2013.05.31
Arduino共同創設者のMassimo Banziによる新連載 ─ Arduinoで未来をMakeする
今、DIYエレクトロニクスの世界でいちばんホットなものは何かとMakerに聞けば、みんなArduinoと答えるだろう。2005年に初期のボードができたときから、このオープンソースツールを使って学生たちはインタラクティブなデザインプロジェクトを開始した。このプラットフォームは世界的な現象となり、世界のMaker、ハッカー、アーティストたちの創造力に火をつけた。早い話が、ArduinoはMakerとMakerコミュニティーの間で非常に大きな存在だということ。ここに、MAKE Vol. 32に掲載された、Dale DoughertyによるArduinoの共同創設者Massimo Banziのインタビュー記事(英語)がある。
そのMassimoがMAKEに月1回の連載コラムを書いてくれることになった。タイトルは『Arduinoで未来をMakeする』だ。今日、この知らせを書くだけでワクワクする。MassimoはArduinoに対する彼のユニークな視点で話をしてくれる。Arduinoの開発裏話、新製品、Arduinoファンがみんなでできるエキサイティングなプロジェクトなどだ。まさに今日の第一回目のお題は、エキサイティングなArduinoの新製品の紹介。
それでは、Massimoに登場願おう。
– Ken Denmead(MAKE編集ディレクター)
Massimo:1年間の奮闘、実験、テスト、あれやこれやの末、やっとこのロボットが完成したことをお知らせできてうれしく思う。Arduino Robotは、Maker Faire Bay Areaで初めて公開され、そこで私が機能を説明し、みなさんもそれで何ができるのかを体験していただける。だが私たちは、この新製品をただ披露したいわけではない。新しい、予想もしなかった道へ進むために、「Tinkering(機械いじり)」がいかに大切であるかということを伝えたいのだ。そこで、Arduinoの共同創設者であり、我々のチームの一員でもあるDavid Cuartiellesの話を紹介したい。彼はこのロボットにひとかたならぬ心血を注いでいる。彼にその誕生のいきさつを聞こう。面白いこと請け合いだ。
最初、私はロボットが嫌いだった
David:2009年から2011年にかけて、私はメキシコシティーでCentro Cultural de España(スパニッシュ・カルチャーセンター)が開催したComputer Clubhouse Faro de Orientにおいて、教育プロジェクトを担当していた。私の役割は、エレクトロニクスのクラフトをコンピュータークラブハウスの6歳から18歳の子供たちに教えること。最初、私は、地元のフリーマーケットで探してきたものを使って楽器を作るというワークショップを続けて行っていた。
子供たちが、エレクトロニクスやプログラミングに慣れてきたころ、私は子供たちに、彼らの夢のプロジェクトは何かと尋ねた。ワークショップの参加者は25名ほどの男女だったが、年齢や性別を問わず、全員から返ってきた答は……、ロボットだった。
正直なところ、私はロボットの専門家ではない。そのころはそうだった。動き回って私の代わりに仕事をしてくれる機械に興味を持ったことなど一度もなかった。エレクトロニクスには、ロボティクスよりも楽しいものがいっぱいあると思っていた。だが、クラブハウスの子供たちの要求には従わないといけないともわかっていた。そして私の使命は、メキシコシティーで手に入る材料を使って、簡単に複製できるロボットの開発ということになった。
Xun YangとDavid CuartiellesがClubhouse Faro de Orienteのために開発したOh_Ohロボット。
私はこのプロジェクトにXun Yangを加えることにした。当時彼は、K3(マルメ大学 School of Arts and Communication)の修士課程の学生だった。私たちは、簡単な基板で、手で組み立てられるロボットの開発を開始した。それだけではない。子供たちがロボティクスを楽しく学ぶための、いろいろな活動も考えたのだ。ロボットを動かすことから、床にマーカーで文字を書くといった内容だ。そしてそのデザインをオープンソースにして、Arduino互換にした。
F1から教育ロボットへ
私は、私たちの活動を私の研究ブログに記していった。するとそれがすぐにロボティスクコミュニティの反響を呼んだ。今読み返してみると面白い。私のロボットに対する考え方が、次第に変わっていくのがわかる。教育ロボットが、子供たちを科学へ導く最高の入門ツールになると私は考えるようになった。私たちはいろいろな意見をもらった。それは私たちのプロジェクトに大いに役に立ち、改善を促した。ロボティクスのコミュニティは非常に活動的で、その人たちは、知識を分かち合いたいと強く思っている。
