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2017.02.03

カリフォルニアからハワイ、さらにその先へ進む無人自律ボートを作って得た体験

Text by kanai

私はカリフォルニアのハーフムーン湾の海岸に続く階段を、おっかなびっくり降りていった。肩に、27キロの大きなソーラーパワー式、SeaChargerを担いでいたからだ。「なんだあれは?」という多くの視線を浴びながら、スクリューと舵の最終チェックを行い、膝の深さまで海に入ると、SeaChargerを押し寄せる波に向かって思いっきり押し出してやった。人が歩くほどの速度で、ボートはひっくり返ることもなくいくつかの波を乗り越えていった。安心した私は砂浜に戻り、2年半かけた私のプロジェクトが西へ静かに進んでいくのを眺めた。そしてそれは白い波頭の間に消えていった。それを砂浜で見ていたひとりの男性が寄ってきて、ボートを失ったのは気の毒だが、すぐに波に押し返されて戻ってくると言ってくれた。そこで私は彼に説明した。あれは自律型のボートで、しっかりと目標に向かって進んでいるのだと。

「それはどこ?」
「ハワイだよ」

そのときの彼の表情は最高だった。

An-Early-Ocean-Test-McMillan-and-Zemp

実際、この小さな自家製ボートが大海原を3,800キロも航行してハワイまで行くなんて話は馬鹿げて聞こえる。それは自分が誰よりもわかっている。友だちの助けを借りて、私は自宅ガレージで、長さ2.4メートルのSeaChargerをフォーム材とファイバーグラスで作った。お金や競技が目的ではない。単純にやってみたかったのだ。そしてそれはまさにチャレンジだった。1年ほどのプロジェクトだろうと最初は踏んでいたのだが、間違いと妥協とやり直しで30カ月もかかってしまった。だからそれからしばらく、SeaChargerの衛星モデムからのテレメトリー情報が入るのを待ちながら、私は自分の電話機を握りしめて不安とイライラの時間を過ごした。ボートが予定のコースを進んでいることが確認されると、私はトラックに戻って帰宅した。

タッチ・アンド・ゴー

それから1日か2日、SeaChargerは驚くほど順調だった。カリフォルニアの沖合は風が強い。搭載されている姿勢センサーからは、SeaChargerは激しく傾いているように思われた。それでもボートは西に向かって進んでいる。ゆっくりだが確実に。衛星を通じて2時間おきに報告をしながら

夜も、大型のリチウムイオン・リン酸バッテリーに貯えた電力でボートは航行を続ける。しかし、わずか2日経ったとき、ボートからの定期連絡が途絶えた。ときどき衛星からの電波が弱くなることがあるとは聞いたことがあるが、非常に希なことだそうだ。そこであと2時間、心配しながら待ち続けた。それでも報告は来なかった。ボートは死んだ。そう思った。続けて2回も連絡がないなんて。ボートは沈んだかサメに食われたのだと友人に話した。友人は、ボートは安全だと言ってくれた。彼の慰めには根拠がないことはわかっていたが、心が落ち着いた。するとその2時間後、SeaChargerは奇跡的に通信を再開したのだ。私は安堵の息をついた。

Testing-of-Power-System

それから数週間は、トラブルに次ぐトラブルだった。モーターコントロールが停止し、リセットしなければならなかった。強い潮流がボートの進行を阻んだ。曇の日が続きバッテリーが底を突いた。送られてくる情報はどれも、ボートがストップしたというものだった。天候センサーも診断センサーも最小限しか積んでいない。それ以上センサーを積むのは金もかかるしリスクも大きい。複雑になれば、それだけ故障要因も増えてしまうからだ。

しかし、天候やその他の情報がなくても、想像力を働かせればいい。私はいつも、4つある電気の防水コネクターのひとつが水にやられることを心配していた。私はそれを、真鍮の水道管用の接続金具で作っていた。SherlineデスクトップミルでOリング用の溝を削り、コネクターを3Mエポキシで固めた。ボート本体には、ホビーグレード(家庭用)とプロ用のアマルガム部品を使っている。家庭用の部材だけで全部を作れば、ボートの強度が危機にさらされる。しかし、プロ用パーツで揃えるには金がかかりすぎて、私の結婚生活が危機にさらされる。SeaChargerが止まる度に、節約が命取りになったかと考えた。

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最大の疑問は、ソーラーパネルが持つかどうかだった。屋根に載せるタイプは海水に浸けることができない。代わりに、よくあるアルミとガラスを使った製品ではなく、完全にプラスティックのレイヤーだけで作られているものを使用した。これを屋根に載せたら、薄くて、やや柔軟性のあるこのパネルは、木の枝が落ちてきたときに壊れてしまうだろう。しかし、海の上に木は生えていない。そのパネルの電線が露出している部分に、海水対応のシーラントを塗り、配線はコネクターを介さず、ボート本体に直づけにした。冗長性を持たせるためにパネルは2枚取り付けられている。しかし、他の部品は、おもにコストを抑える目的のために、二重に装備することはしていない。

SeaChargerは、できるかぎり市販の電子機器を使っている。ボートの頭脳はArduino Megaだ。AdafruitのGPS、Rock Sevenの衛星モデム、Devantechのコンパス、バッテリーの保護と充電のためのコントローラーはAA Portable Power Corpの製品だ。普通のブラシレスモーターでスクリューを回転させ、ラジコン用のサーボで舵を動かす。電子機器の信頼性にはあまり気を遣わなかった。心配だったのは、むしろモーターとサーボだ。問題は水ではない。モーターのトルクは、モーターが濡れないように、磁石カップリングでスクリューに伝えられている。最大の問題は、カリフォルニアからハワイに到達するまでの時間だ。モーターは1カ月以上ノンストップで回り続けなければならない。舵用のサーボは、2〜300万サイクル動くことになる。

