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2017.09.25

企業内ファブスペースを実現させたメイカーたちが次に目指すもの―リコー新横浜事業所「つくる~む」運営メンバーインタビュー

Text by Yusuke Aoyama

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メイカームーブメントを知る人ならば「つくる~む新横(以下、つくる~む)」の名を聞いたことがある人は少なくないだろう。リコーの新横浜事業所にあるこの施設は、大手メーカーが社内にメイカースペースを設置した先進事例のひとつとして話題となった。

リコーグループ社員なら誰でも利用でき、3Dプリンターやレーザーカッターなどが自由に使えるとあって、初年度だけで約2千人が利用したという。社外からの見学希望も多く、企業におけるメイカースペースの設置と運用において、広く参考とされることが多い。

「つくる~む」の管理運営を担当しているのは、井内育生さんと北川岳寿さんのお二人。つくる~むの構想段階から係わっており、また部屋そのものの内装工事から機材搬入まで自ら手がけたメイカーだ。さらには、つくる~むの利用者に対し、さまざまな観点から助言し手助けするなど、その活動は幅広い。

開始から2年が過ぎて、つくる~むの開始時とは何が変わったのか。そして、これからどう変わろうしているのか。企業内メイカースペースのあるべき形を模索している。(文と写真:青山祐輔)

全然ダメだったのが、深センの見学が転機に

つくる~むがスタートした頃、ファブラボやファブカフェといったメイカーのためのスペースは全国各地に広がりつつあったが、企業が社内に設置している事例は、まだあまりなかった。2014年8月にソニーのCreative Loungeこそ始まっていたものの、多くの企業はその意義や効果を計りかねていた。

つくる~むも、井内さんたちが社内で提案し、実際に許可を得るまで長い道のりを必要とした。

「最初の頃は全然ダメだった」(井内さん)

井内さんたちがリコーのなかにファブスペースを作ろうと考えたのは、ひとつには井内さん自身のプロダクトデザイナーとして歩んできた経験が影響している。井内さんは、美術大学でデザインを学んだ後、デザイン事務所でプロダクトデザインに従事。その頃、デザインを提案する際に「やっぱり『もの』を作って見せないと伝わらない」ということを経験した。そして、3DモデリングやCADなどの技術に触れ、さらには3Dプリンターが登場するのを見て、これからは試作やプロトタイピングがもっと簡単にできるようになると感じた。

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インタビューしたリコー「つくる~む」のメンバーの北川岳寿さん(左)と井内育生さん(右)

一般的に、製造業ならば「試作室」のような部署があり、そこに依頼することでモックアップや試作品を作ることができる。だが、試作を依頼するには図面が必要だし、初期のアイデア段階ではどんどんと仕様が変わっていくため、図面を起こしづらい。また、実際に形にすることで判明することも多いため、アイデア→図面→試作→検証というサイクルはもどかしい。特に革新的なアイデア、新しいジャンルの製品であるほど、初期の段階では変更が多くなりがちだ。そのために、できるだけ身近な場所にファブスペースが必要だと、井内さんたちは感じていた。

そこで何度も上司に対して社内ファブスペースの設置を提案していたが、そのたびに却下された。その理由として大きかったのが、上司の目からは「ファブスペースは趣味や遊びのもの」として見えていたためだ。こうした「ファブスペース作りたい」「ダメ」というやりとりは、1年以上にもわたり続いたという。もうその話はするなと言われても、また1カ月後に言い出す。それでも、上司の許可は下りなかった。

だが、あるとき、転機が訪れた。井内さんが上司と共に参加した、中国・深センの見学会だ。2014年8月に実施され、深センのハードウェアスタートアップや、そうした企業を支援するための組織や施設を見て回った。この見学会を機に、上司も社内ファブスペースの設置に前向きになったのだ。

「深センの見学会に上司も一緒に行った。向こうの会社ではどんどん作って試してるみたいなのを見てもらってから『じゃあやってみるか』みたいな感じになった」(井内さん)

そして手に入れたのが、今のつくる~むだ。だが、部屋こそ確保したものの、準備のための予算は潤沢とはいえなかった。そこで、内装工事、機材の入手や搬入など、工夫して可能な限り自分たちでやることにした。

