編集部から:この記事は、小林茂さん(情報科学芸術大学院大学[IAMAS]産業文化研究センター 教授)に取材・執筆していただきました。
Maker Faire Tokyo(以下MFT)の前身、Make: Tokyo Meetingが2008年4月に開催されてから10年以上が経った。この間に多くの人々が熱狂し、様々な可能性が注目され、様々な課題が浮き彫りとなった。プロトタイプからプロダクトに至るまでの挑戦を追いかけてきたこのシリーズでも、これまでを振り返りつつ、これからの可能性や課題について考えてみたい。そのためには、実際にプロダクトを世の中に送り出したメイカーたちの経験から学ぶべきことが数多くあるはずだ。今回は、メイカームーブメントの時代ならではの電動義手に2013年から取り組んできた元exiiiの代表取締役、現在は特定非営利活動法人Mission ARM Japan理事・カタリストの近藤玄大さんに、東京都千代田区の「DMM.make AKIBA」で話を聞いた。
メイカームーブメントの中で始まったプロジェクト
近藤さんと義手の関わりは大学時代に遡る。研究テーマとして義手は魅力的であるため世界中で多くの人々が研究しているが、ピアノを弾くなどかなり先でないと実現しないテーマを扱って成果を競っている。一方で、筋電義手そのものは既に1960年代にドイツで開発され市販されているが、様々な参入障壁があって競争が少ないため価格が高く、入手できる人が限られている。実際に義手を必要としている人々、市場、研究の間にギャップを感じたまま新卒でソニーに入社した近藤さんは、そこでメイカーたちに出会った。
近藤さんの先輩には、IoTツールキット「MESH」をつくった萩原丈博さんや、ロボットトイ「toio」をつくった田中章愛さんがいた。自身でArduino互換機「8pino」を開発しMFTに出展する田中さんのような活動に刺激を受けたことと、メカニカルエンジニアの山浦博志さん、デザイナーの小西哲哉さんとの出会いなどをきっかけに2013年に活動を開始し、exiiiというチームが結成された。exiiiは、3DプリンターやArduino、スマートフォンなどを活用することで低価格でも実現でき、かつスタイリッシュな電動義手というコンセプトを具体化したプロトタイプ「handiii」をつくり、その年の11月に日本科学未来館で開催されたMFTに出展した。同時期の国際エンジニアリングアワード「James Dyson Award 2013」(以下JDA)受賞などが重なり、NHK「クローズアップ現代」の新たな働き方をテーマにした回で取り上げられた(2014年1月6日放送「“二枚目の名刺”が革新を生む」)。handiiiはあくまでコンセプトモデルであり、実際に装着することはできなかったが、メディアで取り上げられて近藤さんたちの活動を多くの人々が知るようになったことで、新たな出会いが生まれ、進化していく。
2014年3月に開催された「第18回文化庁メディア芸術祭」でエンターテインメント部門優秀賞として展示されたhandiiiの現物
コンセプトプロトタイプからプロトタイプへ
2013年に仕事中の事故で右腕を失った森川章さんは、NHKの番組を見た友人を通じてexiiiのことを知り、連絡した。2014年3月に初めて森川さんとexiiiチームは大阪で出会い、その日にハンディ3Dスキャナーで森川さんの腕をスキャンし、装着できるプロトタイプ「handiii COYOTE」の開発が始まった。何度もお互いに行き来しながら開発を進め、12月のMFTでは森川さんが実際に装着して来場者と握手するデモを行った。同時期に知り合った未来予報研究会の宮川麻衣子さん、曽我浩太郎さんの二人はexiiiの取り組みに注目し、2015年から10年後の2025年のビジョンを示すべくつくったコンセプトブックの中で、最初の事例として取り上げた。
このコンセプトブックでは、かつてパラグライダーで空を飛んでいた森川さんが再び空を飛ぶ、当事者たちがDIYでつくる、オープンソースで公開する、といった2025年のビジョンが提示されていた。
