Other

2020.11.18

「Maker Faire Tokyo 2020」レポート #7 — いつだってものを作ってきたメイカーが語り合うパネルディスカッション「メイカーに生まれて」

Text by Junko Kuboki

Maker Faire Tokyo 2020のステージプログラムでは、10月3日・4日の両日ともに7本ずつのパネルディスカッションとプレゼンテーションが組まれた。初日の最初のステージは、「メイカーに生まれて」と題したパネルディスカッション(YouTube Liveでも配信)。

登壇者は、今江望さん(今江科学)、原田直樹さん(denha’s channel)、北村満さん(ヒゲキタ)。パンチカードやミュージックロールの穴開け機、水中ロボットやラジコン潜水艦、ジャイロカーといった面白メカを毎年出展している今江さん、みんなに大人気のマーブルマシンの原田さん、プラネタリウムと3D映像投影のヒゲキタさん。「あ、あの人!」と思い出す人も多いはず。この3人は常連出展者で、長年にわたってMaker Faire Tokyoの盛り上げに一役かっているメイカーなのである。

登壇者はほかに、こちらも長年参加者として、あるいはイベントを支えるアドバイザー役としてMaker Faireに関わり続けている久保田晃弘さん(多摩美術大学情報デザイン学科)、城一裕さん(九州大学大学院芸術工学研究院/山口情報芸術センター[YCAM])の2人(城さんは福岡からオンライン登壇)。

セッションの冒頭、司会役を務める久保田さんは「メイカーに生まれて」と題するセッションの趣旨を説明した。

「今年はCOVID-19の影響により、さまざまなイベントが中止になりました。こうしてMaker Faire Tokyo 2020が、参加者が制限されるなどの制約がありながらも開催されたことを、とてもうれしく思っています。この半年間は、オンラインの重要性を感じた期間でした。また、ものを作ること、あるいは手を動かすこと、体を使うことの重要さを改めて再認識した期間だったように思います。Maker Faireもいったん原点に還って、作る人のためのフェアの在り方や意義、これからの社会においてのMakeの意味を考えるよい機会なのかもしれません。今回、こうしてオンサイトでの開催ができたMaker Faire Tokyo 2020は、『作る』行為をもう一度、見直していくことになるでしょう。そこで今日は、メイカーの中のメイカーとも言える人たちに、『作るとはどういうことですか』と素朴に聞くことになりました。原点回帰のMaker Faire Tokyo 2020のキックオフにふさわしいセッションだと思います」

日本でのMaker Faireは、2007年にごく少数の「体験会」から始まり、2008年から「Make: Tokyo Meeting」として実施されるようになって以来、年ごとに規模を拡大してきた。「Maker Faire Tokyo」の名称が使われるようになったのは2012年、巨大イベント施設の東京ビッグサイトが会場となったのは2014年のことである。出展者数・来場者数ともに増加の一途でたくさんの参加者を受け入れてきたMaker Faire Tokyoが、規模縮小に転じるのは14年目の2020にしてはじめてのこと。これはもちろん新型コロナウィルス感染症の影響によるものだが、規模としては数年前のものになる。奇しくも「原点回帰」を考える機会としてふさわしくもあり、常連参加者にとってはどこか「懐かしさ」を感じさせるなごやかな雰囲気が漂う中、セッションは始まった。

いつだって自分が欲しいものを作ってきた

登壇者のほとんどが古参のメイカー、1960年代の生まれのセッション。語られる「ものづくり」談義は、年配者にとっては懐かしい話、若い人にとっては新鮮な話が次々と飛び出すことになった。最初の話題は、「自分とってのものづくりの原点」から。まずは今江科学の今江さんのお話しから。

今江「Maker Faireには、Make: Tokyo Meeting 01(2008年)から参加しています。私の場合は、イベントに合わせて何かを作るのではなくて、とにかく作りたいものを作っています。いつも、To Doリストは山のようにあるんです。その中から『今年のイベントに間に合うものはなんだろう』と考えて出展する感じですね」

「私の工作のおおもとは、子どものころにあります。延々とやっていて、やめた時期はありませんでした。それも、電子工作、粘土こね、プラモデルとその改造……ラジコンも車、ボート、飛行機と何でもやります。対象を絞れきれないまま、大人になりました(笑)。自分の欲しいものがなければ作る、とやってきています。今回の新型コロナウィルスの状況下でしばらく自宅勤務をしましたが、工作が進むかと思えばそうでもなかった。いつもは通勤で気分を切り替え、『さぁ、帰ったら工作だ』だったんですね。家で仕事をしていて17:30の定時を過ぎたから『さて、工作だ』となるかというと、そうでもなかった(笑)」

