2015.05.27
Maker Faireと共に育った子どもたち
バナナでできたピアノ(Makey Makey)で遊ぶ小学生。できるだけ早い時期から既成概念を壊すように働きかけている
Makerムーブメントの社会、ビジネス、テクノロジー、学校教育に対する影響については、いろいろ語られてきた。この10年間、自己確立した文化として公的にも認められてきた Makerムーブメントは、確実に成長している。そして、このムーブメントとともに、子どもたちも成長している。
2006年の最初のMaker Faireのときに10歳だった子どもは、今や20歳だ。立派な大人だ。小さいころからMakerムーブメントの理念とともに育った大人だ。そうした人たちに、これまでどんな様子だったかを聞いてみたいと思った。そこで、この10年のことを、Maker Faireの常連出展者である子どもたちやそのご両親に話を伺った。
読者のみなさんからも話を伺いたいと思っている。Maker Faireに何度も通ってくれている若いみなさん、そしてそんなお子さんを持つ保護者のみなさん、Maker Faireがどのように人生に影響を与えたか、コメントをください。
Jack McCandless(最初のMaker Faireを訪れたときは14歳だった)
2時間ほど歩き回って、マウストラップを見に行こうと決めました。それが始まるのを待っている間、たまたまアダム・サベージの基調講演を聞くことができました。それは、強い決意が表れた、一生忘れることのできないものとなりました。それが私の背中を押してくれたのです。それが私を、社会的にも精神的にもより強い人間にしてくれました。それは、高校生活を送るために必要なものでした。そのときから、自分もそうなりたいと願っていたとおり、ものを作る人たちが感じる喜びや自信を得られるようになりました。
Tony DeRose(彼らの父親。何年間にもわたってMaker Faireに面白いプロジェクトを出展している)
そのときは気がつかなかったが、2006年のMaker Faireを訪れて、私たち一家の生活はよい方向に変化していました。そこで見たものや会った人から大きな刺激を受け、2008年からは出展も開始しました(Josephは10歳、Sam は14歳でした)。大変に楽しかったので、その後も毎年出展しています。息子たちは、文字通りMaker Faireで育ちました。大勢のスタッフとまるで家族のように仲良くなれて、彼らにとってここ以上に心地よい場所は、そうありません。親として、息子たちといっしょにプロジェクトを行えることの価値は計り知れません。ともにひとつのことに対して情熱を燃やすことで、いっしょに過ごせる時間が長くなり、ともに技術的な創造的な問題にとりくみ、互いのことを深く知り合えるなんて家族は、そう多くはないでしょう。子どもたちも、好奇心と集中力と失敗から立ち直る力でもって、素晴らしいことが成し遂げられると学び、それを大勢の人たちにも教えることができました。Maker Faireがなかったら、我が家はどんな一家になっていたか、想像もつきません。
DeRosの子どもたち、JosephとSam、そして“Viper Team”。MFBA 2012でフライトシミュレーターを展示した。DeRose一家は、常に何か意欲的で刺激的なことをしている。今年はExosuitプロジェクトだ
Joohee Muromcew(Alex、Mary、Nikita、Natashaの母親 — 10年、Maker Faireに参加している)
Maker Faireは、私たちに、家族として、学び方、旅の仕方、時間の過ごし方など、よい効果をもたらしてくれました。あれから子どもたちは、工学系、ロボティスク系のキャンプにたくさん参加するようになりましたが、なにより大切なことは、子どもたちがティンカラー、Makerとなり、問題解決や発明を得意とする人間になったことです。クラフトやプロジェクト以外にも、いろいろなことを自分たちでできるようになりました。我が家はジャンク屋のようになってしまいましたが、私には快適です。この2年間、私たちは学校から先生たちをMaker Faireに連れて行くということをしました。理科や数学の先生たちが大きく目を見開いてMaker Faireに見入る姿は、なんとも爽快で誇らしいものでした。
Julie Hudy(Makerムーブメントの子ども推進者として有名になった Joey Hudyの母親。ホワイトハウスに何度も招かれ、一般教書演説のときにはファースト・レディーのボックスに座ることができた。深夜のトークショーでも紹介された)
