Fabrication

2013.12.09

7人の開発者が語る3Dプリンター開発ストーリー

Text by kanai

マシンの背後にいる人を見てみよう。ここで紹介する7人は、3Dプリンターのメーカーを立ち上げた人たちだ。

Diego-Porqueras-Bukobot

Diego Porqueras(Bukobot)

deezmaker.com/bukobot

ロサンゼルスのMaker、Diego Porquerasにとって、必要は発明の母だった。ハリウッドでデジタル映像技師をしていたとき、彼は、カメラのブラケットやアダプターが自分で作れる3Dプリンターに魅せられていった。そして、地元のハッカースペース、Crashspaceで開かれていたMakerBot Monthlyミートアップに参加するようになった。初めてのキット、MakerGearのPrusa Mendel RepRapを組み立てたときのことを、彼はこう話している。

「完璧主義者の自分は満足できなかった。結局、もっといい 3D プリンターを自分で作ることにしたんだ」

2012年4月、彼はKickstarterでBukobotを立ち上げ、目標額の400パーセントを獲得した。そして仕事を辞めてプリンター作りに専念したのだ。7月には、Wallace RepRapの開発者として名高いRich “Whosawhatsis”を仲間に加えた。

勢いに乗ったPorquerasは、2012年9月に、西海岸で初めての3Dプリンターを販売する実店舗とハッカースペースを開いた。3Dプリンターの面白さを、みんなに実際に目で見て欲しいという思いに駆られてのことだ。彼の事業には、ハイエンドの性能はハイエンドの価格でなくても作れる、という信念が貫かれている。

Bukobotのベッドに乗っているプリントは、Virtox作の“Julia Vase #011 – Heatwave”。

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Andrew Rutter (Type A Machines)

typeamachines.com

Andrew Rutterは、常に安定して最高の結果を生み出すマシンを作ることを非常に大切に思っているのだが、同じぐらいに、壊れたときに修理しやすいことも重要に考えている。彼はこう話している。

「プリント品質を気に入ってもらうだけでなく、マシンのデザインや技術も好きになってほしいんです。だから、出力結果と同じぐらい、そこが大切なんです」

3Dプリントの第一人者である彼は、サンフランシスコで、意外なことに10年間ほどエンターテインメント業界にいた。

「おもに照明技師として、ときどきデザイナーとして、一度か二度は演者もやったよ」
彼が作った最初のプリンターは、今では珍しくないMakerBot Cupcakeだった。それは2009年12月。わずか4年前のことだ。

Rutterは、よりよいマシンを作りたいとType Aを立ち上げた。そして2012年1月、Noisebridgeハッカースペースから中核となるグループができ、Espen Silvertsen、Miloh Alexander、Gabriel Bentleyが加わった。Type Aの社員は現在15名。みな誇りを持って、カリフォルニアの工房で、製造、組み立て、テストなどの仕事を行っている。Rutter は地元の公立図書館に3Dプリンターを置くという活動を続けている。彼はこんな未来を夢見ている。

「とにかく、すべての学生の机の上に3Dプリンターが乗っているところを見たい」

Steve-Wygant-SeeMeCNC-2013

Steve Wygant(SeeMeCNC)

shop.seemecnc.com

インディアナに住む機械エンジニア、Steve Wygantは、1996年から自分の機械工房を持ち、3年間、整形外科用のパーツを大手企業に納めてきた。3Dプリンターについて知ったのは、そのときだ。彼は光造形法マシンに魅せられたが、趣味で買うには高すぎた。そこで、2009年、RepRapプロジェクトについて学んだ彼は、DarwinとPrusaのデザインと機械的構造に惹きつけられた。2011年、Wygant(通称“PartDaddy”)は、CNC木工技師で機械工のJohn Olafson(通称“Oly”)と共同で、彼らの持てる膨大な工学知識を結集し、SeeMeCNCプリンターを作り上げた。RepRap Huxleyの派生型で、H1と名付けた。

いちばん新しい「アハ体験」について尋ねると、WygantはRostock Maxプリンターを開発しているときに、偶然にCheapskateリニアベアリングを発明したときのことを話してくれた。

「608スケートボードベアリングとTスロットアルミ鋼を手に持ったとき、偶然、ベアリングをスロットに入れて、そして低価格の直線運動キャリッジを思いついたんだ」

WygantとOlyが情熱を注ぐのは、Makerたちにアイデアを実現させることと、国籍や経歴の異なる大勢の人間が3Dプリントのもとに集まった、活気ある3Dプリントコミュニティに力を与えることだ。彼はこう話す。

「彼らが語り合い、協力し合って、とんでもないものを作り出す様子は最高だよ」

彼らはMidwest RepRap Festivalの栄えあるスポンサーを務め、新しい独立系のファイル共有サイト、repables.comを支援している。

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Erik de Bruijn(Ultimaker)

ultimaker.com

UltimakerのErik de Bruijnは、デスクトップ3Dプリンター界の古株だ。2008年の初期からRepRapプロジェクトに参加し、実際に使えるパーツの複製に初めて成功した一人でもある。そのすぐに、プリンター全体のパーツのプリントにも成功している。De BruijnのRepRapでの経験と、16歳のときに立ち上げたIT会社(12年経った今も営業している)の実績は、2011年にMartijn ElsermanとSiert Wijniaとの3Dプリンターの共同開発に大きな力を与えた。彼はこう話している。

「Ultimakerを立ち上げたとき、自分のビジネスの経験が試されることになった。Ultimakerは想像以上の成功を収めたが、それは偉大なるオープンソース・コミュニティのおかげだ」