「工作のきっかけは、『子供の科学』『模型とラジオ』『無線と実験』といった工作雑誌でした。50代のおじさんが子どもだった頃には、そういう雑誌がたくさんあったんです。テレビでも『みんなの科学 たのしい実験室』というNHKの番組がありました(1963-1980年放送)。それは、電子工作から凧揚げ、写真の現像と何でもやっていていたんです。あれが私の原点です。テレビに1分間くらい回路図が映ることがあって、それを大慌てで描き写してました。そういう育ち方をするとこういう大人になるんですよ(笑)」


その昔、必死に回路を描き写したノートは大事に保管されてきた。持参した現物をめくりながら話す今江さん

denha’s channelの原田さんも、当然のことながら幼い頃からの筋金入り。

原田「私は、Make: Tokyo Meeting 03(2009年)から出展しています。音楽が好きで高校の頃からシンセサイザーを買い始め、エフェクターを買い、ミキサーを買いと、電子楽器に囲まれて暮らした時期もありました。MIDIが出始めにはMIDIのパッチ・ディレイを作ってみたり、カセットテープのパッチ・ディレイを作ってみたり。1回ずつ機器をつなぎ直さなくていいように、自分のための工作をやっていたんです」(原田さんは電子楽器愛好者に知られる伝説のウェブサイト「電子楽器博物館」の開設者で管理人でもある)

原田「工作のきっかけを思い出すと、私の場合は石けん箱ですね。ゴムタイヤやマブチモーターを付けて車を作っていました。おこづかいを奮発して模型屋でモーターを2つ買って付けたんだけど、減速を知らないから走らなかった。プラモデルのモーターをよく見たらギアが付いていて、『モーターを減速すると力が入るのか』と気づきました。機械の機構についてはそんな風に少しずつ理解していったように思います。小学生から中学生にかけては切り紙飛行機を作っていた時期もあります。飛行機に動力を付けたくて花火の火薬を付けて飛ばしたり、ロケット花火の軸に羽根を付けて飛ばしたり。フリスビーや巨大ブーメランを手作りしたり。危険な話や失敗談には事欠きませんが、まねをしてはいけません(笑)。絵を描くのも好きで、スター・ウォーズや007の映画を観たらメカを思い出してノートに描いていました。そのうちに2次元では飽き足らなくなって、スター・ウォーズの本の写真からディティールを読み取って、紙の立体ものを作っていました」

「Maker Faireで出展しているマーブルマシンは、NHKの番組『ピタゴラスイッチ』がきっかけです。最初は子どもと一緒にネットの動画で機構を見て、『今度はコレを作ってみよう』とやっていました。機構だけで終わらずに、ボールを循環させるようにしました。それがマーブルマシンです。YouTubeにのせた最初のものが2006年ですから、もう13年もやっているんですね。電子音楽も、並行して楽しんでいます。電子楽器につなぐエフェクターで『エコーマシン』というのがあり、その中では磁気テープが回っているのですが、その様子がすごく面白い。で、テープが回るだけのおもちゃを作ってみました。録音も再生もできない、見ているだけで楽しいおもちゃ、今年はそんなものも持ってきています」


磁気テープぐるぐるマシンを紹介する原田さん。胸には新作LEDバッジが2個ほどぴかぴか

ヒゲキタさんの思い出は、赤ちゃんヒゲキタとお母さんの写真から始まった。

ヒゲキタ「メイカーに生まれました(笑)。60年が経つと、こういうおっさんになります。小学校1年生のときの作文帳の表紙には『オバケのQ太郎』、裏表紙には『快獣ブースカ』を描いています。オタク第一世代なんです。『サンダーバード』でも、ものづくりするブレインズがいちばん好きでした。学校では楽器ができたり運動ができたりする子が人気ですけれど、私は何もできないな、と思ってました。だけど、私には模型雑誌がありましたから。『模型とラジオ』には、工作のネタが載っていました。私のところは田舎すぎて部品が調達できなかったから、紙工作をメインにやっていました」

「プラネタリウムの始まりは、大学の天文サークルで文化祭用に作ったことです。プラネタリウムに3Dをくわえて今に至ります。Maker Faireでも、Make: Tokyo Meeting 01から延々とプラネタリウムと3Dでやってきました。ところが今年は、コロナで仕事自体が全滅。ドームは三密の最たるものですから、学校行事などの仕事もすべてキャンセルになってしまい、アルバイト生活をしています。それで何かを作りたくなって、今年は恐竜で出展しています」

