編集部から:先日「Maker Faire Bay Area」での開催も成功した「ヘボコン」は、第1回から2年間の間に世界25カ国で開催されるようになりました。近年、日本発のイベントとしてここまで広がったイベントは、他にはあまりないように思います。ヘボコンは、なぜ、どのように世界に広がっていったのか、ヘボコンのファウンダーであるデイリーポータルZの石川大樹さんに寄稿していただきました。なお、ヘボコン・ワールドチャンピオンシップの出場申込は本日(7/7)までです。興味のある方はお早めに!
僕は2年前から「技術力の低い人限定ロボコン(通称:ヘボコン)」というイベントを主催している。ロボットを作る技術のない人が集まり、持ち寄った「自称・ロボット」を無理やり戦わせて楽しむイベントだ。参加者に求められる資質は、不器用であること、根気がないこと、集中力がないこと。試合の勝者ではなくヘボいロボットを持参した者が称えられ、逆に高度なロボットを持参するとペナルティを課せられるという、志の低いイベントである(イベントの概要については上の動画を見てほしい)。
そんなヘボコンが、今では25カ国以上に広がり、有志の手により60以上の大会が行われている。アジア、北米、南米、ヨーロッパ、オーストラリアでの開催実績があり、いまだ上陸していない大陸はアフリカ大陸のみだ。もはや一大ムーブメント、といっても差し支えないだろう。
イベントのコンセプトや個々の大会のレポートについては別のページ(これやこれ)を参照していただくとして、ここでは、ヘボコンがここまで広がるまでの経緯について、少し書かせてほしい。
経緯
ヘボコンを始めた理由は、僕がダメな工作や、失敗作が好きだからだ。
僕の本業は、デイリーポータルZという読み物サイトの編集者だ(ヘボコンもそのデイリーポータルZのイベント、という位置づけだ)。日々、読み物サイトの編集をしていて、たまにこういう原稿が送られてくる。不慣れなライターが見よう見まねで工作をやって、最終的に失敗したまま無理やり記事をまとめたり、明らかにちゃんとできていないのに「できた!」といって強引に終わらせる記事。そういった記事は「Make:」にはなかなか載っていないが、僕が運営するデイリーポータルZにはよくあって、僕はそういう記事が大好きなのだ。
僕も失敗作を生み出している。これは先端が回転して高速で麺をすすれる箸。回転部分の中心軸がずれており、高速で振動する箸になった。
うまくいっていない工作は面白い。作品を見れば、作った人が手を抜いたところ、妥協したところ、諦めたところがなんとなく見えてくる。言い換えれば、製作者の、人間としての弱さをその内側に保存している。出来の悪い工作は、それ自体がドラマであり、文学なのだ。
ところが、だ。世の中に出てくる作品のほとんどは「うまくできたもの」である。なぜなら一般に、うまくできていないものは発表する価値がないと思われているから。でも、僕はうまくできていないものが見たい。たとえばそういった作品ばかりを集めて、ダメなMaker Faireみたいな展示会を開いてみたらどうだろう? そう考えたのが2013年のMaker Faire Tokyoに出展した後のことだ。
だが、その計画は頓挫する。理由は明快。みんな失敗作は捨ててしまうから、展示しようにも残っていないのだ。なんてもったいないこと! それじゃあ、というので約一年後、思いついたのがこの、「技術力の低い人限定ロボコン」のコンセプトである。
マンスーンさん作、からあげクンロボ1号、2号。「ダメなMaker Faireみたいな展示会」に応募してきてくれて、その後ヘボコンになってからもイメージキャラクターとして使わせていただいた。
世界への第一歩は公民館から
当初の会場候補は公民館の和室。出場者も知人が5人くらい集まればいいかな、という計画であった。ところが自分のブログで出場者を募集したところ、あっというまに20人が集まってしまった。これはちょっと大変だぞ、ということでデイリーポータルZの企画になり、場所もライブハウスに移した。そうして開催された第1回・ヘボコンの様子をまとめたのが、冒頭に貼った動画である。控えめに言っても「大成功」なイベントであった!
