Electronics

2013.07.09

Arduinoで未来をMAKEする ─ メガヘルツを超える人々

Text by kanai

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子どものころ、私は電子専門紙を読み始めたことがきっかけで、エレクトロニクスの道に入った。しかし、雑誌からエレクトロニクスを学ぶのは困難だった。内容はビギナー向けではなく、プロジェクトも面白くなかったからだ。その雑誌は、すでにある程度の技術がある電子回路愛好家を対象にしていて、電子回路とはどういうものか、それを使って何がきるのかといった初心者向けの解説には力を入れてなかった。

私が本格的にエレクトロニクスを学び始めたのは、あるキットをプレゼントしてもらってからだった。それは、Lectron Systemというキットで、ドイツのブラウンという会社が作った製品だ。キューブ状の部品が磁石でつながるようになっていて、簡単な説明書に従ってつなげれば、いろいろな回路が組めるというものだ。キューブは透明になっていて、中の電子部品が見えるようになっていた。

そのキットにはすべてが揃っていた。わかりやすいイラスト入りの解説書が付属していて、技術に対する恐怖心をなくし、楽しく学べるように工夫されていた。オリジナルの広告には「見て、2分間でラジオができたよ」とあった。それは真実だった。これがそのキットの写真だ

ユーザーエクスペリエンスのデザイン

Dieter-Rams-and-his-designs
ディーター・ラムス

このキットのもっとも面白いところは、箱から出してなんらかのポジティブな結果が得られるまでの時間が短いことだ。それで遊び、そこから学んで、私はエレクトロニクスの世界に入り、デザインへの興味に火がついた。

後で知ったのだが、このキットは当時もっとも影響力の強いデザイナーであったティーター・ラムスのデザインであった。彼は1960年代から1970年代までブラウンで働き、数々の伝説的なデザインを行っている。そして、下の写真にあるような “カリフォルニアデザイン” に大きな影響を与えた。

Dieter-Rams_Apple_Design

ディーターがよいデザインについて話しているビデオを見てほしい。

ディーターは、広い視野からデザインというものを見ている。彼はデザインの原則のリストを作ったのだが、その原則の多くは、人が物や空間と接するときの関係性を示している。

技術をデザインするときも、そこがもっとも大切だと私は思う。技術そのものよりも、それを使う人間のことを考えるべきだ。

1980年代に最初のコンピューターを手にしたときは、家を抵当に入れなくてもコンピューターが買えるようになった最初の時代だった。それを使うには、キーボードから16進数をタイプして、液晶表示画面の数字を読まなければならなかった。そのマシンは Amico2000(Friend2000)だったが、私が考える「ユーザーフレンドリー」とは別の機械だった。

Sinclair ZX81 Basicは大きな進化だった。RAMは1KBしかなかったが、いろいろなことができた。とてもシンプルで、いろいろな経験ができた。子供のころからの癖でバラバラにしても、部品数は少なく、シンプルなデザインというものを教えてくれた。だから組み直すのも簡単だった。

ZX81

それに付属していた本は、(今読んでも)プログラミング言語の基本を学ぶのに非常にいい構成になっている。だんだん高度なコンセプトに進んでいくのだ。

Arduinoの誕生

2002年まで話を進めよう。私はイブリアのIDII Design Schoolで教壇に立っていた。そこはオリベッティが生まれた街で、今でも多くのArduinoボードが生産されている。学校は、インタラクティブデザインに特化していて、人と技術がどのように接するかを考える特別なデザイン科だ。物の形をデザインするだけでなく、人がそれにどう接するかもデザインするという考えに基づいている。これはとても重要なことだ。いい製品なのにインターフェイスが最悪という製品がよくあるからだ。それは、美しくないユーザーエクスペリエンスとなる。

IDII_toolbox_map_TODO
クリックすると拡大します。

技術を学んでいる学生は希だった。プログラムの方法も電子工作も知らない。そこで私たちは、学生たちに2〜4週間でフィジカルコンピューティングの何かを作るという課題を与える。その当時、市販されているツールはほとんどがエンジニア向けのもので、オプションも、ジャンパーも、コネクターもたくさんあった。学生たちには複雑すぎて、どう扱っていいかわからない。学生たちと作業をする過程で、私は多くのことを学んだ。そしてそこからArduinoが生まれたのだ。

ユーザーエクスペリエンスの最適化

よく見れば、Arduinoボードは、いくつものオープンテクノロジーを統合的なユーザーエクスペリエンスで包み込んだものだということがわかるだろう。箱から出したときに、それがゼロから初めて何かの動作をさせるまでにどれくらの時間がかかるか、私たちはそこを知りたい。それは人々を正しい方向に引き留めておくために重要なことだ。その時間が長くなるほど、人々は途中で脱落してしまう。

私たちはみな、Makerムーブメントの新しいステップの先端に立っていると思う。中には、次なる大きな動きに着実に取り組んでいる人もいるだろう。どうかそれを続けてほしい。ただし、全体的なエクスペリエンスを常に心がけてほしい。他よりも100MHz高速なプロセッサーを搭載することは可能だ。しかし、それをどう扱うかは人によって大きく異なる。それを使えるようになるためのエクスペリエンスのほうが、どう使っていいかわからないパワーを与えられるよりもずっと重要だからだ。

訳者から:「エクスペリエンス」(Experience)という言葉がたくさん出てくるけど、これは中学で習った「体験」とか「経験」という意味とはちょっと違う。むしろ「体験したこと」というか、製品に関して言えば「使った感じ」という意味になる。適切な訳語が見あたらないので「エクスペリエンス」としたけど、最近では日本でも体験や経験と区別して「エクスペリエンス」と言うことが多くなってるみたい。なんか、またカタカナ語が増えちゃって、やーね。

– Massimo Banzi

原文