私は研究に専念し、目に付いた本はすべて買い込んだ。なかでも私のお気に入りは、Lee Gutkindの『Almost Human: Making Robots Think』だ。この本を読んで、私は現代のロボティクスの背景をたくさん学んだ。この分野でもっとも大切なこともこの本に教えてもらった。その中で、私の興味を惹いたものとして、RoboCup大会の起源に関する話があった。それは、問題解決のための、できる限り最高のソフトウェアを開発するよう人の知性をけしかけるものだ。RoboCupの運営者たちは、世界大会のために3つの挑戦を用意した。
- サッカー:全員が同じルールで競うゲームだ。とてもわかりやすい。だが、ボールを追いかけてゴールするロボットの技術はみなそれぞれに違う。
- レスキュー:迷路のような場所で部品を集めながら競い合う。
- ダンス:そう、ロボットだって踊れるのだ。
プロジェクトの進行中に、いろいろないきさつから、私たちはComplubotという、NereaとIvánの2人のスペイン人子供チームと出会った。彼らは、コーチのEduardoとともに、RoboCupワールドシリーズ・ジュニア部門(高校生対象)のサッカー Bカテゴリーを闘い、優勝してきた。
ある意味、RoboCupはロボティクスのF1だ。毎年、大会運営委員会は、前年よりも少し高度なルールを設定する。チームは1年をかけて、より速く、より軽く、より高性能な人工知能ロボットを開発する。RoboCupの素晴らしいルールに、試合開始前、各チームが他のチームに対して、ハードウェアとソフトウェアを公開して戦略を説明するというものがある。
試合相手に手の内を公開するなどという、これ以上のオープンソースがあるだろうか。これは技術だけの問題ではない、自分たちの長所を説明する訓練にもなる。12歳の女の子が、チームといっしょになって、どうやってArduino Mini 4個とArduino Megaひとつで情報を共有し、ロボットを作り上げたかを説明してくれる、そんな光景を思い浮かべてほしい。本当に驚くべき体験だった。
プロがドアを叩いた
初めて会ったとき、NereaとIvánはすでにRoboCup大会に3回優勝していて、4回目に挑戦しようとしていた。私がマドリードを訪れたときに、少し話ができたのだが、そのとき、私たちはいっしょに何かをやるべきだと感じるようになった。彼らは、4000ドルも部品代にかけた、複数のプロセッサーを使ったロボット作りに慣れていた。Arduinoでは、誰もが教育ツールが使えるようにと、できる限り安いものを作ろうとしている。そのため、私のゴールは、Complubotのニーズに応えられる、Arduino価格のロボットをデザインすることと決まった。
私はこのアイデアを、Arduinoチームの仲間に話し、Arduino Robotの開発に着手した。プロジェクトのコードネームは「マペットショー」の登場キャラクターからとったLottie Lemonだ。2011年の始めに、私は最初のボードを設計し、手でマウントした。そこから、長い長いイテレーションが始まった。コンセプトが実証されると、ハードウェアの師匠、Gianluca Martinoがそれを引き継いでくれた。おかげで私たちはソフトウェアに集中できた。
David Cuartiellesが最初にデザインしたArduino Robotの初期のプロトタイプ。
次の年は、数多くの改良が加えられた。発見したバグをなんとか処理するたびに、新しい機能のアイデアを思いつき、価格を上げることなく性能を上げていった。コントロールボードは7回作り直した。モーターボードは9回交換した。オペレーティングシステムは、ロボティクス入門に最適と思われるものになるまで、7つのバージョンを作った。こうした工程の終わりに、私たちはXunをチームに呼び戻し、人々がロボティクスの世界を探検できて、この話の最初に私たちに刺激を与えてくれた子供たちのように、ロボット操作の基本を楽しく学べるいくつかのチャレンジを作るよう依頼した。
線をトレースするArduino Robotの高い性能を見てほしい。
Massimo:この3年間で、ロボットについて何も知らなかったDavidは、教育用ロボットに強い興味を持つアマチュアのロボティストに変わった。Arduino Robotは、科学を楽しく学ぼうとする人たちの国際チームによる協同作業の結果だ。Arduinoは車輪を得た。さあ、いっしょに乗ろう!
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