Fabrication

2012.07.04

「FabLife」出版記念イベントレポート「モノ作りがコミュニティを強くする」

Text by tamura

2012年6月30日、渋谷のFabCafeにて、書籍「FabLife」の出版記念イベントが開催されました。前半は、『FabLife』著者の田中浩也さんと、ゲストの田川欣哉さん、渡邉康太郎さん(takram design engineering)によるトークセッション、後半は懇親会という構成です。書籍『FabLife』は、田中さんが2010年度に受講した、MITの「How to Make (Almost) Anything(ほぼ何でもつくる方法)」という授業の内容がベースになっています。授業の受講後、2011年に田中さんは「ファブラボ鎌倉」を開設しました。本書にはそこに至る一連の活動や、世界に広がるFabのムーブメントについて記されています。
車用貯金でレーザーカッターを購入
トークセッションは、簡単なポジショニングトークをした後、takramのお二人から田中さんへ、本書を読んでの質問を投げかける形でスタートしました。
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(左から、田中さん、渡邉さん、田川さん)

田川:MITから持ち帰ったことを日本で根付かせていく中で、田中さん自身が経験された貴重な体験などがあれば、教えてください。

田中:外国で生まれたFabLabという文化を日本にローカライズするために、大変頭を悩ませました。しかし、職人が多い鎌倉という場所に飛び込んで、ファブラボ鎌倉を立ち上げたことで、伝統工芸品の職人さんたちがレーザーカッターや3Dプリンターを使うという、世界を見ても他に類がないような状況が生まれたと思います。
そこに既にあるものと、外から持ってきたものが、うまく化学反応を起こした。そのことの難しさと醍醐味を知ることができました。

渡邉:本書を拝読して、FabLabの取り組みというのは、モノを作るスキル、つまり「What」の部分に注意が行きがちですが、実は作ることによって生じるもの……人とのコミュニケーションだったり、何に気をつけるべきかという「How」の部分も同じぐらい大切だと感じました。

田中:FabLabでは「モノ」と「コト」が同時に生まれています。以前、「モノ」はなしで、「コト作り」をしようというキーワードが流行った時期がありましたが、僕は「モノ作り」を通じた「コト作り」がいいなと改めて思っています。モノを作るのは、強いコミュニティを作るのにとてもいい。「モノ」抜きで「コト」を作るのは、若干足場が弱いと感じています。

さらに、田中さんは、ファブラボ鎌倉に導入したレーザーカッターは、田中さんが自分の車を買おうと貯めていた資金を使い購入したものであるという裏話を披露。

田中:僕は鎌倉には全くのよそ物として去年の4月から住み始めましたが、レーザーカッターのおかげで、今では町のたくさんの人と顔見知りになることができました(笑)。

これも「モノ作り」が生み出した「コト作り」なのかもしれません。
一方、田中さんはソフトウェア、ハードウェア両方の世界で活躍されているtakramのお二人に、ソフトウェア作りと、ハードウェア作りの違いについて質問。

田中:ソフトウェアは、いくらでもコピーできるから、1つ作るのも量産するのも違いはありません。一方ハードは材料は消費するし、コピーもできないから、有限なものという感じがあります。

田川:ソフトウェアは、製作して公開したあと、ユーザーからのフィードバックを反映して最適化することが自然にできる。ところがハードウェアはそうはいきません。生産、流通、販売の間にタイムラグがあって、去年のフィードバックを今年の製品に生かそうとしても、技術の進歩が速くて反映することができない。そこにジレンマを感じます。
ハードウェアのように、量産、流通という過程があるモノ作りと、ソフトウェアがインターネット上で自然に行っているような「作る」「使う」「改善する」が融合したモノ作りというものの間に、川のあちら側とこちら側に近い断絶がある。たぶんFabの取り組みは、この川に橋をかけていこうと考えた人たちが、一つの指針として見出したものなのではないかと思います。

「編む」という第3の可能性
渡邉さんからは、20世紀の課題の一つであった「作る人と使う人の分断」を見直すのがFabの取り組みなのではないかという提起がありました。