イベントの一番いい写真。この直後、ゲストの「技術力の高いロボ」がやってきて、蹂躙される
文化庁メディア芸術祭から海外メディアへ
それからその年の11月、Maker Faire Tokyoにて、2回目のイベントとなる「ミニヘボコン」を開催。そして、その数日後に、文化庁メディア芸術祭の審査結果結果発表があり、ヘボコンはめでたく審査委員会推薦作品に選ばれた。ヘボコンが海外で認知され始めたのは、これがきっかけだったと思う。
思う、というのは確かな因果関係がわからないからなのだが、判明している直接の原因としては、発表の翌々日くらいにprosthetic knowledgeという海外の人気Tumblrに最初に拾われたことだ。そしてそれがニュースソースとなって、米国GIZMODOやCNETなどの大手サイト、変わったところではIEEE学会のブログやインドネシアのオタク情報サイトなど、とにかくいろんなところで取り上げられた。その数、おそらく数十はあったと思う。ほんの2、3日のうちにHEBOCONの文字が世界中を駆け巡り、冒頭の動画は、Youtube上で何十万回と再生された。最近新人ミュージシャンの売り文句でよく見る「Youtubeにアップした動画が一夜にして〇〇万回再生され…」というフレーズ、これがそれか!! と興奮したのを覚えている。
インドネシアのオタク情報サイトによる記事
その後、ここで、ワー話題になってよかったね、めでたしめでたし! で終わる……というパラレルワールドも次元のどこかには存在しているのだろうと思う。でも、僕はもうちょっと、世界にちょっかいをかけてみたくなった。
スパムじゃない英語のメール
あのダイジェスト動画は、メディア芸術祭に応募する時に友人に頼んで作ってもらったものだ。(実は、発表前から「これもしかして行けるんじゃないか」と思って、事前に英語字幕版を作っていたのです…!)
HEBOCONが世界に紹介されたとき、どのニュースサイトも僕らがアップロードしたこの動画を貼りつけて、記事にしていた。ということは、この動画を利用して、世界にメッセージを発信することができるのでは、と僕は考えた。Youtubeの動画は一度アップすると更新できないが、アノテーションといって動画の上に吹き出しを出す機能があり、それは後から何度でも書き換えることができる。最初にいくつかのサイトで紹介されたとき、僕はこのアノテーション機能を使って、「ヘボコンをやりたい人がいたらメールしてね!」とメッセージを追記したのだ。
するとどうだろう、数時間後には、僕のメールボックスに、海外からのメールがどんどん届きはじめた。Youtube上にアドレスを載せたことで、世界中のスパム業者の名簿に僕のアドレスが載ったのだ!……というのは嘘で、本当に、ヘボコンの開催希望者からのメールだった。相手は生身の人間だ。今まで英語のメールなんてスパムしか受け取ったことのなかったのに、正真正銘、人間が打ったメールだ。うれしい!うれしいけど、ただ、一つ問題があった。僕は英語ができないのだ……。
英語との闘い
メールはどんどん来るのに、返信するにはネット上の例文をつぎはぎして1通あたり2時間かかる、というありさま。英語を勉強しなかったものが死後おちるという「英文メール地獄」に、生きながら引きずり込まれる日々がしばらく続いた。朝から晩まで。
これは耐えられん、ということで、次に僕はドキュメントを作ることにした。ルールブックや、イベントの開催ガイドブック、ヘボコンのコンセプトシートなど、僕が日本語で書いた文書を翻訳に出し、英語版として開催希望者に配布した。いまから考えたら、これが結果的にルールや大会運営の標準化につながった。一回地獄におちておいて、結果的にはよかったかもしれない。
ルールブックの一部。ルールブックはこのページから入手可能。
そしてこれらの文書の配布はFacebookグループ上で行うことにして、オーガナイザー用のコミュニティとしての機能も兼ねることにした。いまでは、このグループに世界中から100人以上のオーガナイザーが名を連ねている。
動き出す世界
僕が自宅で地獄を味わっている間にも、ヘボコン・ムーブメントは始まっていた。2015年初頭ごろのことだ。最初に開催された海外のヘボコンは、米国のフラートン(編注:カリフォルニア州)だったと思う。まだルールブックが完成していなかったけど、「待ってると遅くなるしとりあえずやってみるわ」みたいな適当なテンションで見切り発車で始まり、続いて米国内で2~3イベントがそれに続いた。このころは現地のハッカースペース/Makerスペースで、メンバー向けの催し物として開催されることが多かったみたいだ。(各オーガナイザーにはちゃんと連絡をもらっていたものの、当時は英語力が低かったのでディテールがあいまいである)
フラートンのヘボコンから。左にいる、たらいみたいなのはホバークラフト(という話だがどう見ても浮いていない)
その後、ドキュメント類の完成とともに、主にアジアで大きなイベントが動き始める。単独で大学の講堂を借りてのイベントだったり、各地のMaker Faire内での開催であったり。一番大きかったのは5月に開催された台湾でのヘボコン「廢柴機器人大戰」で、60以上のチームが集まったと聞いた。一日で全試合さばききれたのだろうか…? オーガナイザーのYu-che Hungは、ルールブックの中国語訳も買って出てくれた。現在、台湾や香港でヘボコンが愛されているのは、彼の功績によるところも大きい。
台湾で「最も技術力の低い人賞」に選ばれたロボット。詳細は不明。機械っぽいがお菓子の箱でできている?