オランダに住むde Bruijnは、3Dプリントの重要な技術でも貢献している。ABSとPLAの混合のほか、余分なフィラメントをエクストルーダーの中に引き込んで、糸を張らないようにするリトラクション機構を開発している。彼はこれを、著名な3Dプリンター開発者と会えたことのおかげだと話している。

「イギリスでRepRapの講演を行ったとき、有名なNopheadに会うことができた。彼がほとんどのコードを書いている。私はとても勇気づけられ、彼に自分のアイデアを話し、助言をもらった。そして、リトラクションがどれほど関心を引くか、2人でコミュニティに披露してみたんだ。その後、それが標準機能になった」

新型機種の開発と新しく開始したデザイン共有サイトでde BruijnとUltimakerのチームは大忙しだ。しかし、作ったものをオープンにするという信念は曲げていない。

「自分で使うツールは自分で作るべきだと思っている。他の会社がどうしているか知らないが、これがUltimakerの目指すところだよ」

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Brook Drumm (Printrbot)

printrbot.com

元少年牧師でありコーヒーハウスのオーナーであったBrook Drummが3Dプリンターに魅せられたのは2011年の始めだった。働き者で人を惹きつける性格のDrummは、地元で3Dプリンター・ミートアップグループを結成し、コミュニティを育て上げた。グループのメンバーは、すぐにこのエキサイティングな技術の達人となり、彼は低価格なマシンの開発が可能であることを確信した。

「ある日の深夜、閃いたんだ。見苦しい補強材をすべて取り去っても十分に頑丈な構造になって、そのほうがわかりやすいって。それからも、3Dプリンターを作って売るという夢を何度も練り直していたとき、妻がその時点で最高の助言をしてくれたんだ。『かわいくなくちゃダメよ』って」

「私は6カ月間、デザインに没頭した。Printbotは、RepRapの若くて熱烈なラピッドプロトタイピングコミュニティの産物だよ。そして、あの劇的なKickstarterが私の運命を決めた」

83万ドル以上もの寄付を集めたPrintrbotは、2011年12月に3Dプリントの最前線に登場した。それ以来、Drummは会社のオープン化や、ユーザーと関わるイベントの開催や、Printbotの将来の計画を自由に話し合うといった活動に力を入れてきた。今何をしているのかと尋ねると、彼はガラガラとたくさんの計画を引き出して教えてくれた。Kinectを使ったボディスキャナー、光造形レジンを使う3Dプリンター、iPad用CAD/CAMソフト付きデスクトップCNC、それにスーダンの子供たちのための義手のデザインとプリントといった具合だ。「すごい年になるよ!」

Rick-Pollack-Makergear

Rick Pollack(MakerGear)

makergear.com

Rick Pollackが2003年に新製品のアイデアを思いついたとき、それを製造する方法を知らなかった。90年代半ばからソフトウェア開発者として働いてきた彼は、こう話す。

「それを作る方法を探るのに、長い時間とたくさんの金を使ってしまった。そのことが、デスクトップファブリケーションの種を植えてくれたんだ。アイデアを思いついたら、1時間以内にその現物を手にしたかった」

2009年、エレクトロニクスの価格が下がり、オープンソースのツールが手に入るようになって、ついにMakerGearを立ち上げる時が来た。まずは、高性能なエクストルーダーの需要を満たそうと考えた。250ドルで小さな70年代製の旋盤を買い、アメリカ北西部オハイオの暖房のないガレージで、ひとつひとつ作り始めた。今では、彼が作るパーツとプリンターは、世界75カ国で使われている。

Pollackは、MakerGea の製品がアメリカ国内で製造されていることに誇りを持っている。ほとんどのカスタム部品は、地元オハイオの職人が作っているのだ。既製品の部品は海外製が多いのだが、彼はこう語る。

「できるだけ多くを、このコミュニティで製造したい。一生懸命働いて、いい物を手頃な価格で売りたい。このマシンで、いっしょに働くことで、みんなをハッピーにしたいんだ」

Maxim-Lobovsky-form-1

Maxim Lobovsky(Formlabs)

formlabs.com

5年前、カーネル大学で応用物理学を勉強していたMaxim Lobovskyは、全国規模のオープンソース・パーソナルファブリケーションプロジェクト、Fab@Homeの活動に加わった。それが彼の3Dプリントへの興味に火をつけた。大学を卒業した彼は、MIT Media Labの研究者となり、2011年、23歳で修士号を取得すると、MIT卒業者の2人の仲間、Natan LinderとDavid Cranorと共に、マサチューセッツ州ケンブリッジにFormlabsを創設した。レジンを使った光造形式プリンターのメーカーだ。Lobovskyはこう話す。

「障害になるものは何もないと思っていた。デスクトップ3Dプリンターに関するすべてのアイデアを完成品として実現させることが可能だと考えていた。大企業のような大規模な事業は必要ない。数人の真剣な人間がいれば実現できる」

30日間で、100万ドルのゴールに対して300万ドル近くも寄付を集めたLobovskyとその仲間は、何か大きなものに向かっていると感じた。彼はこう説明している。

「私の目標は、幅広いユーザーがアクセスできる技術を開発すること。一般的になりつつある熱溶解積層マシンの向こうでは、たくさんのびっくりするようなものが可能になる。私にとって、アクセスしやすいこととは、低価格であることと、使いやすいことの両面だ」

– Goli Mohammadi and Mike Senese

訳者から:この記事は、MAKE別冊『Make: Ultimate Guide to 3D Printing 2014』(英語版)からの抜粋です。

原文