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2024.06.14

『発酵の技法』の著者による世界の発酵文化を探求した記録。50本以上のレシピと豊富な記録写真も掲載した『サンダー・キャッツの発酵の旅』は6月27日発売!

Text by editor

●書籍紹介文

『発酵の技法』『メタファーとしての発酵』の著者による、発酵食品を探して巡った旅の記録、各地の発酵技術、そしてレシピで構成された一冊。日本人にも馴染みの深い麹、酒、納豆、味噌、ふなずしから、中国、南北アメリカ、ヨーロッパ、北極圏など、各地の地元の食材を最大限活かすための発酵の技法と、それを伝える人々の情熱を、ユニークな発酵食品の味わいと共に伝えます。メキシコ風キムチなど、文化が混淆した興味深い例も紹介し、各地の発酵食品の関係性を理解することも可能です。50以上の発酵食品のレシピと多数の旅の記録写真を掲載。本文オールカラー。


●書籍概要

サンダー・キャッツの発酵の旅 ― 世界中を旅して見つけたレシピ、技術、そして伝統

Sandor Ellix Katz 著、水原 文 訳

2024年06月27日 発売予定
336ページ
ISBN978-4-8144-0057-7
定価3,520円

◎全国の有名書店、Amazon.co.jpにて予約受付中です。
◎目次などの詳細は「O’Reilly Japan – サンダー・キャッツの発酵の旅」をご参照ください。


はじめに

私は昔から旅が好きだった。若いころの旅の思い出を振り返ってみると、発酵に本格的な興味を持ち始めるよりもずっと前から、旅によって私は発酵について考えるよう仕向けられていたように思える。旅がなければ、発酵に対する私の考え方はずいぶん違ったものになっていただろう。23歳のころ、大学を出たばかりの私は冒険を求めて、友人のTodd Weirとともに数か月かけてアフリカを旅していた。バスで行けるところまで行き、それからはヒッチハイクしながらアルジェリアを通過して陸路サハラ砂漠を超えるひと月の間、私たちはアルコールをまったく口にすることもなく、目にすることもなかった。しかしニジェールに入り、次第に熱帯西アフリカらしい景色が広がってくると、ビールや地元産のパームワイン―ヤシの木の樹液を発酵させたもの―を見かけるようになってきた。

私たちが出会い、味わったパームワインはすばらしいものだったし、再びアルコールが手に入るようになったのは本当にありがたかった。食卓に出てくるパームワインがボトルに入っていることはなく、決まって口の開いた容器から注がれること、また家内工業で作られているらしいことに私は興味を引かれた。ビールは国内の醸造所で作られていたが、パームワインはすべて自家製か非常に小規模な企業で作られたものだった。私たちは、それを時には買い求め、時には現地の人から歓迎のしるしとして振る舞われた。雑穀ビールなど、ほかの種類の自家製アルコールを振る舞われることもあった

8年か9年たって発酵に興味を持ち始めてから、私はそのことをよく思い出した。家庭でのビール醸造やワインづくりのアマチュア向け書籍は、あまりにも杓子定規だ。発酵培地を清潔に保つために化学薬品を使いなさい、手順のあらゆるステップで消毒をしなさい、そして特別な機器と市販のイーストやイーストフードを使いなさい。そんなことはちょっとやりすぎのように私には思える。私が出会った、技術もリソースも乏しい辺境の村落でパームワインや雑穀ビールを作っている人たちを思うとき、そういった記述には首をかしげざるを得ない。彼らはカルボイやエアロックをどこから手に入れるというのだろう? ピロ亜硫酸カリウムやイーストフードは? そんなものなしに、彼らはどうやってあのすばらしい飲みものを発酵させているのだろうか? よりシンプルで伝統的な手法とは、どんなものなのだろうか? アフリカを旅した経験がなければ、私がそのような疑問を抱くことはなかっただろう。かの地では、そして世界中どこでも、発酵は食物資源を有効活用するうえで重要な要素となっている―ヤシの樹液だけでなく、ミルクや肉や魚から穀物、豆類、野菜、そして果物に至るまで、あらゆる食物が対象だ。

