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2019.09.26

「Maker Faireを持続可能にするには?」セッションレポート、そして議論の今後の展開について #MMFS2019

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編集部から:この記事は、小林茂さん(情報科学芸術大学院大学[IAMAS]産業文化研究センター 教授)に執筆していただきました。


(Photo: Tomofumi Yoshida)

2019年8月3日、4日、二日間に渡って東京ビッグサイトで開催されたMaker Faire Tokyo 2019メインステージ最後のセッションとして「Maker Faireを持続可能にするには?」が開催された。久保田晃弘さん(多摩美術大学 情報デザイン学科 教授)、田村英男さん(オライリー・ジャパン)、小林茂(情報科学芸術大学院大学[IAMAS] 教授、Ogaki Mini Maker Faire総合ディレクター)の3名が登壇し、日本におけるMaker Faireの変遷、現状、持続的に運営するための課題について鼎談形式で議論した。このセッションは、Maker Faire Bay Area / New Yorkの休止や、それらを運営していたMaker Media社の体制変更など、Maker Faireを取り囲む状況に転機が訪れている状況に応答したものである。この記事では、当日のセッションの要約に、その後、田村さんに追加で行ったインタビューの内容をくわえつつ、Maker Faireを持続可能にするには? という問いについて考えてみたい。なお、セッション当日には今村勇輔さん(@yimamura)によるTwitterでのテキスト中継が行われ、関連ツイートやプレゼン資料へのリンクも含めてまとめられている(鼎談「Maker Faireを持続可能にするには?」 #MMFS2019)。


(Photo: Yuka Ikenoya [yukai])

日本におけるメイカームーブメント

2005年1月、雑誌「Make:」の創刊と共にDale Doughertyが「Makers」および「Makerムーブメント」という言葉を提唱、2006年4月に最初のMaker Faireがベイエリアのサンマテオで開催された。日本では翻訳記事に日本語版独自の記事をくわえた『Make: Technology on Your Time Volume 01』が2006年8月に発行、2007年4月に「Make: Japan Blog」が開設、2008年4月にMaker Faire Tokyoの前身となるMake: Tokyo Meetingが開催された。この時はまだ、出展者30組、来場者約600名、インターナショナルスクールの体育館と運動場を借りて開催という、小規模で手作りのイベントだった。なぜMake: Tokyo Meetingをはじめたのかについて、田村さんは次のように語った。

そもそも私の本業は編集者でイベントが専門ではなかったのですが、Makezineの記事を翻訳するために選んでいるときにMaker Faire Bay Areaなどの様子を見て、単純に向こうで楽しそうなことをやっているし、「Make:」日本語版の筆者や翻訳者の方はすごい面白い方がたくさんいるので、リアルに集めたらすごく楽しいことが起こるんじゃないか、と素朴に考えたんです。もう一つは、イベントがこんなに大変でリスクがあるんだ、というのをまったく知らなかったんです。今の経験から当時の自分に何か言える言葉があれば「やめとけ」という感じだと思うんですけど(笑)。あと、編集者には紙媒体が右肩下がりで何かやらなくちゃいけなくて、電子書籍は既にたくさんの方が色々な形で関わられてたので、ということも背景でした。最初の頃に「Make: Tokyo Meeting」という名称を使っていたのは、「Maker Faire」を名乗るのはおこがましいんじゃないか、と思っていたからなんです。

このように、草の根で手作りのイベントとして始まったMake: Tokyo Meetingは、同年11月に久保田さんが所属する多摩美術大学で第2回が開催された後、約半年ごとに開催を継続、2011年12月に開催された7回目では出展者約260組、来場者約12,000名まで成長した。さらに、2010年9月に大垣で、2013年8月に山口で地方版が開催されるなど、東京以外へも拡がっていった。そして、2012年11月に初めてMake Faire Tokyoとして開催されることとなる。