『2025 未来予報 Vol.02 VISIONS of the future inventors in Japan』パイロット版より
exiiiと森川さんは2015年3月に先端テクノロジーのフェスティバルおよびカンファレンスとして知られる「SXSW」に出展し、この展示は注目を集めて海外のメディアでも数多く取り上げられた。SXSWへの出展と並行して開発が進んでいたのが新モデル「HACKberry」である。
オープンソースハードウェア「HACKberry」
HACKberryは、DIYを前提としたオープンソースハードウェアとして2015年5月に発表された。オープンソースハードウェアとしてよく知られている例にArduinoボードがあるが、HACKberryはいくつかの点で大きく異なっていた。まず、ある程度複雑な機構を持っているため、3Dプリント用の3Dデータ、電子回路基板のデータ、Arduino用のスケッチなど、かなり多くの要素から構成されている。また、JDAやiF design awardなど世界的なデザイン賞を受賞したモデルが原型になっている。さらに、利用条件を詳細に定めてウェブサイトで明示している。このオープンソース化プロジェクトのリーガルデザインに関しては、知的財産権に詳しい水野祐弁護士らとともに私自身も参加していた。最初に相談を受けたとき、非常に思い切った野心的な取り組みだと感じ興奮したことを今でも鮮明に覚えている。このような決断をできた理由についてあらためて近藤さんに伺ってみた。
「蓋を開けてみないとわからないこともあったし、かなり若気の至りだったとも思うんですけど、二番煎じになりたくないというのも強くて。当時、世界中で3Dプリンターで義手を作ったというニュースは見るようになってきていて、ちらほらオープンソースというキーワードも聞こえてきていたんですよね。そうした中で、一番最初にやりたいからとりあえずやってみた、というところが大きかったですかね」
オンラインフォーラムへの質問には、機構を設計した山浦さんが1日以内には必ず返答を返すようにするなどして、オンラインのコミュニティが活発になるように運営していた。こうした注力もあり、HACKberryへの注目は次々と拡がっていった。例えば、2015年5月の公開直後、生まれつき手のない新聞記者の岩堀滋さんはHACKberryのことを知り、オープンソースで公開されているデータをもとにDIYで作るというコンセプトに共感し、慣れないハンダづけやネジ止めを自分でやって自分自身の義手を完成させた(朝日新聞グローブの2015年10月4日号に岩堀さん自身の記事と掲載)。さらに、こうした動きは海外へも拡がった。例えば、3Dプリンティングを活用して多くの人々に義手を届ける活動をしているボランティアの世界的なネットワーク「e-NABLE」にも参加しているフランスのNPO団体「e-Nable France」がHACKberryに着目し、様々なバリエーションが次々とつくられている。
このように、コンセプトプロトタイプから実際に特定の人々が使用できるプロトタイプを経て、DIY前提のオープンソースハードウェアというプロダクトであるHACKberryが世界へと拡がっていった背景には、コミュニティという次の段階への進化があった。
Mission ARM Japanとの出会い
2014年12月16日に放送されたテレビ番組「news zero」を、上肢障害に関する交流の場を提供する特定非営利活動法人「Mission ARM Japan」(以下MAJ)のメンバーが見たことがきっかけでコンタクトがあり、近藤さんたちとMAJは出会った。MAJ代表であり自らが上肢障害者でもある倉澤奈津子さんは、当事者だけで悩みを共有する段階から次の段階へと進めたいと考えており、当事者とエンジニアが共創するスタイルを目指すコラボレーションが始まった。当初、近藤さんの軸足はあくまでexiiiにあり、MAJにも定期的に顔を出すという関係だったのが、exiiiの組織変更などを経て、2017年春にはMAJに理事・カタリストとして所属するようになっていた。
