2015.04.30
Makerムーブメントを振り返る:第1回Maker Faire(と初期のMakerムーブメントを支えた人々)
今から10年前の4月22日と23日、「Make:」という名の「余暇のテクノロジー(Technology on your time)」雑誌の血気盛んなスタッフたちが、広大で、まだ閑散としていたサンマテオのイベント会場に降り立った。どれだけの人が集まるのか、この薄曇りの週末がどんな展開になるのか、まだ誰にも想像がつかなかった。だがスタッフはこれから起きることに興奮を覚えていた。土曜の朝、入り口が開くと、人々が流れ込んできた。Maker Faire(そしていろいろな意味でMakerムーブメント)が走り始めた。
その週末の終わりには、たっぷりと刺激を受け疲れ切った主催者たちは、何かが動き始めたことを感じていた。何か、とてつもなく大きくてすごいことが。「Make:」創設者の一人で編集長のMark Frauenfelderはこう振り返る。「スタッフも見学者たちも、誰一人として何が起きるかわかっていなかった。結果としてMaker Faireは、私たちの想像を超える素晴らしいものとなった。それはまさに、私たちの種族のウッドストックだった。何百、何千という私たちに新しい生き方をもたらすラブフェストであり、キックオフイベントだった」
当時のウェブサイトの編集長だったPhillip Torroneは、あの驚きの週末のことをこう振り返っている。「私たちは当初、2000人集まればラッキーだと考えていた。しかし午後1時には1万人がひしめくようになり、会場を埋め尽くした。翌日は2万人が訪れた。そのときこう感じたのを覚えている。オーケー、これは大きなものとして定着するぞ、と。私たちはもっと大きな船が必要になる。みんなこう言っていたよ。しゃべりすぎて声が出なくなったって」
「感動したのは、編集者、ライター、デザイナー、発行人たちがみんなであのすごいイベントを成功させたことです」と語るのは、本誌で漫画を担当しているイラストレーターのTim Lillis。「本当に「Make:」に生命が吹き込まれた感じがした」
「あの週末、私の人生にいくつもの変化が訪れた」と語るのは、MakerのKen Murphy。「あのイベントで発表したBlinkybugプロジェクトは、Maker Shedで発売された最初のキットのひとつになった。Maker Faireを機に、いろいろな体験やチャンスが重なった。実際、自分の時間とエネルギーの使い方が変わったし、仕事も変わった」
この最初のイベントからは、多くのMakerビジネスがスタートした。そして多くのMaker Faireがこれに続いて開催された。オークランドのデザインスタジオ、Because We Canの共同オーナー、Jillian Northrupは、2006年のMaker Faireの興奮を今でも覚えている。「ビジネスを立ち上げたばかりだったが、昼間の仕事は続けていた。本当に始めたばかりだった。出展許可の案内をもらったとき、こう思った。わお! ブースを手に入れた。本当の会社みたいだ、とね」
「私たちの工房はCNC for Couplesという名前です」とJullianのビジネスパートナー(で夫の)Jeffrey McGrewは続ける。「最初のMaker Faireで素晴らしい人たちにおおぜい会い、彼らは一生の友だち、未来の協力者、未来のクライアントとになりました。あのイベントが私たちの人生を大きく変えたのです」
最初のMaker Faireで、「Make:」の創設者、Dale Doughertyはサンフランシスコ湾岸地区の技術教育者であるMichael Shilohに、Make Play Dayをやろうと持ちかけた。工具と電子系のジャンクがたくさん置いてあって、子どもや家族が材料を集めて自由にものを作ったりハイテクアートを作ったりできる部屋だ。そこは大成功だった。いろいろな意味で、その後のMaker教育活動の種を蒔く形になった。それは、今のMaker Faireで開催されているLearn to Solder(ハンダ付け教室)テントや、Maker Education Initiative などにつながっている。
