Electronics

2019.04.22

エストニアのメイカー、Timo Tootsは世界とデータの関係をあぶり出す

Text by Toshinao Ruike

エストニアと言えば、e-Residencyなど先進的な取り組みで、ここ数年国際的な注目を集めている。日本からも視察で訪れたIT系インフルエンサーたちが「これが未来だ!」と感嘆して吹聴するほど市民生活の電子化は確かに進んでいて、選挙も確定申告も学校の成績証明も健康情報へのアクセスもIDカードの電子認証によって簡単に済ませられる。しかし逆に言うと、本人以外でもデータベースにアクセスする手段を知っていれば、他人の個人情報を一度に覗き見られることになる。

それは本当にエストニア市民にとって望ましい新しい世界なのだろうか。

1月下旬、雪で覆われた首都タリンを訪ね、アルス・エレクトロニカ(Als Electronica)での受賞歴があるメディアアーティストでメイカーのTimo Tootsと出会った。

監視社会がすでに実現しているかもしれないという気づき、そしてその居心地の悪さ

Timoの代表作MemopolシリーズはパスポートまたはIDカードを認証し、インターネットを通じて政府のデータベースから個人情報を取り出して表示するインスタレーション作品だ。Memopol-2は学歴、成績、収入、犯罪経歴、免許・資格、社交関係、知名度、通院歴や薬の処方などの健康情報、平均寿命から逆算した余命、兵役参加歴の有無などさまざまな個人情報を政府のデータベースやインターネットに照会して表示する。

エストニアでは日々公的機関や学校や病院などでIDカードによる電子認証・データ照会は日常的に行われているため、エストニアの市民にとってそれは身近なものであるが、このような形で見せつけられると印象はまるで違ってくる。またゲーマー向けPCや映画に出てくる諜報機関を思い起こさせるイルミネーションのデザインであったり、やや大仰にデザインされたUIがここでは無機的で冷たい印象を与えることに成功している。

さらに新作のMemopol-3では、自動改札機のような機械にIDカードとスマートフォンをかざすと、来場者のスマートフォンに入っていた連絡先やメッセージや通話履歴、Wifiアクセス状況なども読み取られ、壁一面のスクリーンにその日歩いてきた経路などの情報が投影される。何か直ちに実害があるわけではないだろうが、それでもこれだけ多くの個人データが集約され、簡単に取り出せてしまう現状に恐れを抱く人は多いようだ。タリン市内の美術館で展示した際は、「もう私はこれ以上やりたくない」と言っていた政府関係者もいたそうだ。

その他にもTimoの作品には、見た目の整ったクールさと対照的に何とも不穏な雰囲気を湛えた作品が多い。Personal Surveillance Agency(上画像)は人ではなくアリの巣をカメラとマイクで監視する。俯瞰で蟻を眺め市民を監視する為政者気分を楽しんでもいいかもしれないが、それが現実社会の姿とどこか重なるのであれば笑いごとにはならない。

その他にも、ランダムな番号に発信して着信履歴を残し、折り返して来る電話を展示会の来場者に受け取らせるインタラクティブ・アート、Helpdesk、ボタンを押すと展示物が吹き飛ばされ、それに驚いた来場者の様子を撮影した動画が自動でYoutubeにアップされるDon’tなどの作品がある。

過去と現在をつなぐ監視社会の記憶

こういった作品づくりの姿勢には彼の生い立ちも関係している。90年初頭に独立するまでソビエト連邦の一部だったエストニアで、かつて国民の情報はモスクワの中央政府に集約され監視されていた。現在30代半ばのTimoも小学生の時にはソ連時代の教育を受けていた。監視社会だった時代を経て、ソ連邦崩壊。かつて大きな信頼が寄せられていた社会が儚く崩壊した。共産主義から資本主義へ。「ソ連が崩壊して、急に資本主義になってそれまで禁じられていたビジネスを始めなければいけなくなった。“カウボーイ・キャピタリズム”が始まったんだ」独立したものの、西部劇のような無法状態で、犯罪が横行して国が荒廃しきっていた時代の様子もよく覚えている。

そして四半世紀の間に急成長した経済、さらに情報技術とともに自国が大きく変貌した。彼にとっては、「権力が情報を統制して暴走した挙げ句、疲弊して自滅する」というストーリーは過去に経験したことで、また潜在的にこれから先にも起こりうることなのだ。