「10年に一度くらい、大きな恐竜を作りたくなるんです。30年前には、ペーパークラフトの本に載っていた型を5倍に拡大、段ボールで作りました。家から倉庫まで、当時の彼女の車で運びました。彼女はいまのカミさんです(笑)。子どもが産まれて小学生になった頃、同じようにペーパークラフトの本からゴジラを5倍に拡大、作りました。こういうデカい恐竜はいろいろありまして、そういうのを見ると『作りたいなぁ』と思うんです。また、エアドームだけでなくてハーフドームも作っています。一昨年にハーフドームを作ったとき、プラ段ボールは軽くて丈夫で安価だから、大きな着ぐるみの恐竜ができるのではないかと思っていました。それで突然、今年の5月に作りました。図面を描いて、試作を作って、それを5倍に拡大して。今ならペーパークラフト用の展開図ソフトもありますが、私はアナログです。作って、開いて、線を描いて拡大する。できたのが、今年出展している恐竜の『シロ』です。Twitterで紹介したらバズりました。TV番組でも紹介されました。小さいトコトコ、『おさんぽシロちゃん』も作って持ってきたので、あとで遊んでください」


ヒゲキタさんとお母さん

Maker Faireで「私の傑作」を見てください

福岡の城さんからの3人に向けての質問をきっかけに、ものづくりの回想は深まっていく。

城「お三方には幼い頃からものづくりをしてきた共通点があるようです。Make: Tokyo Meetingが始まったのは、十数年前なのですが、このイベントに出合ったときの印象をお聞かせください」

今江「最初のMake: Tokyo Meeting 01には、『工作のイベントがあるらしいぞ』くらいの話を聞いただけで参加しました。参加したら、非常に面白くて。先ほど紹介した『みんなの科学 たのしい実験室』には、月一くらいで『私の傑作』というコーナーがあったんですね。そのコーナーは視聴者の工作自慢で、こんなのができました、とやるんです。観ていた子どもの僕は、自分も大きくなったら工作をしてココに出たい、と思っていました。番組は終わってしまったけれど、Make: Tokyo Meetingに行ったら、リアルな『私の傑作』が何十も並んでいた! これだ!と思って、ずっと参加し続けている感じです」

原田「Make: Tokyo Meeting 03への参加は、前年にシンセサイザーを自作する人の「アナログシンセ・ビルダーズ・サミット(ASBS)」があって、そこで知り合った人に誘われたのがきっかけです。最初は個人でなく、団体で出展しました。私はマーブルマシンを1、2台。それにLEDのバッチを展示。LEDがぴかぴか光る、007の小道具のようなものは子どもの頃から作りたくて、それまで作りためたものを並べて展示していました」

ヒゲキタ「私のMake: Tokyo Meeting 01出展は、ニコニコ技術部のニコニコ動画『作ってみた』で知りました。掲示板の野尻抱介さんの話などから面白そう、と思っていたけれど、当日はプラネタリウムの仕事が入っていたから無理そうだったんです。ところがそのイベントが中止になり、じゃあ行こうと出ました。出たら、この『作ってみた』感がいいなと思えて、ずっと出続けています」

城「お話を聞いていると、作り続ける人のことを指して『メイカー』というのかなと思ったりします。久保田さんのブログ記事に、メイカーは山に登るのではなくてその山を歩き続ける人のこと、と書いてありました(https://makezine.jp/blog/2020/09/make_without_making_04.html)。みなさんは、メイカーと呼ばれることについてどう思われますか」

今江「ふつうに『メーカー』と言うと、会社になってしまいますよね。『メーカー』と『メイカー』との言葉の区別はしにくいですけれど、メイカーと呼ばれることに違和感などはないです」

原田「メイカーをやっていると、壊れたものを修繕させられる機会が多いですよ。つい先日も、奥さんに頼まれて扇風機の分解掃除をしました(笑)」

久保田「メイカーになるためにはモノを分解、壊すこともできなくてはなりませんから(笑)。昔は部品も大きかったし、壊して楽しいものもありましたよね」

原田「壊すことでどんな風に作られているかがわかるので、自分で作るときの参考になります。今は中を開けても、いじれる部分が少ないのは残念です」

久保田「使うことによって何かをエンパワーするけど、その代わりに中味は触っちゃダメというモノが増えています。ブログにも書きましたけれど、僕は、メーカーと対になる概念がユーザーだと思っています(https://makezine.jp/blog/2020/08/make_without_making_02.html)。メイカーと対になるのは、使って壊す人。『ディストラクター』と言うのかな、そういう人だという気がします」

