マンハッタンに住んでいる間、私は、生活に必要なものは買わずに自分で作るという誓いを立てた。それから10年間をかけて、ニューメキシコの砂漠にオフグリッドの農場を作った。私はそこで、食料、薬、電力、燃料、建材、雑貨を作ることを学んだ。Makerとなり、自らの決断の影響力を知った私は、これまでになかった視点を手に入れることができた。消費者は、製品がどのように作られるのか、実際のコストはいくらなのかなど考える必要もない。
農場を作っているとき、私は新しいものを買わずに、不要品を使うことを決めた(それなら資源とエネルギーはすでに償却済みだ)。さらに、近くにあるものを選んだ。家の断熱材には、家から1マイルのところにあるリサイクルセンターから無料で紙をゆずってもらった。そこでは紙のリサイクルは行われていなかった(メキシコに埋め立てられる)。これは藁よりもよい選択だった。藁は製造時の二酸化炭素排出量は少ないものの、コロラドから輸送しなければならないからだ。私は紙を溶かして紙粘土にする方を選んだ。
Makerとして、私は生きていく上での決断を自由に下せるということに気がついた。これは、人生のコストを受け持つという決断があるにも関わらず、法律の制約の下で株主のために利益を出さなければならない企業にはない贅沢だ。この考え方から見えてきたものは、とても重要なことだった。私は、意味がどこから来るのかを学んだ。そして、価値とは何かを学んだ。今、私は、企業には提供できないものをMakerなら提供できることを知った。それは責任だ。これが価値のすべてだ。
私のニューメキシコのオフグリッド農場は、すでに完成している。あらゆるものが購入できるこの世界の中で、完全に自立した、商品を使っていない領域だ。その隅々には、これを作る過程で生き延びてきた生の記録が刻まれている。これとは反対に、企業の製造モデルの場合は金が第一で命が最後(もしあるなら)だ。買ってすぐにお払い箱になる。価値がない証拠だ。微妙なレベルでは、それは生存のための生活システム、つまり私たちの命の破壊を感じさせる。それに比べて手作りの品は、家宝として何代もの人に伝えられていく。
今日、私はMakerムーブメントの成熟度について考えた。子どもならメントスをコーラに入れたときがその入口となり、私たちは磁石でLEDを電池にくっつけてライトアートを作ったその瞬間にかならず起きる夢のような爆発だ。そうしたティンカリングは、なんでも自分で作れるということを知るために必要な段階だが、さてその次は? 私は、今の安価でパワフルで簡単に使えるようになった今の技術を使う私たちのことを、偉人たちはどう思うかをよく想像する。バックミンスター・フラーはメントスのショーを面白がるだろうか? カール・セーガンは、私たちのロボティクスの知識の使い方に対してどう言うだろうか? 現代、創造性に障害を持たない新世代が育っている。その力を使って食料や自然エネルギーが作れるよう、彼らに価値とは何かを、私たちは教えてやることができるだろうか? 地球上の生命の活力守るために必要な社会や生態の問題を解決できるよう、彼らに何かしてやれるだろうか? それとも彼らは、受け継いだものを無駄遣いしてしまうのだろうか? それは私たちにかかっている。私たちの子どもは、目標あるMakerになれるのだ。
私は、価値について学ぶ以前に農場の建設を開始したが、その途中で、自分の誓いに立ち戻り、材料や技術の選択によって世界がどう変わるかを考えた。それが、問題解決を永遠に楽しいものにしてくれた。深く考えるのは、学んだことが重要である証拠だ。私にとって、農場の建設は、単なる力仕事や問題解決ではなかった。それは熟考することだった。
偉人たちも指導者たちも、私たちを深く考えるように導いてくれている。テスラはこう言った。「科学が非物理的な現象を研究し始めたなら、10年でそれまでの数百年分の進歩があるだろう」アインシュタインはこう言った。「こうした基本的法則を発見するための論理的な方法はない。外観の影にある秩序を感じとることで直感するしかない」スティーブ・ジョブズは、「やらないと決めたことは、やると決めたことと同じぐらい重要だ」と言っている。私たちはMakerとして、自分たちのアイデアが影響を及ぼす世界のことを深く考えずして、次の段階へ進むことはできない。悲しいかな、私たちの文化は、世界について考えることを教えてはくれなかった。それは、私たちが生産するものに現れている。私たちの製品は毒物をあとに残す。私たちの資源の使い方は枯渇を招く。産業の発展こそが最大、最重要の課題で、豊かな暮らしや、幸せや、地球上の生命の存続などは二の次にされている。
今年、アレクサンドリア図書館、バグダッドの知恵の館、フローレンスのプラトン・アカデミーといった偉大なる図書館の伝統を受け継ぐある団体から、現代の社会と環境の必要に応えられる知恵を育む新しいツールセットを作る手伝いを求められた。私は二つ返事で快諾した。