「メイカームーブメントなんて呼ばなくても、ものがないから何かほしければ自分で作るしかなかった」

エンジニアの父親を持ち、小さい頃からDIYに慣れ親しんだ彼は、そこで自分が生きた時代に起きた社会の急激な変化が意味することを考えながら作品制作を行っている。

データとメディアの関係にスポットを当てたFloppylink

1月下旬、Timoはタリンのエストニア工芸美術館でFloppylinkの展示とワークショップを行っていた。

Floppylinkは昔懐かしの3.5インチフロッピーディスクの形をしたディスケットを取り替えて、音楽・映像メディアやプレイリストをコントロールする装置だ。ディスケット自体から情報を読むのではなくて、特定のURL情報が書き込まれたNFCタグが貼り付けられていて、そのURLをNFCリーダーで読み、Rasberry PiまたはAndroidデバイス上でウェブアプリやメディアプレイヤーをコントロールするというシンプルな仕組みだ。タグを読み込む“Flopper Drive”本体の仕様は公開され、制作費は25ユーロ(約3,000円)ほど。家のリビングで数年前から使っていたそうで、NFC読み込み部のPCBは同居しているTimoの父親がデザインしたものだ。家庭内DIYが実践されていることがわかる作品だ。

各種音楽配信サービスはもちろん、インターネットラジオを聞いたり、ミュージックビデオを再生したり、ニュースを読むこともできる。APIを利用して実験的な試みを行うことができ、ランダムなニュース情報を俳句にする「Daily Haiku」という作品もある(ただしエストニア語)。また昔のフロッピーディスクがかつてそうだったように、カートリッジのラベルを自分で描いたりフロッピーのサイズで色々工夫することができる。ワークショップではプレゼント用にリボンを付けたり、さらに書き込みができるようにノートが付けられたりしていた。

ワークショップでは各自のオリジナルのディスケットをデザインする。レーザーカッターで切り出した木製のディスケットにペンなどで書き込んでパッケージのデザインを行った後、NFCチップの封入された約1センチ四方のシールを貼り付け、Androidスマートフォン(iOSではApp Storeで書き込みを行うアプリが規制されているため)を使って、各々が準備したURLの情報をNFCタグに書き込む。どんな機能を持たせ、どのアプリケーションやウェブサービスを活用するかというロジックを考えて終わりではなくて、実際にユーザーに使ってもらえるデザインを考えさせるところまで完結させるワークショップだ。参加者の一人でタリンでアニメーションを学んでいるスペイン人学生(上図左下)は、URLにアクセスすると1から6までのサイコロの目を音声で出す“フロッピー”を作っていた。

「何してるの?君も作るんだよ」と言われ、筆者も慌てて終了7分前から参加(もっぱら取材ばかりしていると、私も頭でっかちになりがちだ)。2018年末に年間ベストアルバムのプレイリストをSpotifyで公開していたことを思い出し、2018年ベストを再生する“フロッピー”のディスケットを慌てて作成。ラベル面のデザインからNFCタグ書き込みまで、一気呵成に5分で完成(上図右下)。

3.5インチフロッピーディスクの適度な大きさは持ち運びや保管にちょうどよい(USBメモリやSDカードがいつの間にどこか行ってしまうのは私だけではないだろう。)エストニア滞在の後、帰宅した後に旅行カバンの中でこのやっつけの“フロッピー”を見つけ、懐かしい気持ちになった。

「NFCタグやURL、スマートフォンなど技術自体はもう既にあるもの。最新のテクノロジーを使おうと考えているわけではない」とTimoは語る。

メディアとしては大分昔にレガシーと化したフロッピーディスクのフォルムだけを生かし、NFCタグと組み合わせる。廃材を活用して新しい作品を作るアップサイクルというコンセプトがあるが、これはモノではなくメディアのアップサイクルだ。Floppylinkはこれまでの個人情報の集積について問題提起する作品群とは打って変わって家庭的な作品だが、データを取り出すための仕組みがハッとするような視点で斬新さとともにデザインされている点は共通している。

エストニアに残された冷戦終了後の混沌が垣間見えるスペース

エストニアが興味深いのは、話題の電子政府だけではない。Timoの友人から紹介してもらって訪れたゲーム博物館、LVLupでは、ソ連崩壊前後の時代に中東欧で流通していた家庭用ゲーム機に触れることができる。しかもきちんとライセンスされたものではなく、簡体がメガドライブなのに中身はスーパーファミコンだったりする”偽物の本物”だ。さらに90年代~00年代当時の家の雰囲気まで丁寧に再現していて、相当にマニアックなスペースだ。これらの機材はそれほど昔のものではないものの、エストニアの90年代の混沌をゲーム機と一緒に垣間見ることができるのは特別なことのように私には思われる。今のところ、エストニアを訪れるならここが私の一番のオススメのスポットだ。

エストニアには「何かが欲しければ自分で作る」というメイカー的な精神が昔から根付いていたようで、当地では昔からそれを表す『農家の精神』という言葉があるという。「エストニアはテクノロジーに関してビジネスの方が注目されているけれど、ものを作ることに関してはそれほどでもないかな。」とTimoは語っていたが、ITビジネスだけではなく何かがありそうな国だ。

この記事を書くにあたってTimoに改めて連絡を取り近況を聞いたら「今は中古の家電を集めて、エレクトロ・サウナを家に作ろうしてる」と話していた。なんのことだかよくわからない。だが、またこの奥深いエストニアを訪ねて見に行きたいと思っている。