2015.05.19
なぜクラフト作家がデジタルファブリケーションを使わなければならないのか
プエルトリコに住むアーティスト、Angel Lamarによる小鳥の彫刻 “Chango”。最初は手で彫り、そのあとはTredéで木材入りフィラメントで3Dプリントした
1年ほど前、サンファンで3Dプリント・ワークショップで講師をしていたころ、1台の3Dプリンターに2人の芸術科の学生が注目した。面白いことに、彼らはテクノロジーに反対する態度をとっていた。ひとりは、機会が広がることに驚いていたが、もうひとりは、それを使う理由を探していた。「これは私たちを置き換えるものではないわ」と彼女は言った。それに私はこう答えた。「誰がそんなこと言った?」
クラフトと聞くと、人はノスタルジックな立場をとろうとする。素材と加工方法との関係に革新的なアプローチを持ち込むことを良しとしない。入手可能なデジタルファブリケーション技術が発達すると、作るという行為や製品開発が盛んになったが、同時に、コンピューターの力を借りて作ることは、手で作ることよりも価値が劣るという間違った考えも広がった。
ひとつハッキリさせておこう。クラフトには、その定義からして、手作りに限るなどという制約はない。クラフトとは何かを定義する際に役に立つ評論などひとつもない。アイデアとデザイン過程との関係も、素材とその加工方法との関係もまったく同じだ。
デジタルファブリケーションツールを使うことは(プロトタイプであろうと消費者向け製品の製造であろうと)、徹底した手作りと比較して時間と経費の節約になる。そして、製品開発の工程をどこか別の、より安価な場所で行うことも可能になる。その浮いたコストを、コンセプト化、デザイン、ブランディング、パッケージング、素材のリサーチ、加工に回すこともできる。デジタルファブリケーションは、手作りと工業的製造法とを、それらの中間の位置で出会わせた。そしてMakerは、低コストなカスタマイズに好きなだけ時間をかけることが可能になった。
これを軍拡競争にしてはいけない。デジタルファブリケーションは手作りにとって代わろうとしているわけでもなく、製品の価値や質を低下させようとしてるわけでもない。手作りでもデジタルでも、それを操る人間の高度な知識、スキル、創造性に深く依存しているのだが、そこが軽視されがちだ。両方が組み合わさったとき、その応用範囲は無限となる。
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