同じ時期に、イギリスのワイト島(グレートブリテン島の南にある離島)で、マジシャンのHuxley HuntがScrapbot Battles UKという名前でヘボコンを開催していた。彼は1~2か月に1回というハイペースでの開催を続け、僕を除けば世界で一番ヘボコンを開催した男ということになるだろう。
イタリアではAndrea RosatiとAndrea Barbadoroの二人がヘボコン・ローマを立ち上げていた。ヘボコンの土俵は標準ルールではベニヤ板を使用することになっていたが、彼らはヘボコンの精神にのっとり、「テーブルにテープを四角く貼って済ます」という雑な手法を発明した。いまでは僕たちもしばしばこの簡易土俵を採用することがあり、「ローマ式土俵」と呼んでいる。
ローマ式の土俵
国内での広がり
このころは、海外イベントは現地のオーガナイザーに、国内のイベントは僕が、という感じで運営を切り分けしており、自分でもたくさんのイベントを開催した。Maker Faireで開催したミニヘボコンをはじめ、全国のものづくり系イベントに呼ばれてはミニトーナメントを開催した。大阪に呼ばれて、宴会場でヘボコンを開催したこともある。
文化庁メディア芸術祭の巡回展にも呼んでいただき、そこにはアメリカから科学雑誌「Popular Science」の記者がやってきて、取材参戦するというできごともあった。彼が持参したのは、黒いボートに秋葉原で買った美少女フィギュアを載せた、「ペリ子」というロボット。もちろん、モデルは黒船とペリーである。
「Popular Science」の記者、Steveと「ペリ子」
派生イベントも生まれた。ニコニコ超会議に呼ばれたときは、通常50センチ以内としているロボットのサイズ規定に対して、1メートル“以上”限定、パイロットも搭乗可という「ギガヘボコン」を開催。雑に作られたロボットに人が乗って戦う様子は、別の意味で手に汗握るものがあった。また、2015年のMaker Faire Tokyoでは水上で行う「水ヘボコン」も開催。プカプカ浮いているばかりで半分くらい試合になっていなかった気がするが、いまとなってはいい思い出である。(すべてを美化できる便利なフレーズ)(いや実際楽しかったんですが)
ギガヘボコンに登場した、ヘボコン史上最大のロボ「豪腕機人DXヘボリオン」(布製)。3mくらいあった。
小さなヘボコン
そんなこんなでイベントオファーが増え、2015年の夏ごろにはもう一人の手に負えなくなってきたので、そのころから国内でも自分の有志によるイベントを開催してもらうようにした。これによって、成安造形大学や沖縄高専、慶応大学など、学祭や学内イベントとして気軽にヘボコンを開催してもらえるようになった。
沖縄高専のヘボコンのチラシ(端的に言って最高)
また、今年からは同じくデイリーポータルZ編集部の古賀が運営に入ってくれることになり、マンパワーの面でもかなり強化された。「同僚」の概念は人類最大の発明かもしれない。
話が運営に及んだところで余談だが、初の収益化施策として、ヘボコンをパッケージ化して、会社の新人研修用のメニューとして売り込もう! という話もあった。何人かの新人グループでチームを作り、ロボット製作を通して共同作業とプロジェクト遂行を体験するという寸法である。この話は実現しなかったが、まだあきらめていないので、ご興味のある人事担当者の方はご一報ください。今すぐに。
言葉を超えて伝わるもの
派生イベントの話に戻ろう。海外でも、前述のヘボコン・ローマが派生イベントを生み出している。ひとつは、「適切なタイヤペナルティ」が存在するカーレース、「ヘボ・レース」。ゴムタイヤなどを使用するとペナルティが課せられるため、スポンジの柔らかいタイヤや、CD-Rで作った薄っぺらいタイヤが使用されていた。もうひとつは、ロボットにカラフルなインクを搭載し、相手に噴射しながら試合を行う「ヘボコン・ペイントエディション」。任天堂のゲーム「スプラトゥーン」を彷彿とさせるような、ポップでカラフルな試合が展開されていた。
ヘボコン・ペイントエディションの様子
