このところ、Makerムーブメントが少し混乱しているようだ。人気現象(ポップスターやスマートフォンなど)をメディアが扱うときは、まず次なる大きな流れとして記事を書き、その後かならず、その次なる大きな流れがもう終わるという論調に変わる。今年もまた記録的な入場者数となったMaker Faire Bay Areaでさえ、イノベーターたちを後押しして数々の記録を打ち立てているクラウドファンドでさえ、こんな見出しが付けられてしまう。
How big can the DIY and maker movement get? SparkFun wants to know(DIYとMakerムーブメントはどこまで広がるのか? SparkFunの心配)
公正を期すために言っておけば、この記事にはムーブメントが終わったとか、下火になったという書き方はしていない。むしろ、現在人気があるとされているMakerムーブメントと、一昨年は2桁の伸びを見せながら昨年はわずか9%の伸びにとどまったひとつの企業、Sparkfunとを比較している。今でもしっかりと健全な経営を続けているひとつの企業からトレンドを読み取ろうとするのは適切ではない(異例の短期間の急成長が現実に持続するかのような論理の落とし穴にはまってはいけない。それは投機家のAppleに対する考え方だ)。その企業は広く開かれていて、いまだに成長を続ける製品を扱っている(100万台のRaspberry Piが売れ、Arduinoのキットはアメリカ中のRadioShackに置かれ、Adafruit Industriesといった企業は毎年3倍の成長を遂げている)。そして、話はここに至る。「DIYは次世代のヨガとなるか、自家製ビール作りとなるか、という大きな疑問」だ。
はあ? ヨガや自家製ビールみたいな個人的な娯楽とムーブメントとなんの関係が?
ここに混乱がある。いくつかのことをハッキリさせておかなければならない。
まずは、DIYとMakerムーブメントの意味だ。ムーブメントとは、同じ考えや文化的背景を持つグループによる組織された活動だと私たちは思っている。DIYとMakerムーブメントは、まさにその定義に当てはまる。そこには、既製品やサービスを金で買うより、自分で作る方法を探ったり自分でやりたいと思う人たちが集っている。これらは別物なのか? そうは思わない。ベン図で示せば2つの輪はほとんど重なっている。たぶん、Makerムーブメントは少しだけアートやデザインに寄っている(「バーニングマンの影響」と言えるだろう)。そして、DIYの輪は「路上でエンジンオイルを交換する」ほうに寄っている。しかし、何かを作ったり、教え合ったりしたいという情熱は同じだ。奇妙なのは、ずっと昔からやってきたことなのに、なぜ今、ムーブメントなのかということだ。
答は単純だ。インターネットだ。インターネットが私たちの社会にどんどん深く関わるようになって、特定の趣味を持つ人同士がつながる能力を得た。DIYエレクトロニクスが好きな人、『ドクターフー』のキャラクターが好きな人、火を吐く彫刻を作っている人などが、より簡単につながれるようになった。情熱的なMakerが他の情熱的なMakerと出会い、情報を分かち合い、協力し合い、共に作り、盛り上がる。彼らはインターネットで、そしてリアルなコミュニティや大きなイベントで集うようになり、互いに自分たちの活動を見せ合うようになる。そして、自分と同じような人や、自分がやっていることを好きになってくれる人が大勢いることに気づき、それがスモールビジネスになるかもしれないと考え、クラウドファンドキャンペーンに挑戦する。それが成功し、他のMakerもそれを見てあとに続く。彼らは自分たちが歩んだ道を教え合う。
これは熱心なホビイストやアーティストの話だ。草の根の発明家や、いわゆる「パパママ」ビジネスも含まれる。このすべてが、学び、作り、教え合う道に沿っている。それがまとまってムーブメントとなる。一過性のものではない。
ここに、GigaOmの記事の問題点があるのだろう。これを一過性の流行ととらえているところに混乱の元があるのだ。ArduinoやRaspberry PiなどのDIYエレクトロニクスプラットフォームを取り巻く熱狂を見て、Makerムーブメント全体をブームと見てしまった。たしかに、DIYエレクトロニクスのブームはいつか頭打ちになるだろうが、その兆候はまだ見えない。これらの製品は世代が新しくなるごとに、入門のハードルがどんどん下がっている。共通の知識を分かち合い、教え合うコミュニティは、大きくなる一方だ。ツールが発達して、やるべきことが増えているにも関わらず、より多くの人を取り込んでいる。現在の世代の製品はいずれ成熟する。しかし、革新の余地はまだまだあり、新しいファンやMakerを呼び込むことができる。そこには道筋があるのだ。
だが、繰り返して言うが、ArduinoやRaspberry PiなどのDIYエレクトロニクスプラットフォームがMakerムーブメントなのではない。それらは、熱狂的ではあるが、小さな部分に過ぎない。そう、それがすべてではない。ヨガが体操全般ではないのと同じだ。しかしそれらは、多くの趣味系Makerが行ってきたことと違わず、流行を追うという趣味の姿を示している。我らがDale Doughertyは、先日の記事(日本語訳)で、マラソン人気の高まりが、Makerと同じ道を辿っていると語った。つまり、同じ趣味を持つ人たちがたくさん集まるほど、より多くの人が入りやすくなるということだ。コミュニティはますますオープンになり、人を受け入れやすくなる。人々は喜んで知識を教え合い、互いの成長を助け合う。こうしたMakerの傘の下におさまる趣味は数多い。それぞれが潜在的なヨガであり、潜在的なマラソンだ。Makerの道を辿りさえすれば、それがMakerムーブメントとなる。
いつだって流行廃りはある。しばらく熱狂が続くものもあるが、やがて終わる。なかには成長するものもある。成熟への道をたどり、そこから我々の文化にしっかりと根を下ろすものも出てくる。しかし、Makerムーブメントは、そのすべてに語りかけ後押ししている。情熱を傾けるものを作り、教え合い、作品を通して自己表現を行う、より大きな精神の一員としての意識を持たせるように、すべてに働きかけている。
これは、いつか消えてしまう単なる流行ではない。これは人生に充足をもたらす道なのだ。
– Ken Denmead
[原文]