2016.06.17
Raspberry Piを使ってレトロ技術に新しい命を吹き込むことで乗り越えた、楽しい時とつらい時
私は、ヴィンテージなテクノロジーに、現代のコンポーネント、とくにRaspberry Piを使って新しい命を吹き込むことに燃えている。先日私は、Upcycled Retro Technologyシリーズの最新作として、AlexaPhoneを発表した。それは1970年代のTrimphoneで、アマゾンのAlexa音声サービスが受けられるようにRaspberry Piを使って改造したものだ。受話器をとり、質問を話して受話器を置くと、Alexaが答を話してくれる。おもに周囲に転がっていたものを使った本当に楽しいプロジェクトだった。ユニークだけど、単純明快なリメイクさ!
これと、私のその他のUpcycled Retro Technologyプロジェクトは、Instructablesで詳しく紹介している。私はInstructablesコミュニティの前向きなところが大好きだ。私はヴィンテージなエレクトロニクスを常に愛しているが、それを今の技術で復活させることは本当に楽しい。ウチに初めてホームビデオデッキが来た日や、VIC20やZX81で何時間もプログラムに没頭した子どものころを、今でもハッキリ思い出す。私は、あのときのコンピューターの黄金時代がまたやって来たような気がしている。あのときよりも多くの子どもたちがコーディングを学び始めている。それはおもにRaspberry Piのお陰だ。
現在までに私がもっとも誇りに思うのは、去年のPi誕生会で行われた発表会で、1981 Raspberry Pi VCRを公開したことだ。テーブルまで見に来たある子どもは大興奮して、YouTubeで見たプロジェクトを見たと父親に話していた。それがきっかけで私はその子といろいろ話し合い、この機械がかつてどのように使われていたか、この短い期間に技術がどれだけ進歩したかなどをUSBメモリーとVHSテープを比較したりして教えてやった。それが私の原動力だ。そんな会話をもっとしたい。その日はその後、VCRをデモンストレーションして、Dale Doughertyと刺激的な会話ができた。それはMakerである私にとって、Pi誕生日のケーキのデコレーションのようなものだった。
もうひとつ、私の原動力になっているものがある。そしてそれは、健康のための体操のようなものだ。私のPi VCRプロジェクトは、去年発表してから人気を得ていたが、なぜ愛にあふれる努力が6カ月も続いたのか、結果的なぜ成功したのか、という背景のストーリーを引っ込めることにした。私の妻が乳がんだと診断され、私はすぐにオリジナルのVCRを分解し始めたのだ。その後の数カ月はとても暗い日々が続いたが、私は毎日、少しの時間を作っては、前向きな何かをしようと(唯一の目的が2本の線をハンダ付けするだけという日もあった)、静かに物事を考えようと心がけたことが大きな助けになった。私はどうしていいかわからなかったが、ある日、同じような試練に直面している人たちとつながりを持ちたくなった。苦しんでいる男たちが集まって、気晴らしに何か作って、作ったものを売って慈善事業に寄付をできないかと。
ともかく、どんな暗いときも暗いなりのユーモアを運んでくれる。妻が寝たきりになったとき、彼女は私の最良の聞き手となってくれた。今扱っている部品やメカニズムについて、VCRが使えるのかどうかについて説明した。文字通り、彼女は逃げ出すわけにはいかなかった。そんな中で、妻と私はスプレーで塗る色を茶色がいいか黒がいいかを話し合った。そして妻は赤を勧めた。今日に至るまで、それが彼女の唯一の貢献だ。結果的に妻は正しかった。赤はよく目を惹くし、Piの色だ。赤でなければ、注目はされなかっただろう。妻の言うことは聞くものだ。
しばらくそんな日々が続き、VCR は完成して、私はInstructableの記事を書き上げた。まさに、その最後の段落を書いていたとき、その朝に父が死んだことを知らされた。父は健康を害していたのだが、私は妻の看病があったために行ってやることができなかった。父は、私を最初にメイキングの世界に引きずり込んでくれた人物だ。木工の先生で、買うより自分で作る人だった。何かが壊れると、気が済むまでそれを分解した。それは修理を超える活動だった。その朝、私にできたのは、記事を書き上げて公開することだけだった。だが、父は喜んでくれたと思う。
これらすべてが今年の1月に起こった。それ以来、妻は目覚ましい回復を遂げ、家を引っ越して、私はとても広い(そして整頓された)工房を手に入れた。暗い時期はもう過ぎたと私は感じている。私たちは日常生活に戻った。そして私は、以前にも増して、子どものころのテクノロジーを復活させ、どれほど技術が発達したかをうちの子どもたちに教えてやる活動に身を入れることとなったのだ。
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