2011.11.17
物作りの禅と技術(Zen and the Art of Making)
隔週でお届けしているコラム「Soapbox」だけど、今回は、今私が関わっている初心者を支援するプロジェクトで私が書き記したことを紹介したいと思う。このごろ私は、「エキスパート」でいるよりも初心者でいたほうがずっと楽しいのではないかと思うようになっている。
ある時点で、私たちは「エキスパート」と呼ばれるようになるが、エキスパートになりたくないと思うことがある。とくに、エキスパートであることの煩わしさを感じずに、つねに何かを目指して勉強していたいと思うときだ。エキスパートになることは、旅の終わりを意味する。私はこのコラムを「エキスパート・プロブレム」(エキスパートの悩み)という題名にしようと考えたこともあった。しかし、そんな私の考えが、この数週間で変化してきた。そんな私の意識の変革をお伝えしたいと思う。みなさんも、新しいスキルの習得や、常に勉強し続けることへの情熱を持ち続けるコツなんかをコメントしてほしい。
今回は、大好きなこの言葉から始めよう。
最初から始めて、最後まで行って、そして止まれ。
– 『不思議の国のアリス』より
何かを作り始めて、そこで完成するだろうと考えていたところで終わることはまずない。もっと適切な完成時点は別のところにある。初心者のほうが、エキスパートよりも想像力がある。なぜなら、初心者は限界を知らないからだ。子どもも同じ。「お前には無理だ」と言われたことのない子供は、真っ白な心で物に接することができる。初心者は時間契約を結ぶ必要がない。仕事ではないのだから、時間はいくらでもある。初心者(と子供)は、お金よりも時間をたくさん持っている。初心者は名誉を気にしない(まだね)。探求しているだけだ。本当の限界が見えない間は、限界は自分の想像力次第だ。
何かのエキスパートになるのは運命なのかもしれない。専門的な技能が蓄積して年を取るのは避けられないからだ。それでも、子供のころの感覚を持ち続けることは可能だ。ちょっとがんばる必要があるけどね。多くの人が自分の安全地帯を持っているのはそのためだ。自分の工房や作業机などで、私たちはそれを守り続けている。自らをエキスパートであると主張している人は、他のエキスパートから自分の仕事を守ることに終始してしまう傾向がある。インターネットはこの風潮を助長している。私は、初心者同士が助け合える場所が重要だと思う。そして、エキスパートはそこにいて、知識を分け与えたり、どうやって大切なことを発見してきたか(多くの場合、「何を」よりも「どうやって」のほうが重要)を教えることが大切だ。私が知っている最高のエキスパートは、そうした場所の門戸を開いている。しかし、そこへは自分から飛び込まないといけない。
エキスパートは動かない。初心者は常に動いている。エキスパートは、あらゆる段階でその難易度を指摘できるが、初心者は可能性だけを見ている(そしていろいろな失敗の形を経験する)。初心者が得る報酬は、作ったものではなく、物を作り共有したことで得られる人格だ。初心者はたくさんの訓練を必要とする。エキスパートは手よりも口を多く使う。初心者は技能や知識が身につくまでは簡単なものしか作れないが、複雑なものを作ろうとは考えない。エキスパートは、自分の専門知識を誇示しようとあらゆるものを詰め込むので、単純化するのに苦労する。
初心者は自分たちの失敗を語り合う。エキスパートは失敗を隠す。知識とは不思議なもので、人に与えれば与えるほど増えていく。私は、メーリングリストやフォーラムや顧客サポートのメール、Google+、Twitterなどで1日に1000通ほどのメッセージを読むが、エキスパートが失敗を認めたがらないのに対して、初心者は誇らしげに自分の失敗を語る傾向にある。初心者にとっては、障害や失敗や挑戦がすべて目の前の道に並んでいる。初心者は恐れない。ただ作るだけだ。思い通りにいこうかいくまいが、関係ない。初心者は、エキスパートと違ってリスクを避けようとは考えない。
初心者は数々の小さな問題を解決していくことに喜びを感じる。そうした問題は最良の道しるべとなって、作ろうという意欲を引っ張っていく。エキスパートが作るものは、もっと大規模で製作時間も長いため、小さな問題でも大きなダメージにつながる。初心者が解決する小さな問題は、庭に生えた雑草のようなものだ。引っこ抜いた雑草は堆肥にすれば自分の役に立つ。立派な庭園もいいが、小さい庭のほうが楽しいし、入りやすい。フェンスも低いか、まったくないから、大勢の人が自由に参加できる。
エキスパートが集まると、ライバル心の戦いが始まる。ビートルズでさえ、互いに誰がいちばんかを争っていた。エキスパートは互いの小さな小さな違いを掘り返しては、(往々にして)比較したがる。口の利き方だったり、作品名だったり、どんなライセンスを使ったかとか使ってないとか、どっちが正統かとか。初心者は、そんな知識もないので、こうしたことは気にならない。初心者でいられる時間は短いかもしれないが、彼らは自由を謳歌している。初心者は、互いの共通点を見つけ出す。エキスパートは違いしか見ない。エキスパートには知識を独り占めしようとする人が多い。初心者はまだ分け与える知識もないので、互いに励まし合うしかない。エキスパートは、ときに公然と、互いを攻撃し合う。初心者は自力で自分のための挑戦をしているので、その経験は誰にも奪われることがない。初心者には大きな発言力がない。だから互いに傷つけ合うこともない。
