Crafts

2012.06.08

Maker Faire 2012 Talk:アダム・サベージ「なぜ作るのか(Why We Make)」

Text by kanai

Maker Faire Bay Area 2012 で行われたアダム・サベージの講演。彼は、インディ・ジョーンズの帽子について、物作りに取り憑かれたきかっけ、そして、なぜMakerは自分で作らなければ手に入らないものが好きなのか、について面白い話をしてくれた。

– John Baichtal
(日本語版編注:続きは翻訳の金井さんによる講演内容の要約です)

──冒頭、インディ・ジョーンズの帽子をかぶって登場
映画『レイダース / 失われたアーク』でハリソン・フォードがかぶっていた帽子のレプリカだ。私は13歳のときにこの映画から大きな影響を受けたが、マーク・ケラーという少年も同じだった。彼はインディがかぶっていた帽子が欲しくてたまらず、あらゆるシーンを見て研究し、詳しくなった。それを実際に作ってもらおうと方々の帽子屋にかけあったが、どこも作ってくれなかった。それならと自分で帽子作りを勉強し、職人の腕を磨き、やがて小さな帽子屋を開いた。
年間、数十個しか生産せず、ひとつ数百ドルもするが、正確にインディ・ジョーンズの帽子を再現した最高級品として知られている。
『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』の製作が始まったとき、製作会社は映画で使用する帽子を作らせる帽子屋を世界中で探したが、結果的に、マーク・ケラーが契約を勝ち取った。単なるファンの少年から始まって、ついには本物のレイダースの帽子を作ることになったのだ。
このMaker Faireには5万人もの人が集まった。すごいムーブメントだ。10年前、ひとつも物を作らずに工科大学が卒業できたが、今は、手を動かすという方向に戻りつつある。予算削減のために、高校では演劇部や音楽部がなくなり、とくに技術家庭の授業が削られている現在、今さら手遅れだという人もいる。しかし、Maker Faireがある。ディーン・ケイメンが開催したFIRST(For Inspiration and Recognition of Science and Technology)ロボット大会では、世界中の5万人の学生からなる2000のチームが参加してロボットを作ったではないか。
今、2つのことが同時に起こっている。ひとつは、物作りに回帰するジェネレーションシフト。もうひとつは、物作りのムーブメントの拡大だ。道は長いが、今、子供たちに、自分の手を汚して物を作る楽しさを教え続けなければならない。
今日は、その方法ではなく、「なぜ」なのかを話をしたい。
今、映画の小道具のレプリカが流行っている。なかでもアイアンマンのアーマーが人気だ。本式のグラスファイバーで作ったものは数千ドルもするが、3Dデータを「ペパクラ」というソフトに読み込ませればペーパークラフトの型紙ができる。フィリピンに住むある少年が、それを組み立てて、ペイントしてコーティングして、何百時間もかけてフルセットのアーマーを作った。なぜそこまでするのか。それは欲しいからだ。買うよりずっといいことだ。
とは言え私は、そうしたものを作って売る側の人間でもある。現在も、アイアンマンのアーマーを2セット作っているところだ。私は自分のために好きな物を作りながら、生活のために物を作って売っている。私はその2つの極の間を行ったり来たりし続けている。これは単純な二分法ではない。私にとってその2つには大きな違いがない。
これまでに作った最高のものは、11歳か12歳のころ、近所の友達とスーパー8の映画を撮影するために冷蔵庫の空き箱で作った宇宙船のセットだ。撮影後、使ってないクローゼットにそれを持ち込み、さらに細かく仕上げていった。窓の外の星空を作り、足下にクリスマスライトを仕込んだ。最高に幸せな気分でコックピットにずっと座っていた。なぜそうしたか。それは、ハン・ソロになりたかったからだ。自分のミレニアムファルコンが欲しかったからだ。