渡邉:大きな組織では、デザイン、エンジニアリング、マーケティングなどをそれぞれ別の人がやっていて、仕事が段階的なフローで動いています。もしかすると、よい物作りというのは、これらの分断されたものが、混然一体となっている状況なのではないかと思うんです。例えば「抽象」と「具象」、あるいは「収縮」と「発散」のように、本来一緒であるべきはずのものが、意図せず分かれてしまっている。これらを一体にするのがFabの効果なのかもしれません。

田中:渡邉さんは、「ストーリー・ウィーヴィング*1」という手法を提唱されていますが、「編み物」はいいメタファーですよね。複数の糸を絡ませて作って、それをほどくこともできる。
経営と物作りの話をするときに、インテグラル型*2とモジュラー型*3という言葉が出てきます。

*1 ストーリー・ウィーヴィング:takram design engineeringが様々な製品開発プロジェクトやデザイン・エンジニアリングに関わるプロジェクトを通して導き出したもので、「プロジェクトの初期に設定したコンセプトをその後も柔軟に練り直し続け、よりよいものに洗練させていく」手法のこと
*2 インテグラル型:それぞれの部品を設計段階で調整することによって、製品ごとに最適な設計を行い、製品全体の性能を出す方式
*3 モジュラー型:部品の接続部分を標準化し、その標準化された部品を組み合わせることでいろいろな製品を作る方法

田中:例えばAppleの製品はインテグラル型で作られていて、全体が統合されていて、完成度は高いのですが、分解して別の物に組み替えたりすることはできません。モジュラー型は組み立てたり分解したりすることはできるけれども、一つの統合された全体というのを作るのは難しい。どちらにもジレンマがあります。そこで第3の可能性として、「ウィーヴ」という言葉が出てくるのではないでしょうか。
FabLabのFabは「fabrication」「fabulous」の「fab」ですが、「fabric」という側面もある。編んではほどいて、編んではほどいて、を繰り返すうちに「整う」。この「整う」という感じが、うまく伝わるかどうかわからないのですが。
(略)
デザインとエンジニアリングの分断の話をすると、インテグレーションの話になります。この「統合」を、できる人とできない人がいるんですね。MITの授業では、いろいろな課題が出て、作りたいものの全体像を描き、部分に分解して、それぞれの要素を作り、最後に合体させるんですけど、それがつながらないということが多々ある。失敗の60%は統合段階にある。それができる人を、デザイナーというのかな、と僕は思います。

3Dプリンタというメディア
この後、道具と人間の関係についてや、takramさんがドイツの現代美術展に出展した「100年後の水筒」という作品のお話などで盛り上がりました。
最後に田中さんが、ご自身の夢を以下のように語られました。

田中:アラン・ケイが1972年に未来のコンピュータはこうなるということを予言した絵があります。草原に2人の子供がいて、自然の風景を見ながらタッチパネルのPCに絵を描いているというものです。ここでコンピュータはメディアになっていて、仕事と学びと遊びをつなぐ役割を果たしています。iPadそのものですよね。50年たって彼のビジョンは現実化されました。
僕も絵を描いたのですが…(と、手書きのイラストを投影)。折り畳み可能な3Dプリンタで、子供2人とお年寄りが交流している。モノ作りに年齢は関係ないので、大人も一緒に学びましょうと。この小さな工作機械は、仕事と学びと遊びをつなぐメディアで、僕はそのデザインに携わっていきたいと思っています。20年後、もしこれが現実になっていたら、僕のことを思い出してくれるとうれしいです(笑)

この後、質疑応答ののち、懇親会が行われました。
懇親会では、田中先生のサインをレーザーカッターに本でプリントし、それに参加者が釘付けになる一コマも。
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また、会場中央で強い存在感を放っていたチョコレートフォンデュには、サプライズとしてFabCafeの製作によるオリジナル「FabLife」ピックが添えられていました。
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アクリル板をレーザーカッターでカッティングして製作した、100%オリジナルのグッズです。これには関係者一同大喜び。田中先生の趣味であるサックス形のピックまであって、ご満悦の様子。
まさにレーザーカッターで作られたピックという「モノ」がメディアとなり、人と人とをつないでいるかのようでした。
– keiko Kano