「ラックとかカウンターとか、仲間たちとホームセンターで木を買ってきて組んで作った。最後の方は力尽きてIKEAで(ラックを)買ってきちゃったんですけど(笑)」(井内さん)

「作業台なんかは、(つくる~むが決まったらすぐ)産廃業者に声を掛けておいた。きれいな工作台が出てきたら買いますって。(作業台は)会社のなかにもいっぱいあるんですけど、それぞれの部署で使っているので、なかなかもらえないので」(井内さん)

この過程でも、いろいろと壁にぶつかることもあった。例えば、部屋の天井をぶち抜こうとしたところで管理部門に止められた。一方で、物品の購入に関する規定で、例外を認めてもらうなど、壁を突破できたこともある。そうやって1カ月ほどかけて、つくる~むは姿を現した。

つくる~むの部屋作りは、井内さんと北川さんの二人だけで行ったわけではない。それ以前から、社内の部門をまたいだメンバーが集まって、ものづくりの「クラブ活動みたいなこと」を行っており、彼らから多くの協力を得ていた。このメンバーは、部屋作りを手伝っただけでなく、それと並行して行っていた「ものづくりの実績」においても活躍した。

それが懐中電灯型のハンディプロジェクターだ。3Dプリンターで造形した懐中電灯型の筐体にスマートフォンとモバイルプロジェクターを内蔵し、懐中電灯のように向けるとその方向に応じて、さまざまな映像を映し出すというものだ。リコーの360°カメラ「RICOH THETA(以下、THETA)」の画像を活用方法のひとつとして考案したもので、THETAで撮影した360°画像をスマホに入れ、懐中電灯を天井に向ければ空の映像を、壁に向ければ周りにいる人が、床に向ければ地面が映し出される。

「ファブスペースが欲しいといっても作ったものがないと上の人が納得しないので、クラブ活動で勝手に考えて作った」「それぞれモデリングできる人がモデリングして、アプリ作れる人がアプリを作って、3Dプリンターを持っている部署の人がプリントしてくれて、みんなで作ったみたいな感じのもの」(井内さん)

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懐中電灯型プロジェクターの試作品。筐体はすべて3Dプリンターでの出力

この懐中電灯は予想外に評価され、米国で行われる家電の展示会「CES」のTHETA出展において、デモンストレーションとして採用されることとなった。

「遊びみたいなところで始まったんだけど、実際の業務に使われることになった」「(実際に動くものを)見たら、みんな「おもしろいね」って言ってくれた。アイデアだけを何人かに話しても『空に向けると空が映るんです』って言ったら『はぁ』みたいな状態なんです」(井内さん)

革新的で新しいアイデアであるほど、それがどんなものか実際に動くところを見ないと、なかなか理解しにくいものだ。それを乗り越えるためにも、素早くプロトタイピングが行えるような環境が必要、というのがつくる~むの目的のひとつだ。そして「つくる~む」と並行して作られた「懐中電灯型プロジェクター」という事例が、そのことを実証して見せたのだ。さらに、つくる~むの開設後、多くの利用者が訪れたことで、改めてその必要性を示した。

「先週くらいまでは社内のイベントがあって、デザイン部の人たちが色んなモノを3Dプリンターとかレーザーカッターで作っていた。それが終わったので今日は静か。だから取材もこのタイミングにしてもらったんですけど(笑)」(井内さん)

このことからわかるのは、リコーグループのなかに隠れたメイカーがいる、ということだ。そして、そうしたメイカーとつくる~むのメンバーとの交流や、メイカー同士の交流などが生まれているという。つまり「つくる~む」が、人と人とを新たにつなげる場になっている。

「この部署が困っているけど、あの部署の人ならできる、というのが結構わかってきたので、そこをつないだりしている。見学で社外からも見に来るんですが、そういうときに雑談とかで悩み事を言ってくれると『うちの会社のあの部署にできる人がいる』とか『こういうサービスをやっています」「こういう技術を開発していて使えるかもしれない」ということを紹介してる」(井内さん)

こんな風に人と人、部署と部署、会社と会社をつなげるようなことをしているうちに、持ち込まれる相談ごとも増えてきた。「こんなものが作りたいんだけど」という、メイカースペースらしい相談が持ち込まれると、多くの場合は北川さんが対応することになるという。