発酵はまさに全地球的な事象であり、いたるところで実践されて実用的な価値があるだけでなく、世界の人びとは似通ったやり方で発酵を利用している。その数多くのメリットを、いくつか挙げてみよう。発酵は、酸やアルコールなど病原体の増殖を抑えるさまざまな副産物を生成することによって、安全性を向上させる。発酵は多くの食物の風味を高め、チョコレートやバニラ、コーヒー、パン、チーズ、熟成肉、オリーブ、ピクルス、調味料などの好ましい風味も作り出す。発酵は多くの食物の寿命を延ばす働きもしている。キャベツなどの野菜(ザワークラウトやピクルス)、ミルク(チーズやヨーグルト)、肉(サラミ)、そしてブドウ(ワイン)などが好例だ。発酵の形態として最も一般的なアルコール発酵は、ありとあらゆる炭水化物が原料となる。また発酵には栄養を高めるとともにその吸収を容易にし、多くの植物性毒素や栄養阻害物質を分解する効果がある。ある種の発酵食品は、発酵後に加熱せずに食べたり飲んだりすることによって、善玉バクテリアを大量に、しかも生物多様性の高い形で提供する。発酵というプロセスには、このような―そしてさらに多くの――恩恵があるのだ。

現在では、私たちの食品の原料となるすべての農産物や畜産物に、複雑な微生物コミュニティーが存在することが知られている。つまり微生物による変換作用は、必然とも言えるのだ。世界各地の文化でこの必然は利用され、食品だけでなく農業やファイバーアート、建築などの領域で、微生物による変換作用を効果的に誘導するテクニックが開発されてきた。

とはいえそのテクニックは統一されたものではなく、さまざまなプロセスが発酵には幅広く含まれ、豊富に採れる食品の種類や気候などの要因に応じて、場所ごとに多様な形態をとる。熱帯の発酵食品が北極圏の発酵食品とはまったく異なる原因としては、利用可能な食料資源の際立った違いが第一に挙げられるが、気候条件や実用上の必要性の相違がその差異をさらに著しいものとしている。この本は、読者をその両極端へといざなうものだ。環境の違いがそれほど大きくない場合でも、微生物の活動を利用するために人が編み出す方法は場所によって違う。簡単な例としては、同じミルクから作られるチーズの多様性が挙げられるだろう。さらに、絶えず続く人類の移住やそれに起因する文化的交流のため、どこに住んでいても他の人のやり方やテクニックからの影響は避けられない。種子や家畜や調理法など、ほとんどすべての文化的慣習と同様に、発酵は拡散して行く。

発酵が普遍的なものだとしても、文化の継続性はそうではない。植民地化によって人口集団全体が地上から消し去られたり未知の土地へ追いやられたりすることは、世界中で起こっている。先住民の子どもたちは計画的に家族から引き離され、自分たちの母語を話すと罰を受けるなどして、支配的な文化への同化を強制されてきた。現在の新たな植民地時代では、抑圧の手段が貧困や社会的・経済的周縁化、そして大量収監へと変化している。祖先から受け継がれてきた文化的伝統が破壊、分断、あるいは追放されてしまったため、自分たちの伝統的な発酵プロセスについて、その形跡も情報も見つけられない人たちの話を伺ったこともある。そのような文化的破壊を被らなかったとしても、都市化や専門化、大量生産される大衆市場向け食品など、現代社会のさまざまな要因によって文化の継続性が分断される例は多い。文化的慣習、知識や知恵、言語や信仰は、年々消滅しつつある。文化的表現すべてに言えることだが、発酵もまた意義を持ち続けながら命脈を保つためには実践されなくてはならない。私たちは世界各地で実践される発酵の多様性を尊重するとともに祝福し、文書化し共有しなくてはならないのだ。

* * *

私が書いた発酵食品や発酵飲料の案内書が私を世界旅行に連れ出してくれるとは、誰が想像できただろうか? 少なくとも私は想像もしていなかった。しかし2003年に私の最初の著書『天然発酵の世界』(築地書館)が出版されてから、まさにそれが現実となったのだ。これまでに私は数十か国で教えたし、それ以外に訪れた国もいくつかある。私はどこへ行っても、食べて学ぶ。ほとんど自給自足の生活をしている辺境の村に滞在して、地元の人から発酵の手法を学んだこともある。先住民のコミュニティーに招かれて彼らの発酵の伝統を学び、世界最高峰のレストランの研究開発キッチンで最新の発酵プロジェクトを目にしたり味わったりもした。常軌を逸した実験主義者や、古くからの家族の伝統を守り続けている人たちとも出会った。

私はとてもユニークな立ち位置にいる。時間と資金のある人なら誰でも、私の訪れたすべての国を旅することはできるだろう。しかし発酵の世界で名前が知られていなかったなら、また発酵への情熱を共有するホストがいなかったなら、この本に記した場所や人や手法のほとんどに出会うことは不可能だったはずだ。私はそのような機会を与えられたことを非常に幸運だったと感じ、またそれによって学んだことを分かち合う義務を感じている。この本は、私からあなたへの招待状だ。私と一緒に冒険に加わり、私が味わって作り方を教わった驚くほど多彩な発酵食品や発酵飲料について学んでほしい。

