Makerたちによる企業内部活を紹介する本連載、今回はリコーITソリューションズの「ガジェット研究会」をクローズアップする。Maker Faireの展示内容では近年、バーチャル・リアリティ(VR)に関するものが増えてきている。その背景には、Oculusなどの高性能なVR向けヘッドマウントディスプレイ(HMD)が入手しやすくなったこと、低コストの3Dコンテンツ制作ツールが広まったことなどに加えて、安価な360度カメラがいくつも登場したことで、個人でVR開発に取り組み易い環境が整ってきたためだ。
ガジェット研究会も、Maker Faire Tokyo 2016でVR関連の展示を行っていたグループのひとつ。リコーの360度カメラ「RICOH THETA(シータ、以下THETA)」で撮影した全天球画像をHMDのOculusで見ながら、モーションセンサーの「リープモーション」で手の動き(ジェスチャー操作)を検知して、画像が次々と切り替わるというデモ。ほかにも、同じくTHETAの全天球画像を球形型ディスプレイ「ワールドアイ」に表示しジェスチャーで操作するデモ、MDF板をレーザーカッターで加工したオリジナルデザインのスマホ用HMDを展示するなど、VR分野で幅広い取り組みを見せていた。実は、このガジェット研究会、メンバーの多くがTHETAの開発に関わっており、そもそもTHETA開発チームへの参加がサークル立ち上げのきっかけだったという。そんな彼らの部活への取り組みや、Maker Faire Tokyoへの思いについて、メンバーの福士精一郎さんと鴨志田大地さんのお二人に話を聞いた。(文と写真:青山祐輔)
HoloLensを装備した隊長と7人の仲間たちから始まった
取材のためにリコーITソリューションズのオフィスを訪れると、いきなりマイクロソフトのARヘッドセット「HoloLens」をかぶった男性が現れた。「最近では、コレを着けても社内では普通に思われています。また来たよって(笑)」と、ガジェット研究会の代表である“隊長”こと福士さんは少し照れながら話す。
福士さんと鴨志田さんが所属するリコーITソリューションズは、名前からわかるとおりリコーのグループ企業だ。ソフトウェア開発を主な事業としており、企業向けのITソリューション開発を行っているほか、リコーグループ内のハードウェアにおける組み込みソフトやドライバーの開発も行っている。
インタビューしたリコーITソリューションズの福士精一郎さん(右)と鴨志田大地さん(左)
一般的にリコーの名前は、「GRシリーズ」やPentaxブランドなどのデジタルカメラのほか、企業向けのコピー機やプリンタのメーカーとして良く知られている。また、グループ全体では、企業向けのITシステムや製造業向けのソリューション開発などのIT関連事業を幅広く手がけ、連結での売上高2兆円、従業員数は10万人を越える巨大企業だ。
そうした背景もあって、個人的にはリコーグループ全体へ「カタい」または「真面目」というイメージを持っていた。そこへ、HoloLensを装備した福士さんが登場したので、非常に驚かされた。しかし、驚きはそれだけに止まらず、ガジェット研究会について話しを聞くなかで、いくつもの“予想外“なポイントがあった。
そもそもガジェット研究会が発足したのは2014年2月のこと。そのきっかけは冒頭に触れたとおりTHETAだった。
「私たちはリコーのTHETAの開発チームの一員でした。(THETAの開発は)今までの業務と違っていろいろ新しいことを調査しながらの、ものづくりでした」(福士さん)
THETAの初代モデルが発売されたのは2013年11月のこと。それまでの360度カメラとまったく異なるコンパクトでスタイリッシュなデザインと、スマホと連携しての操作、SNSなどで共有しやすいウェブでの画像閲覧など、いくつもの画期的な特長によって、一時期は入手が困難なほどの人気となった。
THETAシリーズ自体の発売はグループ会社のリコーイメージングからだが、その開発にあたっては「今までにない画期的な製品を生み出す」ため、グループ全体を巻き込んだプロジェクトとして進められた。そして、リコーITソリューションズからは、福士さんを初めとした数人のメンバーが、ソフトウェア担当として参加することとなった。
しかし、当時はグループ内では、全天球画像の取り扱い、スマートフォンとの連携、ウェブサーバーとの連動といった、THETAの特長とも言える機能についてのノウハウがなく、まったくの手探りで開発が進められたそうだ。