この過程において、義手に限定せず、当事者と何かをつくりたい人が一緒に活動するというところに抽象化し、キャッチフレーズとして「ほしいをつくる つくるをつなぐ」を掲げて活動するようになった。HACKberryはあくまで一例と位置付け、当事者、医療関係者、エンジニアがフラットに集まることで普段できていないことができるのではないかと考えたのだ。プロダクトからコミュニティへとレイヤーを変えたことによる変化について、近藤さんは次のように振り返った。
「HACKberryだけだと、exiiiがかなり完成させてしまっていて、みんなが関わりづらかったり、一線を越えられないところがあったんですけど、少し抽象化して『形をHACKberryに限らずとにかく楽しくつくり始めよう』というスタンスで呼びかけたら、毎週15人くらいがいいバランスで集まれる組織になってきました。下は小学生から、上は僕の10歳上や20歳上まで専門だけでなく年代も様々な人々が集まれるという点が、実はコミュニティの本質なのかもしれません。核家族化などで地域のつながりが薄れてきている中で、学校の同級生には相談できないことも年上の人々だと相談できるという家族のような心地よさがあって、みんな『とりあえず水曜日は顔を出そうか』という感じで来てくれています」
このように、コミュニティというレイヤーで様々な視点、スキル、経験を持つ人々による活動が始まったことにより、HACKberryだけの時には思いもよらなかったようなアイデアが次々と生まれてきた。例えば、倉澤さんが肩離断の当事者として参加するプロジェクトにおいて、新たなメンバーの参加により、それまでとは全く異なる方向性のアイデアが生まれた。
「去年までは、なくなった肩を補って既製服を着られるようにしようという発想で、3Dプリントした肩パットの着心地をいかによくするかという方向性で取り組んでいました。それが、デザインを専攻する学生が、肩がない状態でも美しく着られるような服を作っていきたい、ゆくゆくはそれがユニバーサルデザインになっていくのが理想じゃないか、という熱い想いを持って一年くらい前に参加してきてくれて、服のプロトタイプがものすごい勢いで生まれてきているんです」
肩がなくても美しく着られる服のプロトタイプ”20・10″(提供:近藤玄大さん)
コミュニティ、プラットフォーム、シビックエコノミー
プロダクトからコミュニティへとレイヤーを変えて進化してきたMAJの活動は、さらに次の段階へと進化しようとしている。
「MAJではコミュニティからプラットフォーム、プラットフォームからシビックエコノミーという3段階の進化の過程を考えています。コミュニティをつくろうとしていたのが2年前くらいまでで、今はプラットフォームになったと思うんですよね。どういう意味かというと、MAJという場に何か問い合わせがあったら、間違いなく答えられるだろうと思うんです。例えば、『手を失くしてしまった』といったら同じような当事者のメンバーを紹介できるし、エンジニアが『義手を作りたい』といったら僕が面白さと難しさを説明することもできる。コミュニティとして単に多様な人が集まっているだけではなく、対外的に応えられる機能を何通りも持てるようになってきた。そういう意味でプラットフォームと自認しています」
こうしてプラットフォームへと進化したことにより、個人だけでなく企業の案件も増えていており、YKKの「片手で開閉できるファスナー」や、朱戸アオ原作のテレビドラマ「インハンド」のアドバイザーなど、MAJメンバーの活動の幅は次々と拡がっている。このように、一見するとプラットフォームへと進化して順調に進んでいるように見える。しかしながら、近藤さんの視点から見るとまだ大きな課題が残っており、次のステージへと進化していく必要があるいう。
「基本的にはボランティアでやってしまっているんです。みなさんお忙しい中、時間を割いてくれるだけでとてもありがたいのですが、敢えて遠慮は捨てて、もっとお金に貪欲になっていきたい。その理由は、継続させる上でお金が必要だというのもあるんですけど、それ以上に、お金を介することで質を上げられると思うんです。みんながボランティアの延長線上でもう少しずつ頑張って、『お金を払えるかどうか』『いくらなら払えるか』という厳しい評価を交し合えるような場にしていきたいです。ある程度自分にお金が返ってきて、次はよりいいものを作ろうと思えるような好循環を起こしていきたい。できつつあるプラットフォームに経済原理を染みこませていくことができるだろうか、というのが僕個人の次のチャレンジです」