また、ヘボコンに新しいルールが追加された例もある。オーストリアのオーガナイザー、Romedius Weissは、試合のルールの末尾に次の一文を付け加えた。「ただし、最終的にはすべて観客が決める。」
ヘボコンは、もし本気で勝ちに来る人がいれば、簡単に優勝できてしまうイベントである。それだけに、僕自身も優勝に重きを置かない運営を心掛けている。優勝の賞品をわざとどうでもいいものにしたり(100均の工具3~4個のセット)、一番価値があるのは投票で決める「最も技術力の低い人賞」だと明言している。「勝敗はどうでもいい」と思ってもらうことが必要で、そのために、試合の判定が微妙な場合などは会場の投票であえて適当に決めたりしている。Romediusとは特にそんな話をしたこともなかったのだが、というか当方そこまでの細かいニュアンスを伝えられる英語力もないわけだが、それでも完全にこちらの意図を組んだ形で、向こうからそのようなルールが出てきたのはびっくりした。びっくりすると同時に、こういうコンセプトをきちんと理解したオーガナイザーたち(そして出場者も!)により、ヘボコンは支えられているのだ、というのを実感した次第だ。
初めてこの目で見る「ムーブメント」
昨年、2015年の11月。
なんだかんだで英語の読み書きも慣れてきて(けっこうまじめに勉強したのだ)、海外のオーガナイザーたちとは片言ながらもひととおりは意思の疎通ができるようになった。とはいえまだ何となく、海外のヘボコンに関しては対岸のできごとという感じで(文字通りの意味では実際そうなのだが)、いまひとつ実感がわかないでいた。
そんな中、現地に行って海外のヘボコンを見てくる機会ができた。香港で開催された、「廢柴機械人大戰 Hebocon Maker Faire 特別版」だ。これは香港のMaker FaireでオーガナイザーのRada SunとVP Pangが開催したもので、彼らにとって(そして香港にとって)2回目のヘボコンとなる。
3泊4日の滞在。そこで見たのは、言葉も通じない外国の人たちが、何十人も集まり、歓声を上げてヘボコンに熱中する姿だった。えっ!? と思った。
香港でのヘボコンの様子。向かって左、頭と顔だけが回転するロボットの名前は「竜巻旋風脚」
いや最初からヘボコンを見に行ったわけだから、それは当たり前の光景なのだ。なのだが、いやーまさか。本当に、本当にこんなことが起こっているとは。こんなにみんなヘボコンやってるの? わかっていたけど、わかってはいたけど……思ってもみなかったのである。外国で流行ってるっていうの、あれ、ほんとだったんだ……。という衝撃。
この体験は本当に強烈だった。確かに日本では、ヘボコンを楽しんでくれている人がたくさんいる。ただそれは、主催者の僕が編集者兼ライターで、文章を書く仕事をしていて、ヘボコンも僕が面白おかしく紹介したからみんなが楽しんでくれているのだろう。そう思っていた節があった。物書きは言葉の壁を越えられない。外国に行ってしまえば無防備なのである。ヘボコンが海の向こうで通用するというのは、想定外だったのだ。ところがふたを開けてみると、ヘボコンは言葉の通じない国でもこんなにも受け入れられ、盛り上がってている。僕自身もわかっていなかった、ヘボコンという企画自体の持つ力を目の当たりにしたのだ。
「思い出」としか言い表しようのない一枚(右端手前の、パーカー着てるのが僕)
「世界」との対峙
そして今年の5月。次なる衝撃が僕を襲った。Make: Japanの皆さんにお誘いいただき、Maker Faireの元祖であり、聖地でもある、Maker Faire Bay Areaに出展してきたのだ。
現地では、僕たちがミニヘボコンと呼んでいる、その場でロボットを作って戦う形式のミニトーナメントを開催。見に行っただけの香港と違い、今回は自分たちの主催イベントである。今回も、言葉が通じない(この1年ちょっとで英語の読み書きはだいぶ慣れたものの、会話はからっきしであった)人たちがヘボコンを楽しむ姿は、二度目ながらもやっぱり衝撃的な光景だった。
ヘボコン・ベイエリアの盛り上がり!