その後、宇宙船と同じ手法で007やスパイ大作戦に出てくるようなスパイ用のブリーフケースを作った。スイッチやらレーダーやら自爆装置やらをマジックで描いた。
さらに13歳のとき、急に思いついて、フロントポーチに座る人の姿を段ボールで作った。なぜかわからないが、その形が明確に頭に浮かんだからだ。映画に出てくるものでも、どこかにあるものでもなく、単純に頭の中に閃いたものを作ったのは、これが最初だった。それを完成させて、キッチンに入ったときにものすごくいい気分になった。そしてママに「ボクは本当に幸せだよ」と宣言した。それは単なる一時的な幸福感ではなかった。すべてのアーティストが感じるのと同じ、自分の創作物との深い関わり、世界とのつながりによって、自分の純粋な真の存在感を得られたということだった。
大人になってニューヨークに移り住み、本格的に彫刻(フィギュア)を作り始めた。作品のほとんどはスターウォーズなどの影響で暴力的な題材のものが多かったが、当時のガールフレンドに、どうしてあなたの作品は暴力的なのかと聞かれ、よく口論をした。自分で自分が作るものを選択しているわけじゃない。作りたいから作っているだけだ。
私はただ物を作っていたわけではない。私は、私を育て助け、私がどんな人間になりたいかを教えてくれる周囲の世界と会話をしていたのだ。私は自分の「文化」と会話していたのだ。それは人と人との普通の会話よりもずっと深いレベルの会話だ。
映画で見たり、頭の中に浮かんだりしたものを自分で作れば、それが実際に存在して自分のものになり、幸せになれる。作りたいという欲求から、自分で作り方を学ぶ。それが私をここまで育ててくれた原動力だ。
ここに宣言文をまとめてきた。
何を作るか、なぜ作るかは問題ではない。重要なのは、「作ろうとする」ことだ。
物を作れば、自分にとって世界がわかりやすくなってくる。会話の中に入ることができる。作れない物を作ろうとすると、この深い会話は可能になる。誰にでも言えることだ。
作るということは、問題解決の積み重ねだ。自分の手で未来を作ることだ。非常に前向きで建設的な会話だ。そして思慮深くもなれる。物作りを通して学んだことは、あらゆるものに応用できる。
オバマ大統領は、科学、技術、工学、数学の教育に力を入れると発表した。名誉なことに、ジェイミーと私がその広告塔に任命され、あれこれやっているが、「STEM」(Sience、Technology、Enginiaring、Mathematic)という名称がダメだ。ぜんぜんセクシーじゃない。この計画を成功させるには、1文字加えて「STEAM」とするべきだ。Artの「A」が抜けている。科学、技術、工学、”アート”、そして数学だ。アートがすべての始まりなんだ。アートが物を動かすからだ。
そして、Make(作る)ということ。何かを作りたいという気持ちは、それが「欲しい」という気持ちから始まる。何かを学びたいと思ったとき、それがうまくいくようになる。どうしたら上手にできるようになるのかとか、どこで電子工作を勉強したのかとよく聞かれるが、私の答はいつも同じだ。プロジェクトを選べということだ。ただ本を読んで勉強してもだめだ。スタートレックのトライコーダ−の本当に機能するヤツを作ってみればいい。
なんであれ最終目標が定まれば、ゴールしたも同然だ。あとは、そこへ近づくためのプロジェクトがどんどん尻を蹴飛ばしてくれる。失敗してイライラすることもあるが、目標があれば乗り越えられる。
私の場合、難しいプロジェクトの70%ぐらいのところで、かならずヤル気をなくす。イライラして方向性を失ってしまう。でも、いつも自分はそうなるのだと知っているから、そこを乗り越えられる。だけど人ぞれぞれだろう。人はみな違うからだ。
しかしそんな私たちを束ねているのは、私たちが物を作る生き物だということだ。ずっと昔からそうだった。この火を燃やし続けなければならない。
そこで、みなさんに許可を与えたい。なんでもいいから、とにかく作りたい物を作れと。欲しい物を作れ。作れない物を作れ。それが世の中をよくしていく。
原文