私は教師だ。数週間前、もしあなたが私の教室を覗きに来ていたら、生徒たちの反乱の様子が見られただろう。生徒たちは教室内を走り回り、机や椅子はひっくり返り、ゴミがテーブルや床の上に散乱し、丸めた紙が大きなスリングショット(パチンコ)によって、猛烈な速度で正確に打ち出される。しかし、よく見れば生徒たちの顔には幸せそうな笑みが浮かんでいることがわかる。そして教師も愛情と誇りの表情がうかがえるはずだ。その教師とは、私のことだ。
説明しよう。私は高校の“問題”生徒を対象にした特別教育コースの教師だ。ドロップアウトして問題生徒とレッテルを貼られてしまった子どもや、学校に規律に適応できずに卒業単位を取得できなかった子どもたちが集められている。家庭に問題があって毎日学校に来ることさえ困難な子どもたちもいる。生きていくので精一杯で、学校は二の次になってしまうのだ。絶望、不安、注意欠陥多動性障害や注意欠陥障害、反抗挑戦性障害、肉体的障害などを抱える子どもたちが私のクラスに集まってくる。どの子どもも、それぞれ異なる事情で“問題児”とされているのだが、彼らは毎日、かんしゃくを起こし感情を爆発させる。つまり、学校でいちばん勉強が苦手な子どもたちを預かっているわけなのだが、私は、あの手この手で彼らに学ばせる工夫をしたり、同時に学ぶことの楽しさを教えることにやり甲斐を感じている(というか少なくとも楽しんでいる……少しだけ……ときどき……お願いだから)。
そんなわけで、その日、子どもたちにスリングショットを作らせて教室を大混乱にさせた結果どうなったか? 行動に問題のある子どもたちに、武器とも取れる代物を作らせることにしたのはなぜか? とにかく、子どもたちに何かを作るチャンスを与えたかったのだ。それは、ほんの簡単なアイデアから始まって、それが魔法のように、子どもたちを取り込んでいったのだ。
私のクラスのスリングショット作りは、勉強を拒否したある生徒がきっかけで始まった。彼はイスをひっくり返して机の上に載せ、イスの2本の脚の間に、体育で使うゴムバンドを引っ掛けた。バンドは非常に強力で、それを使って彼が打ち出した鉛筆は、壁に当たって粉々に砕けた。鉛筆を破壊したあと、その生徒は、私に怒られることを期待して、私の顔を見た。期待通り私は怒った。しかし同時に私は、彼に勉強をさせる機会をそこに見いだした。「これを見て」と私は自分のコンピューターに戻り、Maker Faire Bay Areaで見たものの写真をみんなに見せた。Community Science Workshop Networkが出展したスリングショットだ。土台があり、2本の塩ビパイプと輪ゴムと小さなプラスティックのコップで構成されている。「輪ゴムとコップを取ってくるわね。あんまり危険じゃないものが作れるはずよ」他の生徒たちも興味深げに写真に見入っていた。
それから1時間、イスを使ったスリングショットを2つ作って遊んだ。作ることに参加すると、素晴らしいことが起きる。まだ気がつかない人のために説明しておこう。たとえば、生徒たちは社交的スキルとチームワークを学んだ(私のクラスではとても重要なレッスンだ)。アイデアを出し合い、壁に丸めた紙を当てるという共通の目的に向かって見事に協調していた(とても珍しいことだ)。彼らは、私が提示した基本ルールとガイドラインに、文句を言わずに従った。それは、人に向けて撃たないこと、軽量コンクリートブロックの壁の塗装を剥がすようなものを撃たないことだ。
狙っているところ。
また、私の生徒たちは、仕事を完成させたいといフラストレーションからパワーを得ることを学ぶことができた。ちょっと難しいと、すぐに諦めて放り出してしまうのが私のクラスの生徒たちの通常の行動だったのだが、私が見ている前で、彼らは自分の頭で考え、問題点を解決して、スリングショットを完成させていった。ある生徒は、スリングショットの命中精度が低いことにイライラしていた。そこで彼はデザインの変更にとりかかった。教室にはプラスティックのコップがひとつしかなかったので、彼は他の生徒が飲んでいたソーダの空き缶を取ってきて、それを使って作業を行った。そして彼は素晴らしいスリングショットを完成させ、みんなの注目を浴びた。
私の生徒たちは、自信に満ちた顔でスリングショットを他の教師や生徒たちに披露した。自分のFacebookで自慢する生徒もいた。彼らがさまざまな技術を試しながらスリングショットを作ったり遊んだりしているときに、私は、密度や軌道といった科学用語を挟み込むこともできた。物理の教師なら、これを理科の勉強に持ち込んだところだろうが、私の重点は、仕事をやり遂げること、チームワーク、創造的な問題解決という社交的スキルにあった。
その日は、すべての予定をこなして終了した。生徒たちは、私が何も言わなくても自発的に教室を掃除してくれた。私は、こうしたタイプのクラスを受け持つことができて幸運だと思っている。今回のような思い付きの機会を活かして子どもたちに物を作らせ、通常の教室で要求される基礎学力とは関係なく、何かを学ばせることができるからだ。じつは、私のクラスはOpportunities(好機)と呼ばれている。私はここで教師として学びながら、たくさんある機会のうちのひとつとして、作る機会を生徒たちに提供していきたいと考えている。
– Lisha Kraft
[原文]