ビデオゲームの発明者だけに、ラルフ・ベアはいつも笑顔を絶やさなかった。自家製ジョイスティックをいじっているときも、参加型のCATVゲームをデモしているときも、数十年間にわたるモノづくりを静かに振り返るときも、ベアは常に満面の笑みを浮かべていた。彼の業績は、無数のエンジニア、ゲームデザイナー、Makerに影響を与えた。本当に寂しいことだ。
ビデオゲームの父は、12月6日にこの世を去った。93歳の誕生日の目前だった。彼は、90代に入ってからも、ティンカリングやハンダ付けやゲームを止めなかった。独学で電子工学を習得した彼は、さらに、通信教育でテレビ工学を学び、多くの光学系企業で働き、やがて大手電子機器メーカー、Sanders Associatesに落ち着いた。
そこで彼は、“ブラウンボックス”として知られる、木目調の人工木材で覆われたアルミケースに入った、彼自身が説明するところの「世界初の完全プログラム可能なマルチプレイヤービデオゲーム・ユニット」だ。これは現在、スミソニアン博物館の所蔵品となっている。開発に2年をかけたブラウンボックスは、ゲーム名が書かれたカードをに記された場所のスイッチを入れると、そのゲームをプレイできる仕組みになっている。いくつか写真を紹介しよう。
写真:『This Man Invented the World’s First Video Game Console』より。
ブラウンボックスのゲームは、どう見ても初歩的なものだったが、革命的なものであったことに違いはない。RCAとの契約が破棄された後、このユニットはMagnaboxにライセンスされ、Magnavox Odysseyとして発売された。これはカートリッジ式で、画面にオーバーレイを被せて、テニスやサッカーやバレーボールやその他のゲームが遊べた。
Magnavox Odysseyのテニスゲーム。
歴史的な訴訟問題はさておき(詳しく知りたい方は、ベアの説明をどうぞ)、今ではOdysseyのTennisがライバル企業であったAtariのアーケードゲーム、PONGに影響を与えたことは明白だ。これを読むまでその事実を知らなかった人は、「えー、そうだったの?」と驚いていることだろう。
Pongは、コインオプマシンという娯楽の主流を作りだし、人々の、そしてMakerたちの心を掴んだ。Pongは数多くのMakerプロジェクトに影響を与えている。そのほんの一部を紹介しよう。
- 世界最小の(当時)Pongゲーム
- 2つの8×8 LEDマトリックスボードで作ったNew Pong 2.0
- バナナでPong – ホントの意味で
- Pongクロック – Pongをプレイする時計
- KanoBlocksで作った Pong – Raspberry Pi用にコードを更新したもの
- Brain Pong Jumbo
Odysseyが発売されてから30年以上が経って、Pongの助けもあり、2004年、ラルフ・ベアはジョージ・W・ブッシュ大統領より、アメリカ国家技術賞を授与された。スティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアク、リアー・アドミラル・グレース・ホッパー、ディーン・カーメンといった名だたる発明家の仲間入りを果たしたわけだ。この受賞に際して、ベアはこう話したと言われている。
「40年前に、馬鹿なことはやめろと言った人たちや、いつまで下らないことをやっているんだと言った人たちの言うことを聞いていたら、そして先に進むことを止めていたら、私たちはここにはいません。世界はまったく違う場所になっていたでしょう」
ほんとうに、そのとおりだ。
作り続けよう。(Keep on making.)
Ralph Baer に関する情報:
Oral History of Gaming: Ralph Baer, Inventor of Video Games
(HuffingtonPostより)
– Nick Normal
[原文]