「ここには、何か作りたいものがあった、何かを知りたかったりする。そういうときに応えてくれる人がいなきゃいけなくて、その役目を北川が担っているんですね」(井内さん)

北川さんは、もともと電気回路の設計が専門。つくる~むの運営をしていくなかで、ソフトウェアの作成やモデリング、クラウドなどさまざまなスキルを身につけていった。一般的に大企業ほどその部署は専門に特化していることが多く、ゼネラリストが少ない。そこで、北川さんがそうした部署からの相談に答えているのだ。Raspberry PiのようなLinuxが動く小型のコンピュータを基板から起こしたり、顔認識のプログラミングを行ったり、3Dプリンターの出力のアドバイスをしたりと、その活躍は多岐にわたる。

ファブスペースに「ものづくり」以外を目的に訪れる

つくる~むを設置して、ひとつ予想外だったことがある。

「ファブスペースなんですけど、ただ話に来る人とかもいるんですよ。相談でもなんでもなく、ここでしばらくしゃべっていって帰るだけ。でも、そういう人がすごく面白い話を持ってきてくれることがある。(その人は)3Dプリンターとか一度も触ったことがない(笑)」(井内さん)

そうした「雑談」から、どの部署でどんなことが起きているのか、誰が面白いことをしようとしているのかなど、さまざまな情報が集まってくる。

「その辺が一番想像とちがった。もちろん、3Dプリンターを使ったりレーザーカッターを使ったりする人は結構いるんですけど、なんにもやらない人が結構来る」(井内さん)

このようにして、つくる~むは単なる「作業場」「工作室」としてのファブスペースを越えて、相談や雑談ができる「部室」や「保健室」のような存在となっていった。すなわち場と人が密接に結び付いた、他に代替できない特別な機能になってきているのだ。

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つくる~むの様子。横浜アリーナに面した明るい室内に、3Dプリンターやレーザーカッターなどの工作機械のほか、ミーティング可能なスペースも広く取られている

だから、「『あそこに行って話して来い』と言われたんですけど……」と、つくる~むの門を叩く若手社員がいるという。そうした「相談事」からは、一度のアドバイスで解決するようなものだけでなく、井内さんや北川さんが正式なプロジェクトのメンバーとしてに長期的にコミットするものも出てくる。

そのために、新たな課題も出てきた。二人が他の事業部に助っ人として出かけることで、つくる~むを開けられないということが増えてきたのだ。つくる~むの利用には、井内さんか北川さんのどちらかが在室している時のみ、というルールがある。そのため、すでに何度も利用している社員ならばともかく、はじめての利用希望者が来室した際にふたりが不在の場合は、利用できないというケースが発生するのだ。

そうした自体を避けるため、ひとつにはメンバーを増やすという方法がある。井内さんも「チャンスがあれば増やしたい」というものの、現時点でその予定はないそうだ。そして、その問題の背後には、リコーという企業の中で「つくる~む」をどのように位置付けるのか、というより大きな課題がある。

そのひとつが、仕事としてどのように評価するのか、だ。「つくる~む」は福利厚生ではなく、あくまでも事業の一環として位置付けられている。そうである以上は、そこに何らかの評価が必要なのだ。そこで初期には、そのKPIとして利用者数をカウントしていた。

「最初の1年は利用者や見学者の人数がKPIになっていたんですけど、そのうち数えても意味がないんじゃないかってなって、とりあえず数えるのは止めたんです」(井内さん)

利用者数というのは、こうした場を評価する上で、確かにひとつの指標になりうる。しかし、人数は集めようと思えば、イベントを行ったり、講習会を開いたりすることで、集めようと思えばある程度は上乗せが可能だ。

また、数字そのものの意味付けという問題もある。初年度は約2千人の利用者があり、確かにファブスペースとしては小さくない数字だ。だが、リコーという企業の中で、その数字にどれほどの意味があるのかというと、判断がつかないというのが正直なところだろう。

「上司も『よくわからないね』というので、今は数えるのを止めたんです。他のKPIを考えなきゃいけないんですけど実態に合うものにするのが難しい」(井内さん)

つくる~むは開設当初、その位置づけを「アイデア発想&ファブスペース」としていた。それは、組織の中でアサインされた仕事だけでなく、自ら発想しアイデアを膨らませ具体的な形、新しい仕事にしていくことを目指したものだ。井内さんや北川さんの業務は新規事業開発だから、つくる~むから新しい製品やサービスが生まれれば、それは業績として評価されるべきものだろう。

