Fabrication

2016.03.11

アンプラグド・ツール:伝統の木工技術を復活させるMakerの旅

Text by kanai

2007年、陸軍士官としてのMark Harrellの最後の任務は、アフガン国軍を反政府軍と戦えるように鍛えるチームの司令官を務めることだった。彼はその仕事も同僚も重要に感じていたが、服務期間中、ずっと心に思い描いていたことがあった。昔ながらの胴付きノコギリだ。継ぎ手や家具など、精密な切断に使われる。なかでも、オレゴン州の家族経営の会社が作っている手作りの胴付きノコギリの虜になっていた。家に帰ったら、これを自分のコレクションに加えようと彼は心に決めていた。

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彼が欲しかったものは単なる工具だが、それにはもっと深い意味があった。それは、木工職人と工具職人による忘れられかけたデザインと技術を守ろうという、近年盛んになりつつある運動の最前線に彼を送り込むものだったのだ。

この胴付きノコギリを目にするずっと前から、Harrellは趣味として古い手工具を集めていた。彼はよく、買える範囲内でビンテージの工具をeBayで探した。そしてわかったのは、サビが浮いていたり、取っ手を新しくしたりといった、ちょっとした手間のかかる工具は安く手に入るということだ。それを直して売れば、利益が出る。

そうしてHarrellはノコギリを集めた。「鋭いノコギリがあれば、木材を思いどおりに切ることができます。その振動が腕に伝わったとき、中毒になってしまいます。そうして気がついたら、奥さんに内緒でeBayでノコギリを買っています」と彼は言っている。

古いノコギリを分解して生き返らせることで、Harrellはデザインの学習もしている。それに刺激を受け、また知識も深まり、2009年、ウィスコンシン州ラクロスにBad Axe Tool Worksという小さな会社を興した。現在ではアメリカを代表するノコギリのメーカーになっている。

アンプラグド・ゴスペル

トロントに住むライターでプロの家具職人であるTom Fidgenは、Harrellのような工具職人や修理を行う人たちが執着する強い憧れを体現している。手作り木工作品の伝道師として広く知られるFidgenは、『The Unplugged Woodshop』の著者であり、手工具の使い方と、それを使った作品の作り方を教える教室などを主催するトロントのスタジオ兼学校、The Unplugged Woodshopの創設者だ。彼が手工具を使ってものを作るようになったのは、2008年にトロントに引っ越してきてからのことだ。その小さな工房には大きな機械が入らなかった。そのとき、ともかく手動工具のほうが好きであることに気がついたのだ。「ある時点で、手工具による作業が主役になり、私はそれについて書いたり話したりするようになりました。そして世界中で教室を開くようにもなりました」と彼は語る。

「私の生徒の70パーセントは、日中はオフィスで働く事務員です。家に帰って仕事を自慢することもできません」とFidgen。だから彼らは直接ガレージや地下室や作業小屋に向かい、手で何かを作り始める。ローテクな工作なら時と場所を選ばない。それに、手工具を使った作業は感触がいい。Makerなら、その音、風合い、感覚のわずかな違いに気づくだろう。その結果は、この世にふたつとないものが作り出される。

伝統的な職人技の魅力と、高品質な工具の需要が、Fidgenのようなエキスパートを伝統的な工具職人への道に向かわせた。「Harrellの店のような専門店が各地にできています。彼はアメリカでもっとも有名なノコギリ職人です。でも、5年前はそうではありませんでした。以前、彼は地下室でノコギリの目立てをする、ただの人でした」とFidgenは言う。

アフガニスタンに赴任したあと、彼は軍を退役して、ノコギリの目立ての技術を極めた。2008年にはウェブサイトを立ち上げ、修理サービスの宣伝を始めた。そのときはまだ、彼はノコギリの修理は副業だと思っていた。彼の手工具収集癖を支えるための資金稼ぎといった感覚だった。