Seacharger_Illo

スムーズな航行

私の心配をよそに、出発してから3週間目、ボートは動き続けていたばかりでなく、むしろ快調に針路を進んでいた。この2年半、「いつこのボートは完成するの?」という子どもたちの途切れない質問に耐えながら、ハワイのどこかの海岸に立ち、遠くにSeaChargerが現れ、港に入り、勝ち誇った顔でそれを海から拾い出す自分の姿を思い描きながら頑張ってきた。それが現実になろうとしている!

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それから3週間が過ぎ、私はハワイ島のマフコナ港で、私の妻と、両親と、兄弟と、地元紙の記者といっしょに立っていた。私は、沈み行く太陽の光を反射させて近づきつつあるSeaChargerのソーラーパネルを発見した。勝利というより、夢のような気持ちだった。これが41日前にカリフォルニアを発ち、3,860キロメートルを航行してきた、あの同じSeaChargerなのだ。だが、塗料は剥がれ、フジツボが貼り付いた船体を見て初めて、それが経験してきたこと、そしてそれを生き抜いてここまで辿り着いた事実を実感した。

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問題なく着岸したSeaChargerは、驚くほど状態がよかった。ハワイに到着したあと、次に何をしたいかといろいろな人に何度も聞かれたが、真剣に考えたことはなかった。もう決めなければ。私たちは、SeaChargerを大きな箱に詰めて自宅に送ることはできたが、その選択肢には金がかかるし、冒険心に訴えるものもない。実を言うと、このプロジェクトの本来の目的は太平洋を渡ることだった。カリフォルニアからハワイまでの旅は、たしかに大変な航海だった。しかし、それでは太平洋横断とはならない。そこで私は、ニュージーランドへ向かうようにプログラムを書き換えた。不可能とも思える7,000キロの旅だ。そしてそれを実行した。

カリフォルニアを出航したときは、寒くて風が強く、神経がすり減らされるような天候だった。しかしハワイでは、パーフェクトな白砂のビーチにそよ風が吹いている程度だ。私は海に入り、腰の深さまで歩いていって、温かい海水にSeaChargerを入れた。するとそれは、静かに沖へ向かった。実に心地いい。SeaChargerもそう感じているだろうと思った。

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きわめて強い船

これを書いている今、SeaChargerがハワイを旅立って90日目になる。それは赤道を越え、日付変更線を超えて、地球の外周の4分の1以上を航海している。私の計画のつたなさと嵐のお陰で、一度か二度、小さな島の近くで座礁しかけたことはある。SeaChargerが島に近づくごとに、私はその島の地形と歴史を調べた。ニュージーランドは、マオリ族の言葉でアオテアロアと言う。「長い白い雲の土地」という意味だ。そこへボートを向かわせる前に、これを知っておくべきだった!

マオリ族はよくわかっていた。ニュージーランドの周囲には雲が多いことを。SeaChargerがそこに近づくにつれ、風と潮流が相まってボートに立ち向かってきた。それらはボートを北へ戻そうとする。ボートはそれに逆らって南に進もうとする。出発してから3カ月後、速度が劇的に低下した。相当量のフジツボが付着しているようだ。一時期、私はニュージーランドを諦めて、ボートの衛星モデムに西に航路を変更して、ニューカレドニアかノーフォーク島へ向かうよう指示した。しかし、親切にも熱烈なニュージーラードの人たちが、SeaChargerの到着を待って準備してくれていたのだ。それを知って、天候はすぐに変わると私は確信した。するとそのとおり、風が止み、南への航行が再び可能になった。

ニュージーランドまであとわずか800キロだ。SeaChargerが無事に海岸まで辿り着けるかわからなかった。何が起ころうと、なんとかこんな遠くまで来られたのだ。心底うれしいのと、当惑する気持ちとが入り交じっている。

プロジェクト全体を通して最高の驚きは、おそらく、世界中の何百人もの人たちからの強烈な興味と継続的なサポートが得られたことだ。学校で自律型ボートのクラブを担当している高校の理科教師や、Maker Faireで私にしつこく技術的な質問をしてくれたエンジニアの卵が、この世界記録を樹立したボートに大きな関心を示してくれることはわかっていた。しかし、さらに驚きだったのは、ヴィンテージのフォルクスワーゲンを愛する私の義理の兄弟や、私の妻のガーデニングとお菓子作りとホームスクーリングのママ友が、ずっとインターネットで報告してくれていたことだ。この航海は大勢の人を惹きつけた。それは、このプロジェクトを開始したときには思いも寄らなかったことだ。

とくに感謝したいのは、JT Zemp、Troy Arbuckle、Matt Stowellだ。TroyとMattは舵のアクチュエーターやその他の電子関係の製作を手伝ってくれた。JTは最初から携わって、全体的なシステムアーキテクチャー、組み立て、テストを手伝ってくれた。

エピローグ:漂流

11月18日、出発から155日目、デーモンから舵が動かなくなったと報告があった。これでついにSeaChargerもおしまいだ。だが、それまでに6,480海里(12,000キロ)という距離を航行したのは驚きだ。

原文