毅然とした性格から、当時としては珍しい自立した女性に成長していった。その時代のフランスでは、才能ある女性は軽蔑され見下されていた。パリで勉強中の3年間、マリはひとりで生活していた。後の彼女は記しているが、それが彼女に自由と独立の精神を植えつけたのだという。それは彼女を強い女性に育て上げ、ラジウム研究のためにウラニウムと格闘するという大変な苦労に耐えうる力を与えた。
キュリーは何物も恐れず研究に没頭した。そして世界でもっとも危険な元素であるラジウムとポロニウムを発見したのだ。ポロニウムは同じ質量の青酸ガスの25万倍の毒性をもつ大変に危険なものだ。彼女は原始的なX線撮影室の中で第一次世界大戦の負傷兵の治療にあたっていた。そのため大量の放射線を浴びることとなった。キュリーの死は、放射線被曝によるものとされている。
(キュリー夫人が笑っている写真をウェブで探したけど、写真そのものがすごく少なかった。上の写真の右の女性がマリだ)
– Bill Gurstelle
[原文]