「全天球画像を再生するとか、通信の仕組みとかを作るという話になって、私たちが先行調査として動いていた」「そのなかで調査機材がいろいろ必要になって来るんですね。(中略)Wi-Fi通信できる監視カメラとかGoProも購入して、どういったところで使えるのか参考にした」「そういうことをやっているうちに、機材がどんどん溜まってきた」(福士さん)
新しいコンセプトを実現するにあたって、さまざまな新技術が必要となった。その過程で、気がつけば周りに最新デバイスが一通り揃ってしまったというわけだ。そのなかでも、福士さんにとって印象に残ったのがParrot社の「AR.DRONE」だったという。AR.DRONEとは、2010年に発売されたスマホから操作できるカメラ搭載型ドローンで、現在のドローンブームの先駆けとなった製品だ。
「(AR.DRONEに)THETAを載せたらどうなるかなって考えたら、みんなでイメージが膨らんできて、業務以外で新しいことをやってみないかっていう話しになったんです。そこがガジェット研究会の発端です」(福士さん)
そうして、同じチームだったリコーITソリューションズの8人のメンバーで、ガジェット研究会はスタートすることとなった。
2016年8月にガジェット研究会とつくる~むが共催した「Touch & Try」イベント。この時はグループ外にも公開された
サークルでも部署でもなく、実は“あいまい”な存在
ガジェット研究会の活動は、毎週木曜日の通常業務が終わってからの18時から20時まで。メンバーは20名ほど。この活動時間、実は就業時間外ではあるものの、残業扱いになっているそうだ。そうなった経緯を福士さんは「上司と相談して、週に1回の2時間枠だったら残業扱いにして、積極的な活動で何か出してみろと」いうことだったと話す。
また、社内でのガジェット研究会の位置付けは、あくまで有志の集まりでしかない。それにも関わらず、HoloLensやRaspberry Piなどガジェット研究会で使用している機材の多くは、所属部署の予算のなかから購入しているという。
少し整理しよう。実のところガジェット研究会は、有志の集まりだ。しかし、その存在は会社公認であり、活動自体も一定の範囲で業務として認められている。また、個人では購入しにくい高額な機材は、部署の予算のなかから購入できる。
つまり、見方を変えると、ガジェット研究会のメンバーは現在の所属部署におけるR&Dや新技術探索に関わる業務を兼務していると言えるわけだ。だとすると、活動が残業扱いになったり、機材の扱いだったりという縛りも、企業としてそれなりにリーズナブルなものと言える。
その替わり「調査するだけで買うのは許されなくて、成果物として何か作るのが最低限のルール」(福士さん)になっている。つまり、それが会社にとってのガジェット研究会に期待するところというわけだ。
「(ガジェットを買って)遊んでお終いでは、経費の無駄遣いしているだけじゃないか。そこは技術として作り込んで、(社内の)みんなに使ってもらって、こういう技術はこういうふうに使っているということを言えるところまで持っていけば、予算を出そうと」(福士さん)
こうしたガジェット研究会の成り立ちには、それ以前に伏線があった。「実は、THETAチームの前のプロジェクトで、Googleの20%ルールをちょっと真似して、週に1日だけいろいろものづくりをやってみよう、ということをやっていたことがあるんですよ」(福士さん)
この当時、福士さんは20%ルールの枠内で、iPhoneアプリの開発を独学で学び、趣味であるビリヤードの点数計算アプリなどを作っていたという。そして、こうした経験がTHETA開発においても役だったそうだ。
クラウドやIoTが広く普及することによって、私たちの日常生活やビジネスのなかで、多くの場面にソフトウェアが関わるようになっている。単に、PCやメインフレームの上で動くだけでなく、サーバーやスマホ、さらには家電やウェアラブルデバイス、さまざまなIoT機器などソフトウェアが必要とされる領域は、これからも拡大することは間違いない。THETAも、そうした流れのなかにある製品のひとつだ。したがって、THETAをきっかけとした新しい領域における技術や知見の蓄積は、企業にとって小さくないはずだ。