私が旅を通して知った食品や飲料について、いつかは本を書くことになるだろうとは思っていたが、私は旅をするのに忙しかったし、訪れるべき場所も多すぎて、書くことにまで手が回らなかった。新型コロナウイルスのパンデミックが始まったころ、私はオーストラリアで教えていた。タスマニアのFat Pig Farmで開催された、すべてがキャンセルされる前の最後のイベントで、ある生徒―情熱的な発酵愛好家で、おいしい自家製の酢を持ってきてシェアしてくれた―からもらった彼女お手製のマスクがとても役に立った。それからというもの、その後に私が計画していたイベントは次々にキャンセルされていった。私は空路で(彼女のマスクを着用して)帰宅した。その後の数週間で、私がその年に計画していた旅行―アラバマ、ペルー、シカゴ、バーモント、ユーコン、アイスランド、モンタナ、中国、そして台湾への旅行―はすべてキャンセルされてしまった。ついに私は書くための時間を手に入れた。パンデミックのおかげで。

この本を書き始めたとき、私は地理的な領域をもとに章立てをしようと考えていた。しかしある時、私にとって大事なのは中国やコロンビアといった特定の場所で見たことではなく(とはいえ、この本にはそういった記述がたくさん含まれているのは確かだ) 、私が目にし、味わい、学んださまざまな食品どうしの関わり合いだと気が付いたのだ。最終的に、そういった関係性を際立たせるため、私はこの本を発酵の培地(糖、野菜、穀物など)をもとに章立てすることに決めた。

私は訪れたほとんどの場所で、わずかな時間しか過ごしていない。国によっては、ホストにすばらしい旅行に連れ出してもらったこともあったが、教える内容が盛りだくさんだったため、その土地のやり方について調べたり学んだりする時間はあまり取れないことが多かった。私が訪れた場所について、味わった食品について、そして学んだ手法について記憶していることは、すべて個人的な印象に過ぎない。どんな地域についても、私がその土地の発酵に関する専門家に成りすますことはできないだろう。

それでもなお、私の旅から得た印象が積み重なって発酵への理解が深まり、広がったことは間違いないし、そうした幅広い経験によって技法のレパートリーも増えた。発酵ライターや教育者としての私の強みは、私がジェネラリストだという点にある。発酵のどの領域を取っても、私よりも知識が豊富な人はたくさんいるはずだ。私は経験から広く浅く学んできたし、この本をテーマ別に章立てしたことも点どうしを結びつけるために役立った。

私がこの本で、そして実際には私のすべての仕事で意図しているのは、世界各地の発酵の伝統の知恵と多様性を尊重し紹介することであり、それらを搾取したり、偽ったり、侮辱することでないのは言うまでもない。文化的な多様性は私にとって最重要事項であり、それが発酵復興主義者としての私の仕事の動機ともなっている。しかし私は、自分を含めた誰かがほかの人たちの文化的な伝統を紹介することには、有害であったり、望ましくなかったり、不正確だったり、文脈を無視する結果となるおそれがあることを認識している。どんな食品や飲料をとっても、それらを食べ、飲み、作りながら育ってきた人々の知識と比べれば、私の知識は表面的なものだ。言葉は、まったく意図しなかった意味に取られることがある。私は、さまざまな手法に幅広く共通する類似性を示そうと熱意を抱く一方で、ある伝統を唯一無二のものとしている特別な要素を無視することがありはしないかとおそれてもいる。私は自覚と敬意を持つように心がけているし、フィードバックは歓迎する。私が取り上げる食品や伝統に密接なつながりのある人たちの声を聴くことに、私はいつも関心を持っている。私のウェブサイトwildfermentation.comから連絡してほしい。

この本は私の旅から生まれたものだが、私が発酵に抱いている関心の大本にあるのは私の自宅と菜園だ。菜園の豊富な収穫物を保存するという実用的な動機から、私は野菜を発酵させる方法を学ぶことになった。そして私の菜園や台所は、今でも私の発酵の実践を支えている。旅を通して学んだことは、すべて自分の台所で実際に試す。食品に対する私の愛と、実際に試してみなければ気が済まない私の性分が、私が発酵に抱く情熱の源泉となっている。本書はインスピレーションの本だ。私にインスピレーションを与えてくれた食品や飲料、プロセス、そして人たちが、次は読者のあなたに発酵の冒険へのインスピレーションを与えることを願っている。