2015.06.26
3Doodlerの開発者が語るメイカースペースから市場への道
2013年のはじめに行われたクラウドファンドKickstarter のキャンペーンで、世界初の3Dプリントペンが230万ドルを獲得した。
13万ユニットを超える3Doodlerが売れた。今年の始めには、新しい改良型の、よりスリムになった2.0 versionのキャンペーンが行われ、150万ドルを獲得した。私たちは3Doodleの共同創設者、Max Bogueに会い、その体験について語ってもらった。
DC Denison:これまでにいくつものオモチャを作ってこられましたが、3Doodlerが最初のヒットでしたね。みんないたずら描き(doodle)が好きだってこと?
Max Bogue:みんなMakerなんですよ。私たちはものを作る生物なんです。昔は槍や弓矢を作っていました。私たちの体の中には、作り、開発し、直し、問題を解決することに情熱を燃やす何かがあるんです。
3Doodlerは創造力を開花させました。ソフトウェアやハードウェアのバリアを取り除いたのです。その手に持っているもので、物理的にものが作れる。みんなが独自のスタイルで。みんな手描きの絵が違うようにね。
DC:3Doodlerはマサチューセッツ州のメイカースペース、Artisanʼs Asylumで生まれましたね。その環境がどのように開発に影響しましたか?
MB:そこは私たちに大きな自由を与えてくれました。質問に答えてくれる人がいるとは思っていました。技術的に行き詰まったとき、5、6人の人が私たちの回路のダイアグラムを見てくれて、抵抗は10kではなく5kのほうがいいと教えてくれたりしました。全員がクリエイティブな精神の持ち主です。それが初日から私たちの製品を助けてくれたのです。
DC:3Doodlerの使い方で、もっとも意外だったものは?
MB:いちばんは、視覚障害者のコミュニティで使われていたことです。彼らはそれを使って点字を書いていました。また、数学のクラスではグラフを描いていました。私たちの最初の反応は、それは無理だろう、というものでした。そんなに精密なものではないからです。しかし、私たちは完全に間違っていました。それほどパワフルなのです。単にクレイジーでクールな製品というだけでなく、人の人生を変える力があるのです。
DC:アーティストにも人気ですね。たとえば、Etsyにも3Doodlerの作品がたくさん出ている。
MB:ええ、それを期待していました。しかし、自分自身の作品にも大いに役に立っています。私は、それまで想像もしていなかった細かい作業をするようになりました。ブルックリンブリッジの設計図をダウンロードして、3Doodlerで橋を作ったんです。それは近代美術館に展示されています。そのおかげで、橋の仕組みをよく理解できるようになりました。同じように、スーツのジャケットも作りました。仕立屋を訪ねて型紙をもらい、その上に3Doodlerして、型紙を剥がし、パーツをつなぎ合わせました。それで、スーツのジャケットがどのように作られているかを、本当によく知ることができました。ものがどのように作られているかを、すごくクレイジーに詳細にわからせてくれるのです。
DC:中国製の模造品が出てくるまでに、どれくらい時間がかかりましたか?
MB:[笑いながら]6カ月ぐらい。成功した製品にはかならず模造品が作られと、私たちは知りました。イミテーションは最大の称賛の証だと思ってます。
模造品を防ぐ戦略は?
MB:私たちには知的財産権で守られているものがたくさんありますが、私はこのコミュニティを信じています。そして、イノベーションを信じています。私たちが持っているのは、発明する力です。常に発明していることが大切です。新しいversion 2.0は、その素晴らしい証明です。
DC:プロになりたいと思っているMakerたちに何かアドバイスを。
MB:ひとつはプロトタイプを作ること。そして、もうひとつは、そのプロトタイプを市場に出すことです。プロトタイプを作るのは全体の5〜10パーセント。残りの90〜95パーセントはまったく未知の世界です。すごいアイデアを思いつくのはスタート地点。そしてそのアイデアを実物にする。そこがいちばん難しい。多くの人は、最初のアイデアに夢中になってしまう。それはいいことです。しかし、キャンペーンに成功して生産のための予算をもらったとき、生産で泥沼にはまってしまう人が多い。だから、全体のプロセスをしっかりと把握しておくことがとても大切なんです。
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