Electronics

2015.11.06

「オープンソースはもはや哲学的な問いだとは思わない。新しい仕事や協働の形をもたらしているから」David Cuartielles(Arduino教育ディレクター)インタビュー vol.02

Text by Toshinao Ruike

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Maker Faire Rome 2014より。Arduinoの歴史に関する展示で木板にレーザーで刻まれていたMassimo Banzi(右)とDavid Cuartielles(左)。

世界10,000校でこれから展開される教育プログラムについて聞いた第1回に続いて、Arduinoの教育ディレクターDavid Cuartiellesのインタビューを掲載する。今回はさらに教育現場におけるオープンソースについての考え方や会社としてのArduino、Massimo Banziと出会ってArduinoの始まったきっかけについて話を聞いた。

あなたは今もマルモの大学で教育を行う立場で、さらにArduinoの共同創業者で教育ディレクターでもありますが、その視点からオープンソースについての哲学というか、あなたの考えについて話していただきたいのですが。

David Cuartielles: 自分はいつも教育や研究に関わってきた。そこで、いつも発生する問題と言えば、例えば一方のある技術が権利的に守られていることによって、もう一方がアクセスできないという問題だったんだ。創造性にとってはそこが一番の制約だったんだね。

しかし、会社にとっては製品を売ってそこから利益を上げることはとても大切なことです。

David Cuartielles: それはもちろん。でも、そこでオープンソースであることが問題になるとは思わない。自分の会社は利益を上げているし。オープンソースと非オープンソースがどう違うかというと、本当の意味での社会的責任を示すことができるかどうかにあると思うんだ。大学を例に取れば、本当に大企業がPh.Dの学生に研究で製品を使い倒してもらえたらいいと思っているかというと、現状はむしろ煩雑な手続きがあったり、特許が守られることが優先でそうではないように思う。そういった点ではオープンソースは明示的だ。

例えばGPLライセンスで君が何かを作って配布しても、そのコードをコピーして利用した製品がその先もGPLライセンスで配布され続けているかを監視してくれる警察のような存在はない。特に法律面で、オープンソースで何かに取り組む際には、自分の権利を守るためには先回って権利をコントロールする必要がある。それは同時に直接的な方法で社会的な責任を示すということでもあると思う。また自ずから価格面においても公平になるし、オープンソースであることは社会に対してより責任を負うことができると思う。

社会的責任について言えば、企業としてバランスを保ちながら社会的責任を負うことはなかなか難しいことだと思います。例えばMicrosoftやAppleのような企業も、研究や非営利活動のサポートを含めてさまざまな社会貢献活動をしていて、企業としても社会的責任を放棄しようとしているわけではないと思います。あまりオープンソースに入れ込んでいるわけではないかもしれませんが。

David Cuartielles: 今時は多くの企業は変化しているよ。どのように社会的な責任を果たしていくのか考えている時期だと思う。IntelやMicrosoft、今やSamsungもArduinoのパートナーになり、彼らもオープンソースが教育をビジネスとしてどのように再び形を付けていくのか注目しているよ。

例えば一つの特許を取ってそれを守ろうとすると、さらにその周辺にもたくさんの特許を取らなければいけない。市場で他社と競争する上でそういう特許上の攻防をすることは、小さな会社には負担が大きい。オープンソースのモデルでは市場において他社は競争相手でもあり、また協働する関係にもなり得る。

例として、ArduinoはIDEのソフトウェアを持っているけれど、元はProcessingのIDEで培われたものだ。我々はそれに感謝しているけれど、現在ArduinoのIDEには300人以上の有志のコントリビューターが開発者として参加していて、彼ら自身も会社を持っていてArduinoに関係した製品を販売していることもある。いちいち面倒な契約を交わしたりしないで、それぞれがボードを作って、その代わり一つのソフトウェアを共有することで、小規模なプレーヤーたちによる自然なコラボレーションが生まれる環境が作られたんだ。

自分としてはオープンソースはもはや哲学的な問いだとは思わない。もちろん哲学的に考えてもいいけれど、それよりは僕はむしろ実際的な問題として捉えている。なぜなら新しい仕事や協働の形をもたらしているからね。

大きなプレーヤーと小さなプレーヤーについて今語っていただきましたが、Arduinoは会社としてどんどん大きくなりました。大きくなったことで利害関係者が増えて、いわゆるそういったステークホルダーへの責任も増すと思います。特に共同創業者として、Arduinoはどのように会社として変わっていったと感じていますか?

David Cuartielles: Ole!(スペイン語の掛け声)興味深い質問だね。まず会社を設立する以前にオープンソースプロジェクトを何年もやってきて、大きな違いは結果に対して遥かに重大な影響を及ぼすようなシリアスな決断を行う機会が多くなったことだ。

オープンソースプロジェクトならいつでも「みんな聞いてくれ、今日はどうしても仕事はできない。太陽が出てる、ビーチにどうしても行きたい」なんてことを言えるけど、会社だと通用しない。昔から僕は働きたくない時にも働いてきたけれど、今は違う種類のプレッシャーがある。

プレッシャーの問題というより、むしろそれがあったおかげで、スウェーデンで会社を設立して、教育プロジェクトのためだけに、1年弱で20人の従業員も雇うことができたわけだ。オープンソースにはその雰囲気とか仕組みがあって、会社は会社でまた違う雰囲気や仕組みを持っていて、それぞれに違うタイプの支持者や面白いことをする人がいる。

教育プロジェクトで政府や教育者など当事者が増えていく中で、会社になった場合には、法人ということで政府も大きなプロジェクトを頼みやすい。もちろん会社というプレッシャーはあるけれど、それは誰もが抱えているのと同じ種類のもので、大きなプロジェクトを扱うようになったという変化はあったけど、それは天気の変化のようなもので特別なものではないね。

Arduinoを一緒に創業したMassimo Banzi氏とはどのように出会ったんですか?

David Cuartielles: 彼が勤めていたイタリアのイヴレーア(Ivrea)の学校で行われたカンファレンスで2005年ごろに知り合ったんだ。そのころ、授業でデジタルのテクノロジーを扱うのにみんな各自でボードを作っていたんだけれど、アーティストやクリエイターも含めてみんなが使えるような製品を作る必要があるという結論に達したんだ。それから、3か月の契約で僕の兄とイヴレーアに滞在して、兄はソフトウェア、僕はハードウェアを担当して、開発をまかされた。というのも、前任の人が引き継ぎをせずにプロジェクトを途中で放り投げてしまったから、ブートローダーからライブラリーまで全部僕たちが始めから作らなければいけなかった。任期の最後の方でMassimoに「もうこんなことは起きないように、僕たちのプラットフォームを作って、それをすべてオープンにしておくべきだ」と言ったんだ。彼はそれに同意して、プロジェクトが始まった。そして数日後にはボードをデザインをして、100個以上のボードができていた。それから、1週間経ったころ、イヴレーアの学校がなんと閉鎖になってしまったんだ。そこで、否が応でも、オープンソースにせざるを得ないという状況になったんだ。それから弁護士に相談して、Creative Commonsライセンスでプラットフォームを提供することに決定したんだ。

<次回に続く>