人が学ぶ方法はいろいろだ。本を読んだり、教室で授業を受けたり、インターネットで講義を聴いたり。しかし、なかには面倒でストレスが溜まる学習方法もある。私が大学で工学を学んでいたとき、水曜日は9時間ぶっ続けで講義を聴かされた。昼休みもなしだ。その9時間の講義が終わると、次の日の予習を数時間かけてやらなければならない。それで工学の専攻を取り止めてしまったわけだが。もっと人間的な学び方があるはずだ。作りながら学ぶほうが、ずっと人間的じゃないか。
作って学ぶ方法は、学習者が目的を持つところから始まる。何かを作る方法を探る。作る過程で、作る技術を身につける。作って学べば(プロジェクトベースの学習とも言う)、そうする理由があるため、学んだことは体に残る。人生で必要としない、実際に使うこともない知識を頭に詰め込まれるのとは、好対照だ。
作ることを教育に取り込んでいる教師たちは、生徒ができないことには関心がない。生徒ができることに注目する。隠れた才能を見つけ出し、それを表面に出してやる。作ることを大切に思う教師は、アン・サリヴァン の伝統に乗っ取っている。ヘレン・ケラーに指文字を教えた家庭教師だ。ヘレン・ケラーが盲ろうであることを、アン・サリヴァンはあまり気にしていなかった。彼女はヘレン・ケラーの言語能力を引き出す方法を探り、その難題を解決したのだ。
今日、アメリカでは非常に多くの子どもたちが高校を中退している。そして中退者のすべてが、教育はコストに見合わないと考えている。学校に残るよう強く説得すれば、中退問題は解決するかもしれない。だがそれは、少人数の場合だ。本当に有効な対策は、学校を、子どもたちがいたいと思う場所にすることだ。もし、学校の教育方法を、椅子に座る形から、立つ形に変えられたら。受け身の学習から、能動的な学習に変えられたら。中退率は劇的に減少するはずだ。
人間をより人間的に扱うことに、何も間違いはない。作って学ぶことは、もっとも人間的な学習方法のひとつだ。私たちが賢明ならば、すべての学校を(公立、私立に関わらず)、その方向に変更すべきだ。将来、学校の生徒たちは、一列に並んだ机に座って従順に授業を受ける昔の生徒の映像を見て、ゲラゲラ笑う日が来るかもしれない。「何を考えていたんだろう?」と未来の子どもたちは言うだろう。「学ぶっていうことを、本当に知らなかったんだろうか?」と。
そう、私たちは、学ぶということを本当にわかっていない。
– Phil Shapiro
訳者から:”愛国心” を叩き込むなんてことが、本当の教育だろうか。
[原文]