そして今回はさらに、米国内外を問わず、ヘボコン参加経験者や、オーガナイザーが何人も来てくれた。つまり、ここには、アメリカだけでなく、世界があった。この時の衝撃については、デイリーポータルZに描いたレポートから引用させていただこう。
いままで、外国の盛り上がってるヘボコンの映像を見て「おー」くらいに思っていた。「なんかすごいことになってるんだなー」って、ちょっと他人事みたいな感じである。僕にはわからない言葉をみんな喋っているし、見たことのない場所で、歓声のテンションもちょっとなじみのない感じだ。映画の中の話みたい。
それが、ここに来てみたら急に目の前にその人がやってきて、握手を求められて、なんなら「最高の楽しみを思いついてありがとう」くらいまで言われるのである。英語でバーッて話されて半分くらい何言ってるかわかんないんだけど、それでも、この人はこれだけの熱意でヘボコンのことを話してくれている。目の前にいる人は違う大陸から来て、全然違う言葉を話す人で、それでもヘボコンを愛してくれているのだ。
このときようやく、僕はいま世界中で何が起こっているのか理解して、全身の毛が逆立つような思いがした。こういう人たちが世界におそらく何千人もいて、ヘボコンっていう一つのイベントを通して、同じ楽しみを味わったのだ。言葉が通じなくても、同じヘボいロボットを見て、笑ったのだ。
香港で受けた衝撃と重複するところもあるが、それが世界規模に広がったのが、ベイエリアでの体験であった。ようやくここへきて、僕はヘボコン・ムーブメントの全貌を見た気がした。イベント誕生から2年、世界に広がり始めてから1年半。思えばずいぶんのんびりしたファウンダーである。
Arduinoの共同創業者David Cuartiellesらと。Davidは以前からヘボコンに注目してくれていて、今年行われたスペイン・ヴァレンシアのヘボコンは、Davidが開催を提案してくれたらしい。
そして2016年、夏。これが、次のイベントへの布石ともなるのだ。
ワールドチャンピオンシップ!
そういうわけで、世界的なムーブメントとなったヘボコン。この勢いは、もう僕であっても止められない。しかし世界に広げてしまった以上、落とし前をつけねばならない。責任を取らねばならない。それが、世界大会である。
現在、ハンガリー、アイスランド、香港、シンガポールなどなど、海外チームの参戦も続々決定。「ヘボコン・ワールドチャンピオンシップ」は8/7、「Maker Faire Tokyo 2016」2日目の夜に開催。出場申込は7/7いっぱい(「Make:」をご覧の皆様、今日ですよ今日!)まで受付中(応募多数のため抽選あり)で、観覧チケットも発売中だ。会場は別だけどゆりかもめなら一駅、徒歩でも15分程度。そして今回は特別審査員に、先ほど写真でご紹介した、共同創業者David Cuartiellesが登場!(Maker Faire Tokyoとの共同招聘)
さらにその前哨戦として、8/6、Maker Faire Tokyo 1日目には会場にてミニヘボコンを開催。こちらも本日より、出場者募集開始予定。ワールドチャンピオンシップの出場抽選に落ちても、ミニヘボコンで活躍すれば出場権が得られるぞ!
ワールドチャンピオンシップの出場についてはこちら→ http://portal.nifty.com/kiji/160620196811_1.htm
観戦、およびMaker Faire Tokyoでのミニヘボコンについてはこちら→ http://portal.nifty.com/kiji/160701196895_1.htm
まとめ:世界に活動が広がるということ
というわけで、ヘボコンのここまでの歩み、特に海外への広がりについて、ざっと紹介させていただいた。
1990年代、ネットが普及し始めたころ、盛んに「インターネットがあれば世界とつながれる」と言われていた。そんなキャッチフレーズがささやかれる時代に僕はインターネットを始めて、それから十年以上、もっぱら日本語でインターネットを使い、日本人とつながってきた。
で、急に訪れたこの2年間があって、今この状況。振り返ってみると、「あのキャッチフレーズ、ほんとだったんだな」という思いである。「インターネットがあれば世界とつながれる」。2016年になって、やっとわかった。ヘボコンはネット上じゃないリアルのイベントだったけど、それがネットを通じて広がって、僕はネットを通じて海外とやり取りをしている。で、その向こうには、外国の、リアルがある。なんか途方もない話だ。
そのスケールの大きさ、そしてヘボコンがそこにしみわたっていくという事実に対して、まだ僕はちょっと、びっくりしている。
俺たちのヘボコンはまだ始まったばかりだ!