Harrellは、『Popular Woodworking』の当時の担当編集者で、手工具愛好家の間では有名な論客であったChris Schwarzに手紙を書き、彼の目立ての技術について説明した。すると、SchwarzはHarrellにノコギリを送り、目立てを依頼してきた。その結果に満足したSchwarzは、Harrellの新しいビジネスをブログで紹介。それが多くの木工職人の目にとまった。それから1週間の間に、Harrellのもとに数十丁ものノコギリが送られてきて、修理が待たれることになったのだ。

新しい職業として成り立つことに気がついたのは、そこからすぐのことだった。「自分の地下室の作業場を見て、これをやっているのは自分だけではないと気がついたのです。市場は非常に奥深いと」と彼は言う。

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伝統とハイテクの出会い

SchwarzがHarrellの腕前についてはじめて書いてから数年、Schwarz自身も、成長するアンプラグドな(電気を使わない)工房の流れに乗っていた。彼は今、Lost Art Press(失われた技術出版)という、伝統的な家具製作や工作法に関する本を専門に扱う小さな出版社を経営している。Schwarzも、『The Anarchist’s Tool Chest』(アナキストの工具箱)という本を執筆し出版した。その中で彼は、設備の整った工房では、伝統的な方法で、木材でものを作る場合、50種類の上等な手工具があればなんでもできると主張している。

今年のはじめ、13万5000人のメンバーを有するr/woodworkingのsubredditで行われた質疑応答で、手工具と伝統木工技術が目に見えて復活しているが、なぜそれが今なのかと聞かれた。

「インターネットによって私たちが出会えたことは間違いありません」と彼はRedditに書いている。「私が父と手工具でアーカンサスに家を建てていたとき、こんなことをするのは私たちだけだと思っていました。しかし、インターネットは、それが間違いであることを教えてくれました。もうひとつ、新しい高品質な手工具が手に入りやすくなり、人々の興味も高まりました。工具の修理を楽しいと思わない人は(私もそうですが)、金属加工よりも木工に力を入れることができます。これは大きなことです。より多くの工具職人が多くの木工職人を生み出すのです。もう十分というところまでね」

手工具の愛好家と職人とが、昔はチャットルームで、今はより手軽なソーシャルメディアで話ができるようになり、情報を交換し、それがなければ錆びにまみれたままフリーマーケットか古道具屋で山積みされるしかなかったかもしれない工具が修復されるようになったのです」

これらすべてがHarrellの、そして彼と同じような人たちの舞台が整えられ、完璧なタイミングで市場に参入できた。厳格な規格のもとに作られ高い価格で売られる高品質な手工具への興味と需要が熟すにつれ、Harrellはより多くのノコギリの修復を行うようになった。

伝統の再発見

地下室で作業をしていると、同時にHarrellはアメリカ製のノコギリの発達の歴史を学ぶこととなった。鋼鉄の質、デザインの変化などだ。彼は、長持ちするノコギリの形状や、使い手が持ち手(ノコギリ職人はトートと呼んでいる)をどのように改良しているか、いくつもの歯の目立ての方法といったことがわかるようになった。彼は、SimondsやAtkinsのような世界有数のノコギリ職人の作品も直したことがある。

そのうち彼は、南北戦争直後にHenry Disstonによって作られたノコギリに特別な思いを抱くようになった。Disston(後にDisston and Son、現在はDisston and Sons)が製造するノコギリは今でも人気が高い。そのノコギリは、技術の発達を計る指標ともなっている。とくに鋼鉄の品質と、全体的な職人の工作技術だ。現在の工具職人は必死にそこを目指している。HarrellはDisstonの研究を始めてみると、彼の人生に惹きつけられた。それが、特別な製品を作ろうという動機にもなった。

Disstonの人生は楽ではなかった。10代のころに父とともにイギリスからアメリカに移民したのだが、父はアメリカ到着の3日後に死んでしまった。Disstonはノコギリ職人の見習いとしての職を得た。数年後、見習い期間が終わったとき、給料が支払われるかわりに、工具と生活用品が渡された。

Disstonは小さな工房を構えた。しかし、それは何度も火事に遭い、また人間関係によって再スタートを繰り返すこととなった。そのなかで、彼はノコギリに関していくつか重要な発明を行っている。彼は、アメリカで初めて、刃に使う独自の鋼材の精錬を行っている。大工が使う、どの工房にもひとつはペグボードに掛かっている、先端に向かって刃幅が狭くなるスキューバックソー(洋ノコ)もDisstonの発明だ。彼はまた、従業員を大切にしていた。フィラデルフィアの郊外に社員のための街を作ったほどだ。

アメリカン・キッド

独学で修理の方法を学んでいた間、Harrellはずっと、軍役が終わったときに買った胴付きノコのことを、それを手に握ったときの感覚を思っていた。アフガニスタンにいる間中、ずっと心に思い続けてきたものだ。「魅力に欠けるものでした。自分ならもっとうまく作れると。軍隊時代の経験で自信がついていました。安定した力量に勝るものはありません。安定した力量があれば、下手なことは起こりません。いいものは美しく見えます。そして、よい仕事をしてくれます」

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Disstonのデザインを出発点として、Harrellはノコギリの修復と目立てを、まったく新しい工具を作る次元に進歩させた。彼は、自身の修復の経験から学んで、最良の形状をデザインした。「私がBad Axeを開発したとき、伝統的なデザインをコピーしつつ細かい調整を加えていったのです。新しいものを愛するからといって、古いものを捨てる必要はありません」と彼は話す。

第一段階はプロトタイプの製作だった。それを3Dスキャナーで型取った。そして、高度な技術を持つ職人を探して部品を作らせた。刃にする鋼鉄は、鉄工所に発注して正しいサイズに裁断してもらった。それに自身の工房のグラインダーを使って刃をつけると、鉄砲職人に送ってブルースティール仕上げをしてもらい、刃に会社のロゴをレーザーエッチングしてもらった。

彼は、会社の名前をウィスコンシンを流れる川の名前と、そこで1832年に起きた戦闘の名称からとった。5マイルほどのバッドアクス川は、ミシシッピ川に流れ込む前に2つの流れがひとつになっている。またここは、ミシシッピ川の西側で、ネイティブアメリカンとアメリカ合衆国軍との最後の戦闘が繰り広げられた土地でもある。Harrellはネイティブアメリカンが見せた大抵抗に心を惹かれている。大虐殺の敗者側で会った彼らだが、アメリカ軍に多大な死者を出した。

Harrellが最初のBad Axeソーを販売したのが2009年7月だった。それ以来、彼は、断固として完璧なアメリカ式ノコギリを作り続けている。現在は10種類の胴付きノコギリのモデルを販売中だ。テノン、カーカス、サッシュ、ダブテイルなどだ(これらの名前は、その用途である接合方式などの名称から来ている)。またHarrellのノコギリは、使う人の用途などに応じてカスタマイズができる。子ども向けの小さくて丈夫なノコギリもある。その名もズバリ、アメリカンキッドだ。

Henry Disstonを追いかけて

Harrellは、より汎用性の高いノコギリをつくれないかと考えている。胴はなく、厚い板も切れる。また、太材の切断も簡単にできるものだ。「私たちは、1900年代に完成された古典的なハンドソーを積極的に研究して、作り直す研究をしています。デュアルコンパウンドで、テーパー状に削られています。刃の幅は、ノコ身のいちばん厚い部分よりも広くなっていて、正確に削る必要があります。それにより、ノコ身は刃を付ける前よりも強くなるのです。第二次世界大戦以前から今まで、そんなノコギリを作った人はいません」

ラクロスの工房では、Harrellと数人の従業員たちが、出荷前のBad Axeソーを組み立て、調整し、磨き、テストしている。そこには、Disstonの偉大さと伝統を忘れないための大きな横断幕がかけられている。

その横断幕にはこう書かれている。「Henryならどうしただろう?」

原文