「Maker Faireを持続可能にするには?」の資料として作成した「The Maker Movement in Japan

最初のMake: Tokyo MeetingとMaker Faire Tokyo 2019を比較すると、出展者が30組から約360組と約20倍、来場者が約600名から約22,000人と40倍近くに拡大し、スポンサーは0社から60社以上と、緩やかではありながらも11年間で着実に成長してきたことが分かる。この数字は日本においてメイカームーブメントが着実に成長してきたことの証でもあるが、主催者の立場で見た時にはどのようなことが起きていたのだろうか。

続けてきた理由はシンプルで、出展者や来場者に楽しんでいただけたことで、ある回の来場者が次の回に出展者になる、隣同士にいた出展者が次の回には一緒に作品をつくる、といったサイクルが目に見えるようになってきて、これは続けていく意味があると思えたからなんです。2008年から2011年の間は、とにかく支出を減らすことを考えました。収入は書籍、グッズ販売、スポンサー数社からの協賛金だけでしたので、無料の会場をお借りして、ボランティアやアルバイト中心の運営でした。出展者や来場者が数倍に増えた状態で同じような運営を続けた場合、事故が発生する可能性も想定されたため、有料会場を使用し、運営体制を強化することを決定し、ここからMaker Faire Tokyoになりました。

その後、2012年から2018年にかけて、会場費、レンタル費、協力会社への支払いなど支出が激増しました。最近の来場者の中心であるファミリー層はオライリーの書籍やグッズをあまり買わないこともあり、収入はスポンサー費と入場料が中心で、現状ではなんとかバランスしています。しかしながら、スポンサー費に依存すると、現在のスポンサーさんが今後もずっと継続する、という楽観はできないため、リスクがあります。また、最低限のスタッフで運営しているため、運営の安全面の確保などの必要なこと、また企画や広報などのやりたいことができないという状態でもあります。会場面積が増えると、会場費、レンタル備品代、電気工事代などすべての経費が上昇することもあり、単純な規模拡大は難しいんです。こうしたことから、今後も継続的に開催するには収入源の多様化が必要だと考えています。


Make: Tokyo MeetingとMaker Faire Tokyoにおける出展者・来場者数の推移。2012年にMaker Faire Tokyoとなった時に入場料が有料となったことにより一時的に落ち込んだが、それ以降は再び増えている。

Maker Faireを持続可能にするための課題

田村さんがMaker Faire Tokyoの課題として共有した内容は、ローカル版のMini Maker Faireにも共通する。Ogaki Mini Maker Faireは2018年12月に開催した5回目で出展者約140組、来場者約7,000人と、東京と比較すると約1/3の規模である。主催者である実行委員会に大垣市と岐阜県という地方自治体が含まれていることもあり、収入の一部に自治体による負担金があるのがMaker Faire Tokyoとの違いだが、スポンサーからの協賛金が全体の6割弱と中心になっているのは同じである。Mini Maker Faire主催側の一人としての実感からも、Maker Faireのスポンサー集めは決して容易ではない。

Maker Faireの魅力は現場で参加した人々にとっては自明だが、体験していない人々に静止画、動画、数字などで伝え、ビジネスの文脈で語るのは非常に難しい。往々にして、来場者数などわかりやすい数字が指標になりがちだが、商談目的の展示会と異なり単純に費用対効果を示すことが難しく、短期的な経済効果が求められがちな場面においてロジカルに説明できない。幸いなことに、たまたま来場者として訪れた方が興味を持ち、自分が所属する企業の出展へと繋げるような例も増えてきているというが、そうした草の根の共感に頼るのでは難しさがある。田村さんは、収入源を多様化するためのアイデアとして、来場者数を増やす、物販を強化する、オンラインとの連携などにくわえて、出展者から出展料を徴収する、というアイデアを検討中であると語った。

この中で、Maker Faireにとって来場者数を増やすことが本当に良いのかどうかについては慎重になる必要があるかもしれない。数十万人が来場するイベントとして知られているものにコミックマーケットがある。8月9日から12日まで同じく東京ビッグサイトで開催された「コミックマーケット96」では、最も多い日で20万人が来場したという。もし、Maker Faireに同じ数の人々が来場したとしたら、恐らく今のように出展者と来場者が語り合うことはできなくなり、目的とする出展者だけを見て回るようになり、ジャンルを超えた繋がりは起きなくなってしまうであろう。なにより、来場者数を増やすための広告費が膨大なものになってしまう。では、出展者から出展料を徴収するというアイデアについてはどうだろうか。同様のイベントにおける参考例として、久保田さんはハムフェアを紹介した。

