Electronics

2014.09.02

紙とペンで電子回路を描く「AgIC」— 電子回路を誰でも作れるようにしたい(Maker Pro Jp)

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ペンで描いた線がそのまま回路になる、普通のプリンタから紙に電子回路がプリントできる、そんな未来を現実にしようとしている「AgIC」の清水信哉氏に話を聞いた。

第一印象は「ドラえもんの道具!」

はじめてさわってみたAgICのペンは、さわり心地も、描き心地も、本当に普通のマーカーペンの感覚だ。描いた線はすぐに乾き、通電可能になる。スイッチになる部分を丸く描いてそこから2本の線を伸ばした先にLEDの足を当て、スイッチ部分を折り曲げてボタン電池を挟めばLEDの光が点く。回路になっているのだから点いて当たり前なのだが、目の前で起こることが魔法みたいにおもしろい。AgICのペンが、まるでドラえもんの4次元ポケットから出てきた未来の道具に思える。

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手で描いた線がそのまま電子回路になる(写真提供:AgIC)

AgICの製品は、銀のナノ粒子を含んだ特殊な導電性インクをしたペン、そしてプリンタで使えるインクカートリッジ。描線は厚さ数百nmの薄膜で、表面に純銀がコーティングされた状態だ。金属のパターンと同様に線の細さと長さで抵抗値が決まる。電気抵抗の基本中の基本だが、電気が通る道が多ければ多いほど電気が流れる。

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AgICペンは9/12発売、定価は1本1,200円の予定(左)。専用の用紙もあり、写真光沢紙を元にさらに特注で導電性インクに最適化するように作ったものだ。ペンとA6サイズの用紙5枚セットもあり、1,500円の予定(右)。用紙はA6サイズ10枚で800円の予定

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AgICカートリッジ。こちらは10月発売、特定のインクジェットプリンタに組み込んで使える。A4で100枚印刷できる交換カートリッジのセット(CMY)で2万円の予定だ

インク自体は東京大学の川原准教授が発表した論文がベースになっている。もともと川原さんは清水さんの大学時代の先生。2013年9月に論文が発表され、その2ヶ月後に川原准さんと清水さんが再会し、この研究のことが話題になった。これは事業化できると清水さんはすぐに直感したという。当時、コンサルティング会社にいた清水さんは会社を辞めて起業を決意、12月に初期資金投資の準備に入る。会社を設立したのは1月。2014年3月にKickstarterに出して、8万ドル(800万円強)を超える出資を集める。

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清水信哉さん。自身、電子回路の設計を専門とするエンジニアだ。高校生のころから電子回路に触れ、東京大学の電子情報学専攻で電子回路と情報系を学ぶ。就職先がコンサルティング会社だったのはビジネスを勉強したかったから。「なかなかメーカーにいっても自分の好きなものが作れない。いまは自分で会社を立ち上げるしか自分でものを作る手段はない」と、いつかは起業を考えていたからだ

研究室の技術を実験室の外でも使えるようにする

AgICが行ったのは、銀ナノ粒子を使ったインクの基礎技術を元に、そのインクをペンにつめ、またカートリッジにして製品化したことだ。多くの場合、研究室で開発した技術と市中に流通する商品とはギャップがある。彼らは、研究室で開発された技術を「実験室以外のところで使える形」にしたのだ。

では、実際にはどう製品化まで至ったのだろうか。そもそも「ペン」と一口にいっても、マーカー、サインペン、ボールペン、万年筆とさまざまな種類がある。ペンという製品にするにあたって、誰が描いても、適切に過不足なくインクが塗布され、導通するという形を目指すことになる。また、純銀を大量に使っているため(インクの重量の10%〜15%が純銀)、インクの量を制御することはコストを上げるためにも必須になる。コストが下がらないと価格にも影響する。ある程度、手軽な価格帯で提供することがツールとして普及するための重要な要因である。

インク壷に詰めて刷毛で塗ることでもよかったのだが、これはうまくいかない。塗り過ぎるとインクが乾かずに余ってしまったり、つぶれてしまったりする。インクの量と抵抗値は必ずしも線形に下がるわけではなく、ある程度に達するとそこからはもうほぼ変化がないという。つまり、必要最低限な量のインクを出すことだ。そこで、ペンのパーツを買ってきて手組みでさまさまな試作を行うことになる。最初のプロトタイプは筆ペンタイプ。これは、結論から言うと失敗だった。インクが出過ぎてしまうことでムラになり、表面の乾いていない部分がはがれやすくなってしまう。インク自体は同じ成分でも、その出方の制御によって成果物の結果が変わってしまうのだ。

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ペンタイプと筆ペンタイプ(上)、実際に描いたところ(下の写真の中央部分)。ペンタイプのものはゆっくり描いても、さほど表面に乾かないインクが残るということはないが、筆ペンの場合、インクが出過ぎることで表面に乾いていないインクが残る。すると、たとえば拭き取ってしまうことではがれてしまう。ペンタイプのものは、基本的には1回描くとはがれない

