2013.07.05
昔のオランダのMaker事情
私たちはMakerムーブメントを、インターネット、メイカースペースの普及、安価なデジタルツールの登場などによって後押しされた現代の現象だと思っている。しかし、物作りは今に始まったことではない。人は常にものを作ってきた。Jan van CappelleのMakerとしての経歴は、彼が同じオランダ人、Leonard de Vriesが1947年に著した「The Boys of the Hobby Club」を読んだときに始まる。これは、少年たちがメイカースペースを、そのような名称もない時代に作るという物語です。残念ながら英語には翻訳されていないが、Janには長年の衝撃を与えた。「De Vriesは、みんなと協力すれば、店で買うのではなく、なんでも自分たちで作れることを示した」–Stett Holbrook
戦時中の物作り
我々は、Verburgが衝撃的に言ったように、少年たちが技術的なホビーを行うための、協力し合うことで大きな成果が得られるクラブを創設する必要がある。クラブには専用のクラブハウスがあり、そこではいろいろなことが試せて、散らかしたり大きな音をだすことができ、自分が主体となって行動でき、他人に迷惑をかけることがない。技術が好きな少年たちの、純粋なホビーのクラブだ。無線、写真、映画、化学、電気などのクラブだ。これまでになかったものを、これから作るのだ。私たちのクラブ…… ホビークラブを!
–The Boys of the Hobby Club
この物語は1942年に始まる。西ヨーロッパが第二次世界大戦の戦禍にあったときだ。当時22歳の作家だったLeonard de Vriesは、オランダ人のユダヤ系家庭の出身だったため、ナチスの迫害から隠れて暮らしていた。
隠れ家で暮らす孤独から逃れるために、彼はこの物語を書き始める。これはDe Vriesの最初の本ではない。戦争が始まる直前に、彼は子供向けに2冊の技術書を出版している。「The Boys Radio Book」(自分でラジオを作るための本)と「The Boys Electricity Book」だ。その後、戦争となり、ナチスは占領した国々の市民からラジオを没収した。そこで、de Vriesのラジオの本は、古いパーツからラジオを自作する人々を助け、ロンドンの放送を聞くことができるようになった。このラジオ放送はオランダの市民にとって大変に重要なものだった。その情報は地下組織の新聞に書かれて全国に配られた。
De Vriesの「Boys Radio Book」
1944年、アメリカの空挺部隊がde Vriesの隠れ家にやって来て、彼は解放された。彼は服のしたに500ページにおよぶ「The Boys of the Hobby Club」のタイプ原稿を隠していた。そしてこの本は、終戦の2年後、1947年に発行された。
クラブを始めよう
この本は、2人の少年、Fred VermeerとLeo van der Sluisが理科の授業でVerburg先生の話を聞くところから始まる。先生は、科学の面白さについて、その歴史、協力し合うことの有用性について熱っぽく語った。授業のあと、少年たちはVerburg先生の言葉を実践することに決めた。自宅に5人の友人を集めて会議を開き、Leoは、このように計画を話した。
「諸君」と彼は切り出した。「ホビークラブについて聞いたことがあるか? ない? では、それがどんなクラブなのかお話ししよう。ホビークラブは技術系の趣味を持つ子供たちのクラブだ。そのクラブハウスに入れば、そこにはいろいろなものがある。大きくて明るい子供たちの部屋だ。子供がたくさんいる。大きな作業台で、ラジオの受信機やアンプを作ってる。金属のシャシーを切ったりドリルで穴を開けたりしている。トランスを巻いたり、ケースに色を塗ったりしている。電気装置がいっぱいのテーブルではヘッドホンをした子供たちが短波を受信している。レコードをかけている。マイクとスピーカーでサウンドテストをして、ミリアンペアメーターで電流を測っている。スポットライトと電球と配線とスイッチと調光器でステージ照明を作っている。耐酸、耐火テーブルでは、白衣を着た子供たちが化学実験を行っている。カメラを持った子供たちは、高電圧ランプの下で写真を撮ったり、友だちの映画を撮影したりしている。フィルムを現像して、写真を引き伸ばし、映画を編集して、投影している。新しい装置や回路を開発する子供たち、木工やハンダ付けをする子供たち、クラフトや詳しい実験をする子供たち。ホビーに熱中し、技術を愛する子供たち。自分たちで新聞を発行し、遠足や映画会や講義イベントを企画する。それがホビークラブだ!」
「The Boys of the Hobby Club」の表紙。
他の少年たちは興奮し、そんな奇跡のような場所がどこにあるのかと質問する。Leoは、それは自分たちで作るのだと説明する。その午後、「ホビークラブ」が設立され、役員が決められ、計画と憲章がまとめられた。
Leonard de Vries。