近藤さんがシビックエコノミーという言葉で意図するのは、行政が法律を変える、オリンピック・パラリンピックを開催する、といったトップダウンではなく、市民によるボトムアップの経済だ。MAJのようなプラットフォームに経済原理を導入するには様々な課題があるだろう。しかし、メーカーの中にいる非常に高い技術力を持った人々などとコミュニティが繋がり、飛躍的な進歩を促していくためには必須だと近藤さんは考えている。そのために何が重要なのかについて、「HACKberryは表面的に出てきた形でしかなく、exiiiと森川さんがどうコミュニケーションしたかということこそ伝えたいんです」という。
森川さんは自身が経営の経験があるということもあってビジネスコミュニケーションが得意だ。自分の要求を言語化して伝えつつも、エンジニアに対するリスペクトを持ってくれたことで、よいチームワークが築けた。MAJの最近の事例でも、徐々にこのような理想とする形が生まれ始めている。例えば、半年前に名古屋で活動を始めたチームでは、親指だけ残っている人に向けた改良に挑戦している。残存部位が多いので簡単そうにも思えるが、モーターを選び直したり、外観を保ったまま内部構造を一から設計し直すなど、単なるHACKberryの複製に留まらない高度な工夫が施された。そこで重要だったのは、エンジニアと、自分の欲求を言語化できてエンジニアに対するリスペクトを持ってくれるユーザーとしての当事者、そして、義肢装具士がチームを組んだことだった。個々のスキルにくわえてコミュニケーションが大事だという近藤さんの洞察は、メイカーたちの活動にとっても重要な知見だろう。現時点では、そもそもビジネスコミュニケーション能力を持っている人々がうまく関われている段階なので、今後はそうしたスキルを持たない人々へのメンタリングが重要になってくるかもしれないという。最後に、MAJがプラットフォームからシビックエコノミーへと進化していく上で求めている人材について質問した。
「自ら生々しく商売をしたことがあったり、いわゆるバックオフィスとしてビジネスを支えたり、エコノミーの力学に見識のある人が足りないかなと思っています。シビックエコノミーを目指すにあたって、法律や知財が絡んできたり、時間通り進むようにマネジメントしなくてはいけないという厳しさも必要だと思うので、分野問わず、そのような経験のある方がプロボノのような形で関わってくれたらいいなと思いますね。exiiiの頃を振り返ると、プロフェッショナルな経験を積んだ未来予報研究会のような人々がいたのが大きくて、そうした人々がいないとコンセプトブックのようなクオリティは出せなかったと思うんですよね。法務、経理、マネジメント、人事などの経験豊かなプロフェッショナルな人々で、NPOに興味を持つ人々が関わってくれれば加速すると思うんですよね」
取材を終えて
メイカームーブメントのこれまでを振り返ってみると、エンジニアリングやデザイン以外のスキルの重要性はあまり注目されてこなかったように思える。Maker Faireでメイカーたちの活動に触れ、自分でも何かやってみたいと思っても、ものを作ることに直接関わらない人々には縁遠い世界だったかもしれない。しかしながら、近藤さんが指摘したように大きなプロジェクトになればエンジニアリングやデザイン以外のスキルが重要になる。メイカー以外の人々が積極的に参加して活躍することこそが、メイカームーブメントを進化させることになるのではないだろうか。近藤さんへの取材を振り返って、2013年に始まったプロジェクトが、プロトタイプ、プロダクト、コミュニティ、プラットフォーム、シビックエコノミーへと、レイヤーを変えながら進化させようとした経験からはかなり多くを学ぶことができるのではないかと確信した。