Kickstarterで公開したプロダクト紹介の動画で使っているペンは彼らが自身で組み立てた手組みのものだ。出資が集まったところで製造してくれる工業を探し、東大阪の町工場に巡り合った。一般にペンという製品のロットは100万本以上の単位となる。中国などで作られることが多く、日本ではほとんど作られていない。特殊な用途のペンを数万本単位から多品種のペンを作っている工場に頼むことができた。ちなみにカートリッジの生産も国内の工場だ。

ただし、今後は生産を中国に移していく可能性もあるという。「量を作るとなると…… 先々週も深圳に行って工場回ってきたんですが、基本、手組みなので、それだけで全然違います」

気になる描いた回路の耐久性は、目安として半年くらいだという。もう少し長く使いたい場合は両面をラミネートで加工することで長く使うことも可能だ。しかし、そういった加工をしない場合は、紙なので劣化する。結果、インクがはがれてしまうことなどが起こる。

AgICが狙うターゲットは教育の分野

冒頭で「魔法」や「未来の道具」と表現したことを大げさだと思われたかもしれない。しかし、小さな子どもたち、あるいはこれまであまり電子回路をさわったことがない人にとって、AgICのペンはやはりそう見える。AgICが狙うターゲットもそこだ。すでに通信教育大手の企業と提携し、教育向けキットの開発も始まっている。

使用するのは、基本的に子どもでも誰でもなじみの深いペンと紙とはさみ。また、通常の電子回路と違って、折ったりもできる。紙なので電子パーツをそのまま上から貼ってもいい。子どもにブレッドボードで電子回路を教えるより、断然、手軽にやってみることができる。Maker Faire Bay Areaなど、過去のイベント出展時の反応も、子ども連れの来場者に非常によかったという。Maker Faire editor’s choiceや、Maker Faire Bay Areaの今年おもしろかった10の展示に選ばれている。

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子どもやこれまで電子回路をさわったことがない人でも、容易に作品の中に電子回路を組み込むことができる。通常のインクとも併用も可能だ

実は、基になる論文では、この導電性インクの技術をセンサーネットワークのノードに活用するのが目的だった。センサーネットワークは、センサーと電池を持ったモジュールをたくさんばらまいて、それらがつながることでデータを観測する。ノード1個あたりのコストをできるだけ抑えるために、紙に回路を印刷し安く製作するというものだったのだ。だが当初より清水さんは、これは教育用途に活きる技術だと考えたという。「本当のプロフェッショナルになってしまうと、ブレッドボードを使ったり、いくらでも自分で回路を作ることができる。そうじゃなくて、子どもに限らず、いままでまったく電子回路にさわったことがないユーザーをターゲットにしたほうがいい」

清水さんが示してくれたサンプルはスピーカーだ。単純な一重の円が描かれている。一重、くるっと回しただけだが、この裏に磁石を置くと、簡単な磁石の原理で、電流が流れているコイルの下に磁石があることでコイルが電磁石になって振動する。そこにアンプで増幅した信号を入れるだけで音が鳴る。このパターンを一重にするか二重にするか、ぐるぐる描くかで、鳴る音が変わってくる。そうやって、試行錯誤して自分で作っていくことができるのだ。これは大人でもかなり楽しめる。今後、こうしたAgICを活用した電子工作キットの開発を進めているという。

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左は紙飛行機のパターン、中央は完成させたもの

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取材時に清水さんが描いてくれた説明用の描線。ちなみに、左の丸と四角がスピーカーだ

エレクトロニクスはもっと自由になる

プリント基板に電子部品をハンダ付けするという、従来の電子回路とは違う作り方のための技術、製品が続々と登場している。清水さんは、これをいい変化ととらえているという。科学(この場合、エレクトロニクス)リテラシーのベースが向上することに価値を感じているのだ。「多くの人たちは一生こういうテクノロジーというのは、理系の、工学部を出たようなエンジニアの人たちだけのもので、自分たちは使うだけだと考えてしまって、そこには溝がある。そのギャップが少なくなっていくといいなと思っています」

布やフェルトなど、クラフト素材を使ったものづくりと電子工作の組み合わせは分野として定着してきたし、最近ではArduino互換ボードの8pinoを始め、GPSや通信モジュールなどの超小型化が進み、ウェアラブルへと向かっている。また、Circuit Stickersなど、シール状の電池や素子を開発するベンチャーも登場している。こうした素子や超小型モジュールとAgICのペンと組み合わせたら、絶対におもしろいことが起こるはずだ。

AgICのペンの販売は9/12からAmazon.co.jpなどで始まる予定だが、秋葉原などのリアル店舗でも買えるように準備が進められている。日本の他、アメリカや中国でも販売予定。MAKEのオフィシャルショップ、MakerSHEDで販売する話もあるという。

清水さんはAgICのインクが「何かを作る入り口になってくれたらいい」という。「ペンとLEDで作れるものは、押したら光るだけとかその機能は限られてくる。でも、最初はそれでもよくて、そこから、もっといろいろな光らせ方にできないか、単純に押したら光るではなくて、人が入ってきたら光るようにしたいとか、そういったものに興味が広がっていくといいなと思います」と。銀ナノインクで、文房具としてペンを作ろうとした理由はそこなのだ。

— 大内 孝子