そして、20人以上のメンバーたち(活動家、学者、作家、思想家、宗教家、芸術家、音楽家、識者)といっしょに、マルチメディア電子書籍の『The Seven Pillars: Journey Toward Wisdom』を製作した。これは総合的なメディア・エクスペアリエンスで、画像、オリジナル音楽、ナレーション、メディテーション、ビデオ、アニメーション、多数のマルチタッチ機能などが収められている。この本には、シュールレアリズムの画家、セシル・コリンズの作品も載っている。ジュリア・キャメロンの名著『The Artist’s Way(日本語訳『ずっとやりたかったことを、やりなさい』)』でアーティストとしての人生の過ごし方を説いているのと同じように、『Journey Towards Wisdom』でも、現代社会でどのようにして目的意識を持ち、アクティブになれるかを説いている。このプロジェクトでは、過去から伝わる知識と現代に適応した新しいパラダイムを合成している。これはMaker、想像する人、考える人、感じる人、科学者、エンジニア、ビジョナリー、哲学者のためのツールキットだ。これは、みなさんと、みなさんに続く人たちのためのものだ。これなしには生きられない。
ここに、いくつか試してほしいことを紹介する。これを楽しんでほしい。そうすれば、あらゆる人の利益となる内なるひらめきに導かれるだろう。
いかにして知恵を得るか
必要なもの
・質問について、ある程度の時間、たとえば1日とか、深く考えるという誓い
・オプション:紙と鉛筆
・開かれた心
・意味のある世界を作るために貢献したいという意欲
ヒント
・スローダウンすること。熟考する時間は、普段の生活とは違う速度で流れる。
・熟考することで、後の世代に天才と思われるような突然の閃きがあるかもしれない。
日常的に熟考する方法をマスターすれば、理解が広がり、気づきの瞬間が訪れる。ただし、気がついたことや閃きを紙に書くために熟考を中断してしまうと、プレゼンス(存在:知恵が現れるところ)からリプリゼンテーション(表象:エコー)の世界へと移動することに気をつけなければならない。息、天候、そしてあらゆる生物はプレゼンスに存在している。プレゼンスは、それが創発性であることで区別できる。月の出、月の入り、日の出、日の入り、風、音、肌に伝わる冷たい、熱いなどの感覚、息などはすべてプレゼンスで体験されるものだ。ハンダごてで火傷をしたとき、交流電気に触れてしびれたとき、その瞬間に感じた衝撃は記憶に止まらないことがわかる。プレゼンスに留まること。何かが広がるままにしておくこと。素晴らしい考えや感覚は記憶に残る。書き留めるのはあとでよい。
2つの熟考
1) 日常の会話のように、表面に現れるものは、その深層に神秘的な現象が隠れている。
一日に私たちは多くの人たちと出会う。その人たちを、なんでもない、ただの平凡な人たちだと考えるのはたやすい。しかし、表面的には日常のなんでもない会話でも、その深層にはミステリアスな現象が隠れていることを思い出そう。カール・セーガンはこう言っている。「私たちは宇宙の体験そのものであり、それだからここに存在している」と。出会ったすべての人は、生きる宇宙体験なのだ。あなたも。
行動
注意深く、共感しつつ、純粋な好奇心を持ちながら相手の話を聞き、答えよう。あなたの興味が相手の行動を変える。そして世界を感じよう。
質問(一日の終わりに)
これで、人と人との関わり方におけるあなたの役割において意識の変化が現れたか? どのように? 他人との関係に変化があったか? どのように? 熟考することによって新しいことが起きたか? 何が? こうした体験が知恵に結びついたか?
2) 知恵は私たち自身が存在する場所に固有のものである。
一日中プレゼンスに留まって、知恵はあなた自身が存在する場所に関連していることを熟考する。宇宙、足の下の地面、自分の息、自分の体の生命システム、そしてその感覚。見て、聞いて、感じさえすれば、私たちが暮らす文化とエコロジーのマトリックスから、常に情報が流れ出ていることがわかる。
質問
知恵を感じたら意識しよう。何が自分に示されているのかを熟考する。それがどれだけの体験と、世界への視点をもたらしたか?
内省
一日の終わりに、今日体験したことの周囲の状態を考える。何らかのパターンが思いつくだろうか? 外にいたか、屋内にいたか、穏やかだったか、活動的だったか? 息はどうだったか? 知恵が現れたところの状況を解析することで、賢く生きるためのスキルを開発できる。
本当の知恵は人それぞれに違うため、みなさんが『The Seven Pillars: Journey Toward Wisdom』のテンプレートを使って知恵を発見したかどうかは、私にはわからない。教えることもできない。方向を示して、発見させることしかできない。ただ、私にわかるのは、その知恵はリビングネスに根ざしており、そのため、そこで創造されたものすべてに、そして知恵との接触により導かれるものに意味があるということだ。そこに価値がある。この世界にも希望はある。本当の自然には活力がある。カール・セーガンに相談できたとしたら、彼もかならず同じことを言うだろう。その2つの結果の間に立つものは、人間の行動であり、我々の後に続く 何世代にもわたるMakerの知恵を得るための能力だ。私たちがそこへアクセスする時がきた。
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