だが、つくる~むを利用するグループ内の社員は、それぞれ別の業務があり、そのなかには必ずしも新製品や新規事業の開発が含まれているとは限らない。業務のなかでつくる~むを利用することが推奨されている部署もあれば、業務外に個人的な活動としてしか利用できないという部署もある。そこには、部署ごとの業務や考え方の違いがあり、引いては会社全体のカルチャーの問題もある。

また、こうした半ばオープンな環境で新製品開発をすることを危惧する声もまだある。

「ここで何か作っていると『見たらわかっちゃうんじゃない』という話をする人がいる。見て何かわかるような段階のものはここで作らないという話はしたんだけど、なかなかその辺は理解してもらうのは難しい」(井内さん)

そうした声が強いうちは、つくる~むを社外にも公開するような運営はなかなか難しいという。だが、一方で井内さんが言うように、社内か社外かに係わらず「つくる~む」に訪れた人同士をつなげたり、そこでの雑談から新しいアイデアが生まれたりといったことがある。さらに、つくる~むをひとつのきっかけとして、アイデアが事業化に至った事例もでてきている。

いろんなものをつなぎ、そしてアイデア実現を後押しする

つくる~むの開始から2年余りが経った。そこで予想外だったこと、明確になった課題など、見えてきたことは多い。それらを踏まえて、これからどこへ向かうのか。

「つなぐ部分に結構、期待されていて、もうちょっとそっちにフォーカスしたい。今まではなんとなく『話があったのでつなぎます』みたいな感じだったけど『そういうことをやるよ』と打ち出していった方がいいんじゃないか」

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井内さんが発案し北川さんが製作したテレイグジスタンスロボット。TV会議でジェスチャーなど細かいしぐさを伝えたいというのが、そもそもの発想

この「つなぐ」というのは、アイデアがある人とそれを実現できる人、課題に直面している人と解決できる人を引き合わせるというだけではない。作った人とそれを使いたい人、また「つくる~む」でやりたいことがある人をもっと上手くつなげていくということだ。

「最初の頃は、結構突き放していたところがあった。(場所と機械はあるので)どうぞ作ってくださいみたいな感じだ。作れないという人は『じゃあしょうがないですね』って感じだった。そこをもうちょっとやった方がいいのかな」

そのモデルケースとなる事例も出てきた。今年の1月にリコーは、リコー独自の全天球映像技術をベースにした全天球ライブストリーミングカメラ「RICOH R Development Kit」を発表、6月からは開発者向けに出荷を開始した。この製品は、新規事業開発本部 SV事業開発センター n-PT リーダー(当時)の生方秀直さんが中心となって開発したもので、井内さんもチームの一員だった。

そして開発に参加するきっかけもつくる~むだった。

「リーダーの生方がここに来て、『こういうものを考えていて、使い方とか一緒に考えてくれないか』という話しがあった」(井内さん)

その結果、RICOH R Development Kitの試作機を使いたいという外部からの依頼に応じて岐阜まで出張し、夜通しのイベントに参加した。また、試作機の製作を手伝ったり、展示会のブースやデモの準備を行うなど、さまざまな面からRICOH R Development Kitに係わることになった。

このRICOH R Development Kit、当初は生方さんが「裏研」や「机の下」と言われるような、自主的に行っていたもの。それが、最終的には正式な事業へと昇格したのだ。アイデアが事業に至るには、その人自身の情熱だけでなく、その時に環境やタイミングにも左右される。なにより、当事者のパワーを必要とするので、どんなケースでも成功するとは限らない。だが、そこで実現の可能性を少しでも後押しすることはできる。

「(事業へと)表に上げるところは、生方の力だと思います」「(当事者の)力が必要だけど、それ以外の部分、使い方の提案などはお手伝いできるかなとは思ってるんですけど」(井内さん)

端的に言えば、リコーのなかでオープンイノベーションを生み出すための場所を目指すということだ。もちろん、オープンイノベーションを生むための公式や、具体的な方法論が存在するわけではない。だが、手探りで何かを作り出すことも、メイカーとしての醍醐味ではないだろうか。