その後は、少年たちが目標達成までに直面するさまざまな冒険について書かれている。クラブハウスはアムステルダム・キャナルハウスの屋根裏部屋に作られる。みんなで部屋を掃除して、彼らの目的に応じて家具を配置した。情報提供ミーティングでの豪華なショーで40人以上のメンバーを集めた。図書室を作り、技術指導講座を組み、工具や機械を持ち寄り、作業台、ラジオ、アンプ、送信機、マイク、レコード録音機、スポットライトを作り、工場を見学し、宣伝映画を製作した。すべては、力を合わせるという前向きな精神のもとで行われた。De Vries はこう書いている。
ある人はこれを知っている。別の人はあれを知っている。次の人はこれができる、さらの別の人はあれができる。ある人はこれを持っていて、別の人は別のものを持っている。これらをひとつにする。みんなの技術的知識、経験、部品、工具、素材、本、お金などを合体させて、その結果を見る。それには普通の言葉では言い表せないほどのものがある。
ペダル式録音機(1947年ごろ)。De Vriesの本の挿絵より。
この本の最後の章は、主人公のLeo van der Sluisがオランダ国営ラジオでスピーチを行うという設定だ。この本と、クラブの活動の総まとめになっているが、宣言文として読むこともできる。De Vriesはホビークラブの目的と目標をこう書いている。学び、探求し、開発し、進化し、創造する場を与えることで、若者の間に興味をわき上がらせる。すべては協調と友情で行われ、みんなにとって、よりよい、より美しい未来を築く。さらに、彼は戦後のオランダの未来について考えを述べている。領地が狭いために農業活動は発展できない。工業に未来がある。技術と科学に通じた頭と手が使える人間が必要とされようになる。技術系の趣味を持つ従業員は、人生においてよりよいチャンスに恵まれる。
この本の、もっとも革新的な面に、すべては23歳未満の人間によって行われているという点がある。大人の助言や講演は歓迎されるが、実行する力と最終的な責任は少年たちの手の中にある。1940年代後半の時代には、前代未聞のことだ。
フィクションが現実に
この本が出版されてすぐ、出版社には、どうしたら本のようなことが現実にできるかという少年たちからの問い合わせが殺到した。1949年には雑誌 The Hobby Club が創刊された。その後、Manual for Founding a Hobby Clubが出版された (Gui Cavalcanti Make a Makerspaceの昔のバージョンだ –S.H.) 。オランダとベルギーで、17のクラブが創設され、数年後には80にまで数を増やした。
この大成功の後、転機を迎えることになった。雑誌は財政上の理由から1952年に廃刊となった。1960年代の衰退は避けられなかった。最後のクラブは1974年に閉鎖された。シンプルにThe Hobby Clubと題された1965年の著作で、De Vriesは、テレビと、生活が豊かになったことがクラグ活動とその理念を縮小させたと説明している。もう自分でラジオを作る必要はなくなったのだ……。
その後の人生も、De Vriesは技術と科学に没頭し続けた。彼は、一般向けの科学や発明、その歴史など、さまざまな分野で100冊以上の本を書き、多くの読者に愛された。1980年代初頭には、国営テレビの子供向け科学実験番組でホストを務めた。そして、2002年6月に82歳で亡くなった。彼が亡くなる直前、オランダのテレビの歴史番組が彼のホントホビークラブやそのメンバーに関するドキュメンタリーを製作している。
De Vriesの遺産
De Vriesはビジョンのある人だった。彼の本は、何百人ものティーンエイジャーに、科学と技術の面白さと、知識や資源を分かち合うことの大切さを教えた。彼は、他の人と協力すれば、店で買ってこなくても、誰でも物が作れるようになることを示した。私が知る限り、Makerムーブメントやメイカースペースについて語ったのは、この本が初めてだと思う。De Vriesの時代には、今のインターネットの役割を長波のアマチュア無線が担っていた。1940年代には、自分でラジオを作るということには、今の3Dプリンターやレーザーカッターと同じぐらいのインパクトがあった。
De Vriesがもう少し長生きして、Makerムーブメントの広がりを見られたらよかったのにと思うと残念だ。Fablab、メイカースペース、Maker Faire、それに近年の技術の発展を見たら、彼はさぞ喜んだだろう。
私はDe Vriesの本と15年ほど前に出会った。Makerムーブメントが始まる前のことだ。しかし、やや時代遅れということを除けば、この本の理念は私に強く訴えるものがあった。この本によって、私はMaker(楽器職人)となり、仲間を探すようになった。残念ながらDe Vries氏自身に会うことはできなかったが、彼の言葉とビジョンは生き続けている。オランダ語版のThe Boys of the Hobby Clubと彼の戦争の記憶、Chaweriemは、電子書籍化されて、オランダ国立図書館で閲覧できる。
– Jan van Cappelle
Jan van Cappelle:オランダ中心部で妻と猫と暮らしている。International Lutherie School Antwerpを卒業し、中世のものからエレキギターまで、あらゆる弦楽器を製作する。現在は、キットを組み立てるのではなく、最初から作るMasoniteギターの作り方を教えている。
[原文]