以前、O’Reillyに勤めていたBruce Stewartは、最初のMaker Faireをこう振り返る。「当時11歳だった息子のKindyといっしょに入り口に向かって歩いているときのことを覚えている。そのときすごく大きな音がして、足が止まった。入り口の近くのどこからか、炎が吹き出したんだ。Kindyは高く吹き上がる炎を見上げて、私を振り返り、そちらのほうへ走っていった。入り口を入る前に、すでに彼は虜になってしまっていた。ロボット、レゴ、炎、爆発、そして素晴らしい「Build what you want out of this e-junk(電子ジャンクでなんでも作ろう)」の部屋の間を行き来して、彼は天国にいるような気分だった。そして私は、これは子どもにとって非常に楽しく刺激的な体験になると思った」
Phillip Torrone(やその他の「Make:」関係者)は、Maker Faireに刺激を受けたという若者たちからよくメールを受け取る。「大人にとっての10年はそれほど長くないかもしれないが、最初のMaker Faireを訪れた子どもたちは、今20代になっている。彼らはよく私にメールをくれて、それまでは不可能だと思っていた道へ進むきっかけをMaker Faireが作ってくれたと話してくれる」
Evil Mad Scientist LabのLenore Edman(と夫のWindell Oskay)が、Maker FaireとMakerムーブメントを通ってきた道は、ムーブメントの軌跡そのものを表している。「私たちは、インタラクティブなLEDダイニングテーブルを最初のMaker Faireに持ち込みました。多くの人からそれを作りたいと聞いたので、塩ビでキットを作ったのです。それが、今のビジネスを始めるひとつのきっかけになりました。National Robotics WeekにWhite House Easter Egg RollでEggBotを展示するまでの10年間を駆け足で振り返ると、それはMaker Faireに方向付けられた旅だったように思われます。つまり、私の人生はものすごく楽しいということです」
MakerBotの共同創設者であり前CEOのBre Pettisは、第1回Maker Faireのときは「Make:」のビデオポッドキャスターだった。彼もまたみんなと同じく、多くのMakerたちが旅だったあのまばゆい週末に刺激を受けたが、Makerムーブメントまでの道のりはまだまだ長いという。「次の世代の子どもたちがもっとクリエイティブに、自立して、エンパワーされるための刺激は、まだまだ足りないと思う。まだまだやるべきことがある。私は、クリエイティブな冒険にもっと力を与えるようにがんばっていくつもりだ。「Make:」が創刊された当時、その宣伝文句は「余暇のテクノロジー(Technology on your time)」だった。
それはホビイストをターゲットにしていた。今は、KickstarterやRaspberry PiやAdafruitなど、作りたいという欲求を製品や仕事につなげるための道がたくさん用意されている。今はMakerでいることがエキサイティングな時代だ」
というわけで、最初のMaker Faire、その後10年、これから10年、そしてどんどん拡大する 「Maker 族」に乾杯!
[写真:Scott Beale/Laughing Squid]
「Make:」創設者で編集長のMark Frauenfelder。ウクレレで遊ぶ
お掃除ロボット、ルンバのハック方法を教えるPhil Torrone
Trademark Gundersonのデモを見に集まった人々
思い出深いセグウェイポロ。プレイヤーのひとりは誰あろう、Apple の共同創設者、スティーブ・ウォズニアクだ。
Make Play Dayでハイテク・ティンカリングを楽しむMaker。第1回Maker Faireのいちばん人気のコーナーだった
Electronic Frontier Foundationのチャリティーブースで水をかぶるウォズ
Because We CanのJillian Northrup。あの週末を象徴する写真だ
Adafruitの創設者、Limor Friedがすごく若い。最初のシンセサイザーキット「x0xb0x」を展示している
電気キリンのRussell。2006年のMaker Faire Bay Areaで初登場し、以来、Maker Faireの象徴となった。彼はWhite House Mini Maker Faireにも参加し、大統領と会っている
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