毎年8月末に同じく東京ビッグサイトで開催され、今年で43回目を迎えるアマチュア無線フェスティバル(通称「ハムフェア」)は、日本アマチュア無線連盟(JARL)が主催するイベントである(ハムフェア2019のウェブサイト)。アマチュア無線の健全な発展と技術の向上を目的として1975年に第1回が開催され、来場者数は最盛期で6万人程度、ここ数年は3万人程度である。出版社や無線機メーカーのブース、ワークショップ、歴史の長いグループの同窓会ブースなど、アマチュア無線に関わる多様な出展者が出展しているのが特徴である。久保田さん自身もARTSATプロジェクトで最近出展した経験があり、その時はブース代にくわえて電気設備や什器代などが細かく定められていたという。学生などの出展をどのように扱うかをはじめ、まだまだ議論は必要だが、もしこうしたことが実現でき、収入の多様化が実現すれば、経済的にはMaker Faireは持続可能になるかもしれない。

しかしながら、田村さんが「自分の立場としては収支のバランスを取るのは大事なんですけど、コミュニティを成長させて行くにはどうすればいいのだろうか? も考えたいんです」と語ったように、メイカームーブメントが持続してこそのMaker Faireである。なぜなら、Maker Faireはメイカームーブメントの祭典であり、立派な会場だけを用意できても、そこに魅力あるメイカー達が集まり、来場者と対話し、楽しさの伝搬が起きない限り、Maker Faireではないからである。現在だけをみると、日本におけるメイカームーブメントは成熟し、今年度だけで京都、東京、つくばという3都市で開催されるなど非常に充実している。こうした状態が持続するためには、未来のメイカーたちが次々と生まれてくることが必要である。


(Photo: Yuka Ikenoya [yukai])

既にMaker Faire Tokyo 2019では、School Maker Faireをはじめとして、こうした環境の実現を期待できるような出展が多数見られた。勿論、そうした中には2020年度から実施されることが決定されているプログラミング教育必修化をビジネスチャンスとして捉えた企業などの出展も多いだろう。この視点から興味を持った人々が実際にMaker Faireを体験すると、プログラミングは手段の一つでしかなく、その周辺に広がる世界の多様性に驚いたことだろう。久保田さんは、ある程度成熟した日本のメーカームーブメントがこのまま衰退することなく持続するためのヒントとして「汎メイカー運動」と言う考え方を提唱した。


Maker Faire Tokyo 2019内で開催されたSchool Maker Faireの様子(Photo: Akihiro Kubota)

汎ハッカームーブメント

この考え方の基になったのは、Demo制作者でコンピュータアーティストのViznut(Ville-Matias Heikkilä)が2011年6月に公開した記事「We need a Pan-Hacker movement.」で提唱した「Pan-Hacker(汎ハッカー)」という考え方である。Viznutは、この記事の中で次のように述べている。コンピュータにアクセスできる人々が限られていた時代、先駆的なハッカーたちは、コンピュータが自分たちの生活を変えたと感じ、この変化を一般の人々とも共有したいと思った。その後、80年代前半に個人でも購入できるパーソナルコンピュータが登場し、新しい形の読み書き能力であるプログラミングを学ぼうとする気運が高まり、コンピュータが人々の知的能力を拡張するのではないかという期待が膨らんだ。しかしながら、実際に90年代に起きたのは、ハードウェアとソフトウェアの複雑化により、人々はツールを理解した上でコントロールすることはなくなり、デジタル技術への依存度が高まったのと逆に、コントロールを失った。ハッカーたちが技術合戦に陥り、「真のハッカー」を追求するあまり排他的になり、社会に返すことを忘れてしまった状況に対して応答して書かれたこの記事から、久保田さんは一部を翻訳して紹介した。