特に、Arduinoが広く普及したエレクトロニクスの世界では、初心者の周囲にはいろいろなものが揃っているので、面白いことが起きる。改造したり壊したり、エキスパートでは想像もつかないことをやる。それがいいのだ。破壊的なパワーのある発明品には、最初からそれを目指して作ったのではなく、何かをいじくりまわすうちにできてしまったものも少なくない。そうしてエキスパートになった者は、次の「いじくりまわす人たち」の発明品に地位を奪われる。これが、変わったことをする人々の永遠のサイクルだ。なぜそうなるかと言えば、「ほかにもっといい方法を知らない」からだ。
エレクトロニクスは難しいことだらけだ。しかし、それをひとつずつ解決できる人間も多く揃っている分野でもある。そんな人たちが周囲にいると楽しい。彼らは、挑戦すれば必ず答が見つかると信じている。私は数年前、Hack-a-DayやMakeやAdafruitに便りをくれる人たちの話をすべて残しておこうと決めた。私が集めているのは、何も知らない状態から短期間でいかにして自分が欲しいものを作れるようになったか、いかにして自分の能力に自信が持てるようになったか、といったものだ。そして、すべての人に共通しているのは、ただ自分の心の声に従っただけ、ということだ。あれこれ理由を並べて「無理だ」と言ってくる他人の意見に惑わされなかったのだ。
エレクトロニクスに関する何かを勉強しているときは、「やりすぎ」がわかるまでは、どこが「十分」なのかがわからない。初心者は、何がどうなるかわからない不確実さに満ちている。それは驚きや発見や新しい知識の獲得につながる楽しい部分なのだが、エキスパートは予測できてしまう。初心者は、まだ自分の道を定めていないので、今の自分を受け入れることができるが、エキスパートは硬直的で、同じことを他人に強要したりもする。エキスパートは自分が持っているものを大切にするが、初心者は自分がまだ持っていないものを大切にする。
初心者はエキスパートよりも大きなリスクを負うことができる。ゼロからのスタートで失う物がないからだ。エキスパートは、あるひとつのことでエキスパートになると、別のことでもエキスパートにならなければ、自分の専門性が疑われるのではないかと心配する。エキスパートは、いろいろなことを簡単にやってのける。同じことを何度もやってきたからだ。エキスパートは気が短い(自分に対しても他人に対しても)が、初心者は、やがてそれが簡単になることをまだ知らないから、忍耐強く勇敢だ。エキスパートにはプライドがあるが、初心者はそう易々と自分に嘘をつけない。
今は、物作りを始めるにはいい時代だ。3Dプリンタ、レーザカッター、Maker Faire、ハッカースペース、TechShop、Instructables、オープンソースハードウェア、こんないい時代は今までなかった。いつだって今がいちばんだと思うのが人の常だけど、本当に今は最高の時代だと思う。今、物作りを始めた人は、より多くのことを、より早く、より安く行えて、しかも仲間も多い。どれも新しいものだらけだから、誰もがなかなかエキスパートになれない状態だ。自作コンピュータやウェブの世界もそうだった。Makerの世界では、まだまだみんな模索している段階で、誰かが何かのエキスパートになるのは、ずっと先の話だろう。
私が知っている、才能に溢れ多くの作品を生み出している人々は、たいてい多趣味で興味の範囲も広い。なぜかと尋ねれば、みんな「学ぶことが好きなんだ」と答える。新しい発見や学ぶ喜びは、長年の私の初心者考の核心だと思う。もちろん、何かに熟達することはよいことだ。でも、そのとき旅は終わる。目的地に着いたとき、重要なのは、常に疑問を持てる対象を見つけることだ。科学者やアーティストが、みなエキスパートであるにも関わらず、自分のやっていることを愛し続けられるのは、それがあるからだと思う。いつも目の前に新しいものがあるのだ。つまり、エキスパートでありながら、初心者の心を持ち続けることは可能だということだ。簡単なことではないが、優れたエキスパートはそれを実践している。物作りでも、芸術活動でも、科学研究でも、エンジニアリングでも、いつだって自分の活動の初心者であり続けることができる。すべてを極めるには世界は大きすぎる。
今回はルイス・キャロルで始めたから、やっぱりこれで締めくくっておこう。
アリスは分かれ道にさしかかった。
「どっちへ行けばいいの?」とアリスは聞いた。
「どっちへ行きたいんだ?」とチェシャ猫が答える。
わからないわ」とアリス。
「じゃあ」と猫。「どっちでもいいじゃないか」
– 『不思議の国のアリス』より
[原文]