Joeyの実情をどれだけの人が知っているか知りませんが、息子は学校には馴染めまず、生活の場でのトラブルを抱えていました。ものを作ることに関して息子は大変に饒舌ですが、彼が話していることを理解できる人は(私を含めて)ほとんどいません。そのため、息子は自信を失い、自分が駄目な人間なのだと考えることすらありました。2011年のMaker Faire Bay Areaで、息子はMakerたちの間を歩き回り、しゃべってしゃべって、しゃべりまくりました。そして息子がしゃべり終えたとき、私はそっとその人に息子が話していることがわかったかと尋ねました。すると、なんと、わかったというのです。その日から、息子は変わりました。息子はついに自分の居場所を見つけたのです。Maker Faireのおかげで、アリゾナ州立大学ポリテクニック校に、この秋、入学することになりました。
Joey Hudy はこう付け加えている。
あれはボクの人生と未来を変えてくれた。他の人と話したり、人を助けたりできる大きな自信を与えてくれた。
ホワイトハウスでマシュマロ砲と、「退屈なら何かを作ろう」という信念を披露して大統領を驚かすJoey Hudy
Super Awesome Sylvia(現在13歳。Joeyと同じく、Makerムーブメントの子ども大使として全国を飛び回っている)
Maker Faireは楽しくて刺激的なイベントです。私はいつでも人が作ったものを見るのを楽しみにしています。ほんとうにいい雰囲気で、人はみんな温かくて親切です。Maker Faireは私にたくさんの刺激を与えてくれて、おかげで私は自分の手でものを作るようになりました。Maker Faireは、ハンダ付けは恐ろしくないとうことを教えてくれました。そして家に帰ってすぐ、初めてのキットを作りました。Maker Faireはまた、私がウェブ番組を始めるきっかけにもなりました(Super Awesome Sylvia’s Maker Show)。これによって私は、失敗を恐れないこと、新しい考え方を拒絶しないことを学び、大切にするようになりました。
まだ幼いSuper Awesome SylviaとMakerの憧れ、Adam Savage
Christina Todd(Sylviaの母親)
うちの子どもたちは、夏休みを楽しみにするように、Maker Faireを楽しみにしています。子どもたちは、新しい光景を見て、ロボットや光の効果をいじったり、巨大な彫刻は芸術作品を見たり、発明家たちに会ったり、R2-D2に恥ずかしそうに手を振ったりを待ちきれない様子です。子どもたちは、世界をMakerの目で見ています。新しいものを欲しがらず、いつも自分で作ったり直したりしています。息子は、宿題の時間はいつも宿題をやらずにゴロゴロしながら鉛筆やら紙やらを使って何かを作っています。それには良いことであり、悪いことでもありますが、型にはまらない視点を持っていることは、良いことなんだと思います。Makerたちに会うと、年齢に関係なく、失敗のリスクや、たとえどんな奇妙なものであってもプロジェクトについて信念を語る姿勢に勇気がもらえます。自分に自信があるから、失敗しても評価が得られなくても平気でいられる、さまざまな年代のMakerたちには刺激されます。
James Todd(Sylviaの父親。子どもたちやMaker Faireでの体験について、素晴らしい考えを持っている)
Maker Faireは努力の結果を示す場所です。単にどれだけ頑張ったかではなく、そこに展示される物理的な作品が出来上がるまでに、どれだけの失敗を重ねたかも示しています。そして誰もが、このイベントに間に合うように、必死に努力しています。私は、問題解決の力と根気によってFaireに展示される素晴らしいものが作られていると、子どもたちに明確な形で伝えることができると確信していますが、それでも、そうしたものは教えられてわかるものではなく、自分の体験から学び取るものです。この数年間で、子どもたちは自分の手で自分が作りたいものを作るということの意味を深く知るようになりました。そこから、Makerたちがどれだけ努力しているかを汲み取ることができるようになったと思います。
Christina Toddと2人の娘、TalulahとSylvia
Quin Etnyre(14歳で自分の会社、QTechKnowを経営し、独自のArduino互換マイクロコントローラー、Qduino Miniを販売している)