私たちは一般の人々に、ハッカーが使う技術を理解してもらい、それを習得する可能性を返していく必要があります。ハッカーに「技術エリートになりたい」という願望を捨ててもらい、自分たち自身の生活に対するコントロールを取り戻す必要があります。私たちには、パンハッカー運動が必要なのです。

デジタル技術を一般の人々にとってより身近なものにするというハッカー運動を今一度思い起こし、一般の人々が使用するテクノロジーを理解し、修得する可能性を取り戻す必要があるのではないか、というのがViznutの指摘である。汎ハッカーが意味するのは、「誰もがハッカーになれる、あらゆるものがハックできる、すべてのハッカーがいっしょに」である。これを基に、久保田さんは「誰もがメイカーになれる、あらゆるものがメイクできる、すべてのメイカーがいっしょに」という考え方を提唱した。誰もが一人のメイカーとして活動することにより、30年後のMaker Faireで当初の精神は保ちつつも、参加者は新しい人々に入れ替わっているのが理想ではないか、久保田さんは語った。


(Photo: Yuka Ikenoya [yukai])

Maker Faireを持続可能にするには?

「Maker Faireを持続可能にするには?」というこのセッションのタイトルだけを聞くと、Maker Faire Tokyoが存続の危機に瀕しているように感じられてしまうかもしれない。実際には、今回のセッションで田村さんから説明があったように現時点においては経済的には持続可能な状態にあり、内容としても非常に充実している。しかしながら、そうした状況だからこそ、中長期的な視点で今後のことを考え、語り、行動することが重要である。また、米国の厳しい状況がある今こそ、有機的な成長を続ける日本のメイカームーブメントからの発信が求められている。

かつて、ベイエリアで開催される大規模なMaker Faireを「本家」あるいは「お手本」とし、そこに憧れつつも草の根的に成長してきた日本のMaker Faireは、創造力溢れるメイカーたちが切磋琢磨したことにより、いつしか世界でも類を見ないほどのレベルへと成長した。今なら、世界中のメイカーコミュニティーに向けて日本から積極的に発信していく事は十分に可能である。ソウル、台北、深圳、シンガポールなど、多くの国々で開催されるMaker Faireに出展し、手応えを感じた経験を持つメイカーたちも多いだろう。Maker Faireでは、自分たちが作ったものを見せ、語り、その楽しさが広がっていくと言うことが共通言語になり、ものを介してのコミュニケーションとなるため言葉の壁も比較的低いし、日本で活動するメイカーたちの評価は高い。また、意外に知られていないと思うが、MakerConというシリーズは世界に先駆けて日本で開催されたものである。2012年6月に開催されたMaker Conference Tokyo 2012が好評だったことに刺激され、その後世界各地でMakerConとして開催されるようになったのである。このように、世界中のMakerコミュニティに向け、積極的に発信していくことは十分に可能だし、恐らく世界からも期待されているのである。

今回のセッションはあくまで今後を考えるためのきっかけでしかない。実際に、次の機会として11月2日(土)に「Mini MakerCon Tokyo 2019」が開催されることが決定した。このカンファレンスにおいては、今回の登壇者ではなく、様々な形でメイカームーブメントに関わっている方々に登壇していただき、来場者全員で議論することが中心となる。メイカーに限らず、Maker Faireを持続可能にすることに興味がある方は、随時ハッシュタグ#MMFS2019でアイデアを発信すると共に、可能であれば是非このカンファレンスに参加してほしい。


小林さんに触れていただいたように、2019年11月2日(土)に「Mini MakerCon Tokyo 2019」をステーションコンファレンス万世橋にて開催します。上のセッションで課題になった「Maker Faireの(数字には現れにくい)価値をどう共有するのか」「コミュニティに新しいメイカーをどうやって巻き込んでいくのか」について、新しい登壇者の方々、Maker Faireの出展者の皆さんとより深い議論ができればと考えています。詳しいセッションの内容、ウェブサイトは現在準備中です(10月上旬に公開予定)。なお、最新情報はFacebookのイベントページでも随時公開します。