(前編はこちら)
ソニー本社ビルの1階にある「SAP Creative Lounge」は、新規事業創出部に所属する田中章愛さんが中心となって立ち上げた企業内メイカースペースだ。社員が自由に利用でき、新しい製品やビジネスのアイデアをはぐくむことを期待して設置したもの。このCreative Loungeの発案には、田中さん自身のMakerとしての活動経験が大きく影響している。(写真・文:青山 祐輔)
社内での機材募集の呼びかけで出てきた、年代物の作業机。いつ頃のものか不明だが、脚部のロゴが現在とはまったくことなることから、かなり昔のものと推測
自ら見出したエンジニアとしての新しい学び方
田中さんは個人でのMaker活動を「放課後活動」と呼んでいるが、そもそも田中さんが放課後活動を始めたのは、本業では巡り合うことができなかった、ある思いがあったためだ。
「自分でプロダクトをゼロから世の中に出すところまでやってみたいというのが、大きなモチベーションです。会社の中でやっている自分の研究だけだと、なかなかお客さんに届くところまでイメージが湧かないなと感じていました。自分は研究成果を商品化の流れに載せられず、商品としてのイメージが湧かないまま研究ばかりしていて、自分は本当に世の中の役に立つものができるのかという疑問があった」
田中さんは、学生時代からロボットの研究をしてきて、就職もロボットの開発に携わるために当時AIBOやQRIOが話題となっていたソニーを志望。入社後、7年に渡っていくつかのロボットの研究開発と商品化に携わったが、まだ自身の手でロボットを商品として世に送り出すことができていない点に自分の限界を感じていた。
「従来なら研究がそのまま製品化できない場合は他の事業部に移って修行し、10年くらいかけて製品開発のプロセスを学んで戻ってくるというパターンもあります。でも、それだとすごく遠回りな気がしました。それに世の中の状況が変わって、自分ひとりでも製品が作れるようになってきた。そこで、放課後でもできることがあるんじゃないかなと思った」
そうした自分の限界を感じていた頃に社外で出会ったのが、デザイナーの高橋良爾さんだ。2人は「VITRO」というユニットを結成し、ユニークなアイデアをデザインとテクノロジーによって実現する、オリジナルプロダクトの製作をスタートさせた。
その経緯を田中さんは「(商品化)できないことに自信をなくしていました。どうやったらいいんだろう、と。そこで、なんでもいいから体験するのが一番早いだろうと思った」と話す。そのVITROの最新作は、世界最小級のArduino互換ボード「8pino」だ(詳細は本誌レポートを参照)。
VITROを始めとした放課後活動を通じて、田中さんは多くのことを学んだという。その一つにリーン・スタートアップというベンチャー企業で取り入れられているマネージメント手法がある。リーン・スタートアップは、ビジネスを素早く立ち上げ成長させる方法論で、ベンチャー企業だけでなく、大企業での新規事業の立ち上げにも有効だと言われている。
「こうやって早く安く、一部の人でも良いから受けるものをこれからも作りたいです。それに、こうして学んだことを会社でも今、活かせていると感じています」
リーン・スタートアップは、新規事業や製品を素早く改善させていくことを重視している。そして、そのスピード感こそ多くの大企業に欠けているものだ。そこでソニーは、SAPを通じてオーディションやCreative Loungeだけでなく、リーン・スタートアップの研修も行っている。
こうした社外での活動が、社員としての活動にも良い影響を与えるのは、考えてみれば当たり前のことだ。さらに、こうした放課後活用の効果は、他の場面でもあった。
Creative Loungeの壁のひとつは、大きな黒板になっており、ミーティングなどで自由に使える
面白いことをしている人たちを集める「部室」を作る
田中さんの放課後活動は、Creative Loungeの発想だけでなく、スペースの工事にも有効だった。実は、スケジュールが遅れたことに加えて、予算が限られていたため内装工事の大半を自分たちで行ったのだ。
「Creative Loungeの設計が固まったのが2014年6月半ばで、7月から施行を開始して8月の頭にできました。本当は4月の時点で作ることは決まっていたんですが、なかなか具体的なプランにならなかった」
だから「突貫工事でした(笑)」と田中さんは苦笑いする。
作業に携わったのは、田中さんを始めとする新規事業創造部のメンバーだけでなく、Creative Loungeのプランニングをサポートした社内のデザイナーに加えて、社内外の有志も多く係わっている。
ソニー社内には、ロボットや電子工作、ファブなどに興味を持つ社員が集まって作った有志によるサークルがあり、そうしたサークルのメンバーがボランティアとして協力したのだ。
「サークルの人達のメーリングリストやFacebookグループがあるので、そういうところでボランティア募集や、余っている機材募集をお願いした。モノづくりのサークルやArduino部、ロボット部とかあって、そういう活動をしている人は感度もボランティア精神もとても高いんです」
そして、そうした放課後活動をしている人たちが集まれば、きっと面白いことができるはずだから、皆が集まれるようなスペースを会社公認で作ろうというのが、Creative Loungeの発想の根本だ。
それを田中さんは「コンセプトは部室なんです」と打ち明ける。学生時代、田中さんはジャズのサークルに所属していた。そのサークルの部室での体験をイメージしているのだという。
「部室ではよく話したり、いろんな曲を練習したり、ジャム・セッションしたりしました。いろんな実験、例えばライブでは絶対にやらないような曲もたくさん演奏した。その中から、面白い人たちと繋がって新しいバンドもできた。それが原体験です」
「アイデアを実現するときも、ジャム・セッションのように馬が合う人たちが集まって、形にするのは大事だと思っています。今は、何を作ったら良いのか見えない時代だから、どんどん試しながら進めていかないといけない。それは、ジャズみたいな実験的で即興的な音楽と似ていると思います」
人も社会も変化し続けていく中で、もちろん企業も変化を迫られる。そうした企業の中で、田中さんのようなMakersが、大企業の中で変化を生みだそうとしているのは興味深い点だ。
「ソニーは、これまで培ってきたブランドだけでなく、物作りや技術など、良い資産がいっぱいある。それをもっと新しい時代に合わせて作り替えようという思いがある」
現在、Creative Loungeには、毎日のように他の企業からの見学やヒアリングが相次いでいるそうだ。その分野は、IT系から製造業、商社までいろんな分野に及ぶ。中には田中さんと同じように、企業内で改革に取り組んでいるものの、壁にぶつかっている人が少なくないという。そうした人たちと「情報やノウハウの交換もしている」のだという。
Makerムーブメントの根本にはハッカー精神があるといわれているが、ハックするという行為には、十分にポテンシャルを出し切れていないものを、工夫することで性能を最大に引き出すという面がある。こうした田中さんたちの活動は、会社のOSをバージョンアップするような行為であり、Maker流にいえば今あるハードウェアを「ハック」して持てる力を引き出すような行為だとも言える。もしかしたらSAP Creative Loungeは、ソニーにおける新規事業のアイデアだけでなく、「企業の中のMaker」という新しい動きのインキュベーションになるのかもしれない。
黒板の一部をアップ。現在はラウンジの作業に係わったメンバーがそれぞれの思いを書き残している
入口脇の案内版。今後、Facebookページを立ち上げて、Creative Loungeでの活動の様子を発信していく予定