2018.07.19
ウェアラブルとウェアラブルの隙間を縫い合わせる
「ウェアラブル技術」の教授をしていると、一般の人たちにこの言葉を説明するのが困難であることに気づく。DIYエレクトロニクスのコミュニティでは、ファッション・テックやホビイストによるウェアラブルが中心で、一般消費者家電としてのウェアラブル電子製品とはズレがある。素材からデザインに至るまで、そのプロセスは根本的に違う。私は、これらがもっと活発に近づくべきだと考えている。
DIYエレクトロニクスが私たちの体に馴染んだ物理的な形になるきっかけを作ったArduino LilyPadマイクロコントローラーボードが登場して11年。今私たちは、創造性と人間主義的な形態言語の大いなる収束により、DIYウェアラブルという言葉が形成されるときに来ている。それは、こうしたボードによって実現され、家電製品に反映されてゆく。
Lindy WilkinsとHillary PredkoによるLittle Dada(littledada.ca)製作のAndroid Apparatus。モデルはVanita Butrsingkorn
DIY:体のためのデザイン
私は、トロントのいくつかの大学で、ウェアラブル技術をファッションからサイボーグへという文脈の中で教えている。そこで私は、学生たちの突飛で奇抜なデザインの練り直しの工程を指導している。私たちは、自分たちが共通して持っているごく普通の性質にこだわる傾向がある。その性質とは「体」だ。教室の誰もが、動き回ったり服を着るといった行動を、自分のこととして捕らえることができる。
体のためのデザインは、画面や紙やインタラクティブ空間の上でのデザインとは根本的に異なる。ひとたび電子製品を身につけるようになると、すぐに、服や靴やアクセサリーとのデザインのバランスが気になり出す。それだけ、こうした品々のデザインが私たちの日常の動きや活動に密着しているということだ。
そこでは、導電性の生地や回路の縫い方を教えているが、電子部品の形は、形態言語の一部(特定のデザイン文脈の中にある特定タイプの形状)として重要であることも教えている。私たちの体は滑らかなエッジや曲面が多いのに対して、電子部品には鋭いエッジや尖った部分が多く見られる。Adafruit FloraやArduino LilyPadなどの縫い付けて使える電子基板は、平坦で丸いフォームファクターに縫い付け用のコネクターを持たせるなどして、私たちの体になじみやすい形態言語を使うことで、電子部品と衣服とのギャップを埋める手助けをしている。
DIY愛好家が入手できる現代のウェアラブル技術のためのツールには、「ソフト」な電子回路を作るためのクラフトや手作業の技に依存したものが多い。糸(導電性)を紡ぐ方法、ハンダ付け、センサーの作り方を教えていると公言できる講座は少ない。私のウェアラブル技術の講座では、伝統的なクラフトの技と最先端のテクノロジーを融合させている。その連続体の中で自分がもっとも落ち着く場所を見つけられるよう、学生には広い幅を持たせている。彼らが作るデバイスは、概念的であったり、抽象的であったり、または純粋にファッション哲学的であったりする。
消費者:ムーアの法則のためのデザイン
当然ながら、それをどう「実現」させるかという疑問が湧く。導電性素材と丸いマイクロコントローラーとを手で縫って作った作品を、いかにして市場に出回らせることができるのか?
ショッピングサイトで「ウェアラブル」と検索すると、腕時計やフィットネス用の機器が出てくる。それは私たちが教室で作っているものとは、ずいぶん毛色の違うものだ。ここに、ウェアラブル技術を取り巻く文化の裂け目を感じる。ウェアラブル技術の大半は、人の手首に載っかっている。そこに装着するのが楽だからだ。縫い付けられる電子部品や柔らかい電子回路は、ほとんどが置いてけぼりになっている。
私たちは、固い電子基板とフラットパネルという同じ方向を向いて技術を作り上げてきた。それは大きな成功を収めたが、私たちの体はフラットパネルを心地よいと感じていない。
市販のウェアラブル機器は、体にどれだけフィットするかよりも、どれだけ小型化するかに大きな労力を割いている。小型化への集中が可能になったのは、技術は驚異的な速度で小型化すると同時に高性能化するというムーアの法則のおかげだ。
収束?
