Fabrication

2018.08.24

メイカースペースは大火災の灰の中から甦る

Text by Jared Yates
Translated by kanai

Foothills Community Workshopは、ノースカロライナ州シャーロットから車で1時間ほどのグラニットフォールズの古い工業地帯にある。最初の6年間は順調だった。会員数は安定し、作業場は最初の約186平方メートルから465平方メートルにまで広がった。賑やかな木工工房、機械工作室、化学実験室、鉄道模型のレイアウト、そしてコミュニティの人たちが気持ちよく集える施設が揃っていた。このスペースは、1万6700平方メートルの広大な織物工場のほんの一角を占めているに過ぎない。

0280-DSCN0798

0245-DSCN0621

0210-cnc-mill-201202-lightened

0160-IMG_1051

0120-GEDC0929

0110GEDC0997

2017年7月21日金曜日の午後、工場跡の別の場所から火が出た。そして間もなく建物全体が炎に包まれた。怪我人はいなかったが、スペースは完全に失われた。残ったのは、ポーチに取り付けられていたアマチュア無線用のアンテナだけだった。全員が無事だとわかったあと、その実際の被害の大きさが身にしみて感じられるようになった。40年かけて作られたGeneの鉄道模型レイアウトは消えてなくなった。レーザーカッターや機械工作室の高価な機材も失われた。工場の反対側に保管されていた一部のメンバーの所持品も燃えてしまった。アンティークなコンピューターのコレクションも、教室に並んでいた新型コンピューターも消えた。

火災の直後、理事会が開かれ、組織はそのまま継続し、灰の中から、もっと大きくて、より良いスペースを立ち上げようと決意した。

0520-20158029_837108499789227_8031079577404595404_o-1024x768

その後の数カ月間に、いろいろな物が降ってくるようになった。ありがたくも懸命に働くボランティアの元へも、さまざまなものが送られてきた。相当額の保険金が下り、5桁の寄付が2人のメンバーから贈られ、その他のメンバーからも少額の寄付が数多く寄せられた。そのため、銀行口座には、以前のように場所を借りるのではなく、買い取る方向で計画を進めることができた。所有者となれば建物の改造も自由に行えるし、当然、経営状態も長期にわたって安定させられる。

0614-DSCN1071-1024x768

新しいスペースは、元の場所から1マイル(1.6km)も離れていない場所で、広さは929平方メートルある。そこを作業ごとのゾーンに区分けした。新しくできたゾーンには、教室、ラウンジ、本格的な厨房、コンピューター/ロボティクス/ゲームの区画、エレクトロニクスの区画、アートとクラフトの区画、コンピューター博物館、鉄道、アマチュア無線局、機械工作室がある。建物の基本部分は1930年代に建設されたもので、最後には靴の配送所として使われていた。近くにあった別のコミュニティ工房が閉鎖するというので、その絶好のタイミングと寛大な配慮により、設備の大部分を私たちに寄付してくださった。Dallas Makerspaceは、遠くテキサスからLasersaurと電子ツールを送ってくれた。メンバーたちも、必死になって物を拾い集めた。地元や遠方からの温かい寄付もいただいた。

0613-Lasersaur-presetup-cropped-1024x708

あれから1年近くが経過し、スペースは形になってきた。木工工房だけは、以前の場所と同じぐらいの広さを確保した。レーザーカッターは2台稼働している。子どものロボティッククラブが毎週ここを利用している。地元の自治体も協力的だ。地元住民のための教室も開かれ、そのスケジュールもどんどん埋まってきている。荷物の積み込み場まである。機械工作室や鉄道模型の区画など、まだ建設中の施設もあり、インフラが整っていない部分もあるが、コンピューターのコレクションは、以前に近い状態に回復しつつある。ただし、Imsai8080とHP85が欠けているは寂しい。いろいろ足りない部分はあるが、良くなった部分はそれを超えている。

あの悲惨な壊滅状態に対処することで得られた最大の拾い物は、組織がスペースに勝るという事実を知ったことだ。まさに人が命だ。メンバーをはじめとする人たちは団結して、何カ月間も、自分たちの拠点すらない状態でも大いに気に掛けてくれた。地元の人たちも、寄付やボランティアで協力してくれた。全国の仲間たちは、私たちが調達すべきだった物資を送ってくれた。

0616-20180411_180102-e1531226332667-768x1024

火災の原因はわかっていない。おそらく、もうわからないだろう。火災発生から2週間後も、建物にはまだ燃えている部分があった。写真偵察を行ったが、溶けたガラスやねじ曲がり錆びた鉄骨の中で、いちばん大きかった機材が骨だけになっているのが見てとれた。非常に危険な状態で、何か記念品を拾い出そうなどと考えることもできない。健康上好ましくない環境であることは言うまでもない。

0560-Screenshot-1024x576

この先も、失われたものをそのまま取り戻すことは二度とできないだろう。まったく同じスペースを再建することも不可能だ。しかし、私たちは最高のスペースをこれから作る。人々が集い、学び、教え、作る場所を。

原文