もちろん、ガジェット研究会のメンバー自身は、そうしたことをモチベーションにして活動しているわけではない。あくまでも「新しいものを作りたい」「(ものづくりが)好きな人が、好きなものを作りたい」から活動している。
つまり、THETAの開発、ガジェットの収集、20%ルールの存在といった、さまざまな前提条件が合った上で、ものづくりをしたいというメンバーがその活動のあり方を議論し、会社と話し合うなかで、見出されたのが「ガジェット研究会」というかたちだったというわけだ。
あいまいなのに新入社員研修で説明し、グループ全体にもアピールする
こうした環境のなかで、ガジェット研究会の活動は会社の内外で、着実に存在感を増していった。
「最初は自分たちだけで立ち上げた『Touch & Try』という社内向けイベントをやって、皆におもしろいって言ってもらっていた。そのうちに会社の上の方から、(会社主催の)『ソリューションフォーラム』などのイベントに出てくれないか、ということになった」
これによって他のリコーグループ企業にも、「おもしろいこと、新しいことをやっている連中」として知られることになり、実際にVR関連の仕事を依頼されることにも繋がったという。
そのほかにも「新入社員向けの研修で会社説明があって、その枠にいれてもらった」こともあるそうだ。それも「おもしろいこともしているんだよ、というのを新入社員にアピールしたいと人事担当から依頼された」(福士さん)というから、会社のなかでガジェット研究会の存在感の大きさがうかがい知れる。
Maker Faire Tokyo 2016にも出展した、THETAの全天球画像をOculusで見ながら、リープモーションで操作できるVRデモ
メンバーのひとりである鴨志田さんも、新入社員向け研修でガジェット研究会を知った。新卒で入社して3年目、ガジェット研究会には2016年の4月から参加したばかり。研修期間の後、福士さんと同じ部署に配属となったのがきっかけだ。
「(それまではMaker活動を)やったことはなかったんですけど、ガジェット研究会というのを入社する前から説明会とかで話を聞いて、『おもしろいな』とは思っていた。入社して配属されて、紹介してもらったりして、自分でもやりたいと思い参加した」(鴨志田さん)
鴨志田さんは、小中学校での図画工作の授業は好きだったものの、Maker活動の経験はなかったという。しかし、仕事としてTHETA開発に関わる中で、アプリ開発などのスキルを身につけていった結果、興味が広がって行った。最新作は、ラジコンにTHETAとRaspberry Piを搭載し、OculusでTHETAの映像をリアルタイムで見ながらラジコンを操作するというもの。Raspberry Piの使い方や、THETAをマウントするためのネジ探しなど、ひとつひとつ手探りしながら完成にこぎ着けた。
「最初はRaspberry Piを動かすことが全然できなくて。Wi-Fiアクセスポイント化してパソコンと通信できるようにしたんですけど、ネットワーク関係のことが全然わからなくて、いろいろ調べてはファイルを書き込んで、動かなかったら他の人に手伝って貰いながら、なんとか完成した」
「Oculusをかぶって、コントローラで操作するんですけど、思ったよりも遅延が大きくて、曲がろうと思った頃にはぶつかってしまって(笑)。だから、ラジコンの操作は他の人にしてもらうとちょうどいい」
こんな風にすっかりMaker活動にはまっている鴨志田さんだが、UnityやLinux、またネットワーク技術といったMaker活動で学んだことが、業務にも役立っているという。エンジニアが新しい技術や知見を身につける機会として、放課後活動が有益だというのは、MakerCon Tokyo 2015において、品モノラボ運営メンバーの岡田貴裕さん(ユカイ工学株式会社)も語っていたことだ(参考:個人のMakerが活躍し、メーカーという企業にイノベーションをもたらす『グレーゾーン』の大切さ)。そして、その方法論はベンチャーだけでなく、大企業でも成り立つという事例が、ここにもまたひとつあった。
鴨志田さんが制作したTHETA搭載ラジコンカー。THETAの映像をRaspberry Pi経由でWi-FiからPCに飛ばし、Oculusで見るという構成
リコーグループに広がったMakerの輪は将来も途絶えない