Maker Faireは自分の人生の大きな部分を占めています。「Make:」の裏表紙で初めてMaker Faire Bay Areaの広告を見て、2011年に初めて参加しました。ボクは10歳でした。そして、そこで目にしたものにぶっ飛びました。いろいろなブースでハンダ付けをしたり、Massimo BanziからArduinoのレクチャーを受けたり。彼が話していることはさっぱりわかりませんでしたが、虜になりました。父はボクに『Intro to Arduino』とArduinoのスターターキットを買ってくれました。その2週間後に、Instructablesに初めてArduinoプロジェクトをアップしました。ボクの会社、QtechknowはArdino互換ボードを売る会社ですが、ボクはArduinoのすべてが好きです。Maker Faireには本当に感謝しています。あんなものは他にありません。そこでは、ボクが興味を持ったのと同じものに、興味を持つ人が大勢いることを知り、その人たちがひとつの場所に集まってきたと感じました。ボクは自分の居場所をみつけたのです! みんなと情報が交換できて、何を作っているのかを見せ合える最高の場所です。今、ぼくはMakerConにもはまってます。Maker Faireを通して、たくさんの凄い人たちに会えました。10周年おめでとう、Maker Faire!
Massimo Banziから直々にArduinoの手ほどきを受けるQuin
Kyrsten Mate(びっくりするような車を作ったり大道芸を、Jon SarriugarteとほぼすべてのFaireで披露している2人組の片割れ。彼らの娘、ZolieはMaker Faireと共に育った)
Maker Faireがなんなのか、Zolieの個性がどうなのかはわかりません。娘はみんなといることと、みんながしていることを見るのが、そしてものの動く仕組みを学ぶのが大好きです。それが好きな人たちと一緒にいることも大好きです。学んだり調べたりすることは、グループでやると楽しいということを知っているのです。
Maker Faireで育ったZolie
Valerie Woo(この秋、サンタクララ大学工学部に入る)
Maker Faireは自分の夢を実現させるための道を示してくれました。アートやクラフトもボクに私に微笑んでくれますが、テスラコイルには目を見張りました。Maker Faireのソーラーパネルや風力ロボットなどが、私の本当にやりたいことを教えてくれたのです。それは代替エネルギーです。代替エネルギーは驚異的工学への私の愛情と、デザインの面白さを合体させたものです。しかし、本当の魅力はその目的にあります。私は気がつきました。私の夢は代替エネルギーの仕事をすることだと。工学で世界を助けることです。代替エネルギーは、化石燃料などの限られた地球資源の使用を抑えます。これは地球環境に利するだけではなく、化石燃料が使えない人たちを救うことにもなります。Maker Faireは私にSTEM(理系教育)の素晴らしさと重要さ、そしてそれがどのように世界を変えるかを教えてくれました。それはまるで、凄いことがどんどん実現するアイデアのコンセントのようで、私は目眩がするほどの刺激を受けました。そこは、私の情熱を見つけ出し、みんなと分かち合う場所です。そこは、私の夢を追いかける場所であり、完全に満足できる場所です。
Jim St. Leger(Schuyler St. Legerとして知られる聡明な自然児の父親)
私たちは、Nova TVやニューヨークタイムズの記事でDavid Pogueの大ファンになりました。Schuylerは、Intel Galileoのプロジェクト“bug dropper”を展示しましたが、そのあと、息子はDavidにカードトリックを披露しました。それが元でDavidはカードやマジックにのめり込むようになりました。それは驚きの時間でした。Maker Faireに関してメッセージを寄せるとするなら、そこは「オープンでフレンドリーで魅力的」なところだということです。まったく例外なく、すべての人がヤル気満々で、プロジェクトを披露したがっています。細かいところまで公開し、考え方や難しかったところや欠点などもさらけ出しています。しかし何より重要なのは、作る楽しさを教えてくれるということです。
マジックとマイクロコントローラーについて語り合うSchuyler St. LegerとDavid Pogue
[原文]