私たちが、意識して、自分の体をインターフェイスとして見るようになり、ユーザー中心の考え方でデザインをするようなったのは、ここ10年ほどのことだ。その理由のひとつに、急速な技術の小型化がある。
テクノロジーを体の一部にしたいと思えば、それは自分自身の延長でなければならない。それは、技術と美観を同時に考えることになる。市販のウェアラブル機器では、びっくりするほどパワフルな技術ながら、身につけるものとしての特別な概念や形態言語がほとんど見られない。たとえばMuseヘアバンドだ。大変に面白い脳波センサー技術で、驚くほど侵襲的だが、有意義な使い道がない。
実験的なKickstarterキャンペーンが立ち上がるたびに、すべてを変えると約束するが、それが世の中に残ることは極めて少ない。技術の動きは非常に速い。しかし、私たちの体はとても神経質だ。ほんのわずかな不快感が、その技術を台無しにすることがある。
私たちは今、ウェアラブル技術のハイプサイクルの中でも、面白い時点にいる。初期においては、熱狂の曲線が技術の瞬間的な急伸を上回る。無数の発明品が現れるが、その直後、いわゆるイノベーションが誇大広告の内容と異なることを人々が知り、急落する。Google Glassがいい例だ。それを乗り越えて、やっと私たちはその技術を客観的に見ることができるようになり、有効な用途を発見し、広く受け入れられる製品が生まれる。
幸せにも、今私たちはウェアラブルの熱狂の最初の段階を抜けつつある。スマートウォッチやフィットネストラッカーは、夢のようなギミックに代わって一般的になりつつある。その美的形状も、ウェアラブルデザインコミュニティによって敷かれたルールを尊重する形で変化しつつある。Fitbitのようなブランドは、伝統的な腕時計のデザインから、Flex 2に見られる滑らかで丸みのあるデザインに分化している。それは、形態言語と情報表示の中間のバランスがよくとれた形だ。
しかしそれでも、「ハード」と「ソフト」のエレクトロニクス・コミュニティの分断は残っていて、問題は尾を引いている。実験的なウェアラブル技術の愛好家が使用する素材は、一般の市場では、事実上、手に入らない。これが、悲しいことに、まったく異なる考え方でウェアラブル電子機器が作られるという結果をもたらしている。そこを、もっと縫い合わせられるはずだと私は考えている。
Little Dadaの「Re:Familiar」(The Drone Dress)では、人間ではない実在との潜在的な関係性を模索している。魔法使いの「使い魔」(Familiar)のように、ドローンが召し使いとスパイと友だちを兼ねている。この作品では、Parrot ARドローンがモデルの跡を追い、彼女の周囲に広がるドレスの裾を持ち上げ、シルクシフォンを波打たせている。
このドレスは、光輝塗料で覆われたEternetケーブルで作られたボディスーツ、優美な紫外線LED、送風機で構成されている。私たちは、情報交換の要点となるサーバールームと体との関係を改めて考えてみた。モデルはCarmen Ng。
Android Apparatusは、光るサイバーアーマーだ。エアリアルフープのパフォーマー(Lyra)に黒いレオタードを着せて、それに合わせて取り付けてある。服に仕込んだ加速度センサーに反応してLEDが光る。彼女がパフォーマンスを始めると、LEDは、体の動く大きさや強さに応じて明るさや色を変化させる。
彼女の動きを邪魔することなくパフォーマンスを強調するよう、私たちは、彼女の体のどこがフープに接触しているかを示すヒートマップを作成した。利き手ではないほうの腕や胸はフープに接触しないので、そこがアーマーを装着する理想の場所となった。
また、視覚化した加速度センサーのデータをパターンと結合させ、レーザーカットして試すということを繰り返した。完成したパターンで、野菜で染めた革をレーザーカットし、従来型の皮革モデリング技術を使って作り上げた。
[原文]