本記事は、久保田晃弘さん(多摩美術大学情報デザイン学科 教授)に寄稿していただきました。
今回からこの「Make: Japan」のブログで連載を始めることになった。第二回の「Make: Tokyo Meeting」を多摩美の八王子キャンパスで開催したことなど、「Make:」とのつながりも、いつの間にか長く深いものとなった。COVID-19の状況が続く今、コンピュータを通じてオンラインでミーティングをしたり、さまざまな情報を共有したり、引用することがますます多くなった。しかしそういう状況だからこそ、話をしたり、送ったり、利用するものを「つくる」場はどこにあるのか、ということが気になってくる。
つくるということは、単に手を動かして、なにものかを目の前に現わすことだけではない。つくるためには、物質的な素材や身体的な技術とそれに適応、拡張する道具だけでなく、つくろうと思う動機も必要だし、つくることに対する思考も、他者の視点からの批評も、思慮分別や内省も必要だ。人々が密接に協働したり、多様な人たちが身体的に力を合わせたり、多くの人が一緒に体験することが困難な、今の時代の中で、そうしたものづくりの場と、それを支える文脈や環境は一体どこに行ってしまったのだろうか。
この連載のタイトルを「ものをつくらないものづくり」としたのは、これまでのさまざまなものづくり=Makeという活動の中に潜在し遍在していた、ものをつくることではない部分、いわばものをつくらない部分について、もういちどじっくり考えてみたかったからだ。そうすることで、今日のCOVID-19の状況の中で見え難くなったものづくりの場 —— 特に個人によるものづくりの場が今どこにあり、どのような意味を持ち得るのかを、もう一度探り直してみたいと思う。
多摩美術大学 八王子キャンパスで開催された「Make: Tokyo Meeting 02」(2008年11月8日)
第一回は、2013年に船田巧の訳、僕の監訳でオライリージャパンから出版した『Handmade Electronic Music ― 手作り電子回路から生まれる音と音楽』から取り上げることにする。原著の副題は「The Art of Hardware Hacking」、これは「ハードウェアハッキングの技芸」と訳せばいいだろうか。この連載で考えていきたい「手作り」や「ハッキング」といったテーマが、この本のタイトルに直接掲げられている。原著者のニコラス・コリンズは、1999年からシカゴ芸術大学で、ここにあるような手作りの電子音楽を教えている。2008年には、足立智美、水田拓郎らと企画した「STEIM in 東京」の一環で来日し、八王子の大学セミナーハウスで、この本の内容に沿ったハッキング・ワークショップも行ってくれた。
Handmade Electronic Music: The Art of Hardware Hacking, Third Edition
2020年6月29日、この本の改訂第三版が出版された。この版のために書かれた序文を、少し長くなるが紹介したい(この序文は、Kindle版のSampleからも読むことができる)。
この本の初版は2006年に出版され、3年後にはいくつかの新しい章と大規模なDVDが追加された。10年経った今、私はこの本の内容が老朽化していてオーバーホールが必要であること、また、この世界があまりにも精力的に拡がっていき、非常に多くのハックが自由に行われ(さらに自由なハックを生み出し)たことから、一人の人間ではまとめきれないほどのものになったことを、しぶしぶ受け入れた。そこで私は、それぞれが難解な領域の金庫破りのスキルを持つ、30人のハッカーとライターからなる精鋭チームを結成した。この新版は、次のような内容になっている。
・ペーパースピーカーやソフト回路からビデオハッキング、無線送信機まで、40以上のハードウェアプロジェクトが新たに加わった12の新たな章。
・組み込みコンピューティング、データハッキング、独自のプリント基板製作のチュートリアルなど、ハッキング技術をソフトウェアで拡張した4つの新たな章。
・(惜しむらくは)南極を除く、すべての大陸のDIYコミュニティの文化と歴史についての8つの新たな章。私は常に『ハンドメイド・エレクトロニック・ミュージック』を「影の文化読本(shadow cultural reader)」とすることを意図していたが、この第三版では、この影の半球を抜け出してハッキング・コミュニティや個々のアーティストに太陽の光を当てた。これは次の項目の重要な要素を形成している。
・ウェブサイト:www.HandmadeElectronicMusic.com. これは事実上、紙の本の姉妹版である。これまでの各版には、絶滅寸前のメディアが含まれていた:第一版はオーディオCD、第二版はDVD。無限の未来を約束するものではないが、このウェブサイトはアクセスしやすく、更新しやすいものになっている。以前の版に掲載されていたすべてのメディア(20のアーティストのオーディオトラック、87のアーティストの1分間のビデオ、13のビデオチュートリアル)に加えて、文化と歴史に関する新しい章が、ここに掲載されている。さらに、より多くのアーティストのドキュメント、いくつかの新しい技術的な章のデータファイル、そして新版のために英語に翻訳された、スペイン語と日本語のオリジナルテキストを含む、ボーナス資料を追加した。オーディオやビデオファイルは、はんだ付けをグローバルな芸術的視点で見ることができ、エッセイはそのグローバルな視点に社会的文脈を与え、データファイルはあなたのタイピングの手間を省いてくれる。このサイトをブックマークしなければ、大損をしてしまうだろう。そして、あなたの助けになるよう、本の中ではこのウェブサイトへのリンクが、よくできた小さなアイコンで示されている。