ガジェット研究会の活動にとって、もうひとつ大きな影響を与えた要素がある。それがリコーの新横浜事業所にある「つくる~む」の存在だ。つくる~むとは、リコー社員の井内育生さんが主導して2015年に設置されたファブスペースで、グループ社員であれば誰でも利用可能というもの。また、社員が一緒であれば社外の人間でも利用できる。
隊長こと福士さんは一時期、新横浜事業所で勤務しており、井内さんの隣の席で仕事をしていたそうだ。そこで、井内さんの活動やつくる~むなどから、多くのことを学んだという。また、ガジェット研究会とつくる~むとで、グループ向けのTouch & Tryイベントを共催もしている。他にも、つくる~むにある3Dプリンタやレーザーカッターなどの工作機械も活用しており、福士さんが作った、MFDボードのHMDもつくる~むのレーザーカッターで加工したもの。
「新横浜へは気軽に行けないので、(つくる~むのスタッフに)図面データを送って『加工して』とこっそりお願いしています(笑)」(福士さん)
もちろん、ファブスペースのつくる~むと、有志のグループであるガジェット研究会とでは、社内での位置づけや役割は異なるもの。しかし、同じリコーグループとして、また企業のなかで活動するMakerとして仲間意識は強く持っているそうだ。
そもそもガジェット研究会がMaker Faire Tokyoへの参加したのも、つくる~むが出展していたのを見て、触発されてのことだという。
「つくる~むが出展していると聞いて、(Maker Faire Tokyo 2015を)見に行ったんです。そうしたら、スゴいと思った」
しかし、当初は自分たちが造っているものはソフトウェアが中心で、デバイスは既製品が中心だったため、「出られないのではないか」と躊躇したという。しかし、他にもVR関連があったことや、Raspberry Piなどのフィジカルコンピューティングと組み合わせて工夫すれば大丈夫だろと考え、出展を決意した。実際に出展してみて感じたのは、いろいろな人から、いろいろな意見が聴けることのうれしさだという。
「(ガジェット研究会で)Touch & Tryをやり過ぎて、うちの会社の人たちはVRに慣れちゃっているんです(笑)。でも、Maker Faire Tokyoでは、皆が驚いてくれた」
そうした新鮮な反応だけでなく、レーザーカッターの使い方に関する専門的な質問や、オリジナルのHMDの使い勝手への感想など、いろいろな話しを聴くことが出来た。また、他の出展者の多様なアイデアを見ることで、触発されるところも大きかった。
そこからさらに今後についても、「単にメンバーを増やすだけでなく、(より活動の)内容を掘り下げていきたい」と考えるようになったという。例えば、これまでは個人ごとに制作することが多かったが、より多人数で共同制作に取り組みも考えている。それだけでなく、ガジェット研究会のあり方そのものについても議論しているという。
「今のままというよりは、いろいろ変えていきたいという動きもあります。それに向かって新しいガジェ研をどうしていこうか模索している段階」「メンバーや上司も含めて、どうしていこうか相談をしている」(福士さん)
福士さんが開発した、MDFをレーザーカッターで加工したスマホ対応HMD。手前がメガネにも対応した最新モデル。レンズはVR界隈ではよく知られた某百均ショップのルーペから流用
そもそもガジェット研究会は、サークルでも部署でも、またプロジェクトチームでもなく、あくまで有志の集まりながら会社から支援を受けているという、いわばグレーゾーンな存在だ。つまり、会社の方針転換の影響を即座に受けてしまう存在で、場合によっては消滅する可能性もありうる。
しかし、福士さんはそうなったとしても「かえって、個人として活動しやすくなるだけ」と楽観視している。そして、「メンバーは皆、モノを作るのが好きというところは変わらない。たぶん組織として解散しても、各自で作ることの種みたいなものは、残って行くんじゃないかな」(福士さん)と前向きに考えている。
その理由のひとつとして、つくる~むと共同で「Touch & Try」イベントを開催した際に、グループ内から他の出展者を募ったところ、予想以上に集まってきたのだという。
「みんな実は隠れていたんだなって、すごい驚いた」(福士さん)
だから、ガジェット研究会の有無にかかわらず、そうした「Maker」な人は増えていくことを、福士さん達は確信している。なぜなら、そうしたMaker活動が楽しいことだけでなく、仕事においてもメリットがあることを、多くの社員達がすでに経験し始めているからだ。