ヒゲキタ「私は、技術的にはあまり高くないメイカーなんです。電子工作ができないし、誰にでもできるようなものを作っています。『こういうことは誰にでもできるんだ』と思って見てもらえると、ありがたいです。今回の恐竜みたいなものは、中高校生でも作れるんですよ。しかもあれ、材料費は1万円。学園祭などで作って恐竜同士で戦うとか、ぜひやってもらいたい。私は、技術力の低いところで作って見せながらやっていこうかな、と思っています」

久保田「ヒゲキタさんのプラネタリウムは3Dのものがポカリと浮いて、楽しいです。その楽しさが大事なんだというスピリットをすごく感じます。もうひとつ大事なのは、安いこと。安さも機能の1つですよ。高価なものはある意味、機能が低い(笑)。安ければ安いほどたくさん作れて試せるわけで、安価に作れるなら高性能であるとも言えます」
ヒゲキタ「昨日の準備のとき、@akira_youさんが100円ショップで売っている300円スピーカーをフレームにネジ留めしていました。ふつうスピーカーはネジ留めしないけど、安いスピーカーだからできる。『安いだけで100均のものを買っているんじゃなくて、自由を買っているんだよ』と言っていました」

久保田「その通りですよね。コンピューターもたいがいが高価で大事に使うわけだけど、Raspberry Piなどはいい意味で粗末に扱えるコンピューターです。そういうコンピューターには別の楽しさがあること、いつも感じでいます」

城「『自由を買う』という考え方、面白いですね」

時間をかけて作り続けること、作り継ぐことの重要性

城「メイカーはメーカーと違って、利益を追求するためならこんなことまではやらないという人ばかりが集まっていると思います。みなさん、多くの人に見てもらう、うれしさがもちろんあると思いますが、そのモチベーションになるポイントはどこにありますか?」

今江「私は、何といってもみなさんの反応がうれしいですね。私が『振動するオブジェ』を作って、Maker Faire Tokyoで展示したことがあります。オブジェは佐藤慶次郎さんの作品で、私のはそのレプリカ。作者はすでに故人なんですが、奥様が見に来てくださいました。奥様に『引き継いでくれている人がいる』と喜んでもらえたのが、とてもうれしかったです」

久保田「ああした作品は、作っていかないと続かないです。展示しているだけでは劣化してしまうし、神社の遷宮のように常に新しいものを作っていくことをしないといけないんです。たまたま大学に佐藤慶次郎さんの作品が寄贈されたのですが、実は大学でも誰が修理していくかという話になってしまうんですよ。作り継ぐことは今後の課題となっていくでしょう」

原田「私の場合は、特にマーブルマシンの展示で『あっ』と驚いている顔ですね。『驚かしてやったぞ』という気持ちになります。またうれしいのは、LEDバッジを製作するとき。これは高校生から手がけているので、もう37、8年になります。何十年のうちに自分で基板を設計することも覚えました。その基板ができあがって宅配されてきたとき、袋を破って基板を取り出したときが、うれしいですね。それが100点満点を取れているかどうかは部品を載せて動かすまではわからないけれど、手元に到着した瞬間がいちばんわくわくします」

城「そのお話はめちゃよくわかる(笑)。僕も初めて基板を作ったとき、すごく感動しました」

久保田「コアですね。基板が来ると燃えるとは」

ヒゲキタ「プラネタリウムも3Dも恐竜も、そのときに作りたくて作ったものです。私は、それらがウケて盛り上がってもらえるときがいちばんですかね。恐竜も作りたくて作って投稿してみたら、みんながカワイイ、すごいと言ってくれた。『いいね!』してもらえるとうれしいです」

今江「ヒゲキタさんの作品はそれぞれに元ネタがありますよね。ずっと昔にオリジナルはあったかもしれないけれど、長らく忘れ去られていたような、あまり誰も見ていなかったものに注目するというのがヒゲキタさんの作風かと思います。それがあるから、作品を見たときに『こんなものがあるんだ』とびっくりするような感じがあるんだと思います。これは技術の分野でもあると思うので、私は発掘していきたいと思っています。ヒゲキタさんは、そのあたりで今、どんなことを考えていますか?」

ヒゲキタ「完全なオリジナルは作品づくりではなかなか難しいですけれど、私は昔のものに新しい要素を加えていくという発想なので、元のネタを活かして作っているところがあります。3Dも100年以上前にダンサーの影絵を立体で見ていