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2021.09.09

人間の社会、文化、そして精神も発酵する。困難な時期の希望を考える新刊『メタファーとしての発酵』は9月15日発売

Text by editor

世界各地の発酵食品の製法を自ら試して紹介した『発酵の技法』の著者が、微生物による変成作用である「発酵」をメタファーとして、人間の社会、文化、そして精神が変容していく姿を考える書籍。さまざまな差別や反感から生じる人間同士の対立、気候変動、そしてパンデミックまで、多くの人にとって困難な状況の中で、生命をリサイクルし、新たな希望を生み出し、そして果てしなく続く発酵こそが、新しいアイディアやエネルギー、インスピレーションを生み出すための希望であることを伝えます。監訳者であるドミニク・チェン氏による解説「発酵する体」を掲載。


●書籍概要

Sandor Ellix Katz 著、ドミニク・チェン 監訳、水原 文 訳
2021年09月15日 発売予定
160ページ
ISBN978-4-87311-963-2
定価2,200円

◎全国の有名書店、Amazon.co.jpにて予約受付中です。
◎目次など詳しい情報は、「O’Reilly Japan – メタファーとしての発酵」を参照してください。


●監訳者解説「発酵する体」(ドミニク・チェン)

サンダー・キャッツが「メタファーとしての発酵」について本を書いたと聞いた時、「ついに来たか!」と心が躍った。わたし自身、キャッツやその他の優れた先達の活動を通して発酵現象に魅了されるに連れ、次第に「発酵」概念をメタファーとして用いるようになったからだ。だから、他でもない、現代の発酵食文化のエヴァンジェリストとして名高いキャッツその人が発酵を隠喩として論ずる本を書いたとあらば、興奮しないわけにはいかない。同じく英語で書かれ、茶道に内包された禅の哲学や認識論を説いた岡倉天心の『茶の本』のような書籍をイメージしていた。結論からいえば、わたしのその期待は良い意味で裏切られたことになる。

キャッツはこれまで英語で3冊の発酵食文化にまつわる書籍を刊行し、いずれも日本語に訳されている(『発酵の技法』オライリー・ジャパン、『天然発酵の世界』築地書館、『サンダー・キャッツの発酵教室』ferment books)。どれも多彩な発酵食のレシピや滋味、効能についてまとめた実地的な内容だった。対照的に、2020年10月に刊行された本書は、世界中の発酵食に精通したキャッツが発酵現象を比喩として用い、現代社会を生き抜く術すべを論じている。これまでの本でも彼の真摯な人となりや、AIDSと闘病しながら精力的に活動するライフスタイルが垣間見えたが、本書ではよりストレートにキャッツ流の処世術を綴っているのが特徴だ。

だから、キャッツのことはおろか、発酵食についてよく知らない読者が、具体的な発酵食文化の解説を期待して本書を手に取ったのならば、驚いてしまうかもしれない。しかし、逆にそんな発酵ビギナーにこそ本書を勧めたいとも思う。なぜなら、本書を通して、発酵が一時的な流行やファッションの対象では決してなく、奥底が見えないほど複雑で魅惑的な「現実」であることを知ることができるからだ。

本書でキャッツは一人の実践者として培ってきた知見から、人の心から社会までが発酵(もしくは腐敗)するとはどういうことか、という考えを述べている。だから本書の文章は、抽象的な概念操作によって構築されたものというよりは、あくまで彼自身によって生きられた体験に基づく直観と価値判断が放つ説得力で溢れている。そして、顕微鏡で撮影され、着色されたたくさんの菌、カビや麹の写真が散りばめられているのは、キャッツが読者に対して認識論のアップデートを促そうとしているからに他ならない。
 
なぜ発酵現象について知ることによって、わたしたちの世界の見え方が変わるのか? それは、発酵を担う微生物たちが目に見えないほど小さい生物でありながら、わたしたちの身体を構成する重要な要素であり、また、地球環境の至るところに偏在し、文字通りわたしたちの世界を埋め尽くしているからだ。違う言い方をすれば、発酵微生物たちは、地球上の生命が成立する条件の大きな部分を担っているとも言える。それは、世界が人間の認知能力が知り尽くすことのできない現象で溢れているという事実を教えてくれるのだ。近年、古代ギリシャに端を発し、ルネッサンス以来の科学史観を支えてきた人間中心主義的な思考に対する反省が世界中で議論されているが、発酵現象について自分の体を通して学ぶことは、まさに人間こそが至高の知的生命体であるという傲慢さから離れ、世界に対して今一度、謙虚な姿勢を取り戻すことにつながるといえる。

(続きは、書籍にてご覧ください)

●本文より

メタファーとしての発酵には、きわめて広い使い道がある。私たちが心の中でアイディアを温め、想像力を働かせるうちに、そのアイディアが発酵して行くことはよくある。感情も、整理したり経験したりするうちに、発酵することがある。時には、この内面的な発酵が個人的な経験の枠を超えて、より広い社会的なプロセスへと発展したりもする。生物学的な現象と同様に、メタファーの意味でも発酵できないものは何もない。


発酵は、無限の再生力という強力なメタファーも提供してくれる。特にこの困難な時期にあって、私たちには発酵の創造力が必要だ。私たちは、生活のあらゆる領域で刺激と興奮を切実に求めている。私たちのさまざまな実存的課題には、社会的変化を引き起こす幅広い運動が必要だ。それと並行し、密接に関連しているのは増え続ける心理社会的課題であり、メンタルヘルスや性的関心、精神性など、よりつかみどころのない内面世界における変容が必要とされている。


変化の原動力として、発酵は比較的穏やかに作用する。泡立ちは炎とは違うのだ。発酵を、もうひとつの変容をもたらす自然現象、つまり火と対比して考えてみよう。火は、燃え広がる先にあるものをすべて焼き尽くす。発酵はそれほど劇的なものではない。変容のモードは穏やかでゆっくりとしている。着実でもある。地球上のすべての生命を生み出し、すべての生命の基盤であり続けるバクテリアが引き起こす発酵は、抑えることのできない力だ。発酵は生命をリサイクルし、新たな希望を生み出し、そして果てしなく続く。