新たな序文はもう少し続くが、まずはこのあたりでいいだろう。ともあれ、まずはだまされたと思って、このサイトにアクセスして欲しい。ハッキングの方法から、実際の作品まで、さまざまな画像・映像資料がここにまとめられている。しかしさらに注目してもらいたいのが、「Culture & History」と題された章である。ここには先述の足立智美による「日本のハッキング・DIY音楽史」と題されたテキストの、オリジナル日本語版と、その英訳が掲載されている。
とりわけ、MAVOという日本のダダグループの高見沢路直(のちの漫画家、田河水泡=たかみずあわ→たがわすいほう)が1924年に制作した「サウンド・コンストラクター」から始まる「離れた(distant)」歴史観はユニークだ。ハッキングもDIYも、コンピュータや現代だけのものではない。1956年の「具体」における田中敦子の『電気服』や刀根康尚と小杉武久が参加していた1960年の「グループ・音楽」、ケージとチュードアのライブ・エレクトロニクスへの関心を開いた、草月アートセンターの専属技術者であった奥山重之助、僕も子どものころ愛読していた『四次元世界の謎』(大陸書房)という怪しげな本の著者でもある内田秀男、ナム・ジュン・パイクとロボットやビデオ・シンセサイザーを制作した阿部修也、さらに後期「具体」を代表するヨシダミノルの「シンセサイザージャケット」など、2020年7月25日にオンラインで開催された「DIY MUSIC on DESKTOP」へと繋がるDIY文化の、煌くような源流が取り上げられている。足立がいうように、日本の文化は決してガラパゴスのような閉鎖系ではなく、外部との交流によってその時々の時代精神を共有していた。
「ハンドメイド」というと、趣味の手作りのような、何やらほんわかしたものを想像しがちかもしれないが、DIYを突き詰めていくと、それはやがてラディカリズムに至る。ラディカルとは、根本的、徹底的という意味であり、ラディカリズムとは、今のやり方を根本から見直すための行動でもある。そのよく知られた代表例のひとつが、トーマス・トウェイツの『ゼロからトースターを作ってみた結果』(新潮文庫)であり、その結果出来上がったトースターは、惚れ惚れする程アヴァンギャルド(革新的)であり、自ずから既成の観念や形式とは異なるものになる。
しかし、この手作りのラディカリズムは、足立のテキストで挙げられたいくつかの事例や、トウェイツのトースターのように、ある一時の熱中によって、半ば奇跡的に現れたとしても、すぐに消え去ってしまうような儚いものである。アヴァンギャルドな手作りが、ラディカルであり続けるためには、決して職人にならず、熟練したり円熟しないことが必要だ。そのことを体現しているのが「ハッカー(熱中する人)」や「アマチュア(愛好する人)」といった、「プロフェッショナル(専門家)」になると失われてしまいがちなスピリットを持ち続けている人たちである。コリンズは、2004年のオンライン版から今なお、この5つの項目を、ハードウェア・ハッキングの目標として本の最初に掲げている。
1. To keep you alive.(安全第一)
2. To keep things simple.(簡単第一)
3. To keep things cheap.(安価第一)
4. To keep it stupid.(おバカ第一)
5. To forgive and forget.(寛容と忘却第一)
世阿弥の「初心忘れるべからず」とは、常に未熟さと向き合い、精進せよという教えである。精進する人は、決して円熟することはない。同時に、熱中し愛好し続けることが、精進するための原動力となる。どんなにスキルを積んだとしても、この「初心者」でありつづけることが大切だ。コリンズもこういっている。
「Ignorance is bliss, so enjoy it.(無知はこの上ない喜びだ、楽しもう)」
一人の人間がものごと学ぶ時間には、生物学的な制約がある。その有限な時間の中で、ある特定の領域の(年々増加し続ける)文献や動向をすべて理解し、その世界である種の権威になろうと思ったら、とるべき方策は対象とする領域を狭くしていくしかない。学問の蛸壷化が指摘されて久しいにもかかわらず、それが一向に解消されないのは、人間の知識や実践が、その総量として常に増加し続けているからだ。
そうした学問の宿命としての蛸壷化に陥らないためにはどうすればいいか。その一つの方策は「家」を持たないことだと思う。専門家、芸術家、建築家、音楽家、批評家……「家」のつく肩書きを自ら名乗る人は、それだけで専門の罠にはまっている。自分の立場を表明することは、思考や行動の枠組みを定めることである。学問とは「何を問わないか」を決めることで成立する。だから、常に初心者であり続けることで、分野の枠組みを越えようとするものは、学問の世界という家の中では、胡散臭いものとして排除され、初心を忘れたプロフェッショナルばかりが残っていく。COVID-19のステイホームの状況で、体は家の中に置いておかなければならないかもしれないが、概念や思考は、決して「家」の中に閉じこもってはいけない。
ハンドメイドの思想とDIYという制作様式の歴史は長く広い。コリンズの第三版序文は、この段落で締めくくられる。
学生からのプレッシャーに屈して、奇妙で時代錯誤的な怪奇趣味の授業を初めてから17年が経った。私はこの本が、驚くほど多様な人々に人気があることに気付いた。私はこの本を(他の人の手が、新たな成長のための養分を与えてくれることに期待しながら)時間をかけて自分の手で育てていくことに満足していたが、忍耐強い編集者や精力的な同僚たちは、新しい種でこの本をリフレッシュさせることを、ずっと勧めてきた。光栄なことであるが、私は自然と、師匠や同僚が惜しみなく提供してくれた知識を、他の人に伝えるためのハッキング交霊会の霊媒師のような気分になっていった。今回の第三版では、並外れた新寄稿者の方々にお世話になった。彼らは皆、私の呼びかけに答える以上のことをやってくれた。そのおかげで、この『ハンドメイド・エレクトロニック・ミュージック』は、私が自分でやるよりも、少なくとも30倍は面白いものになった。
「家」は「家」にならないように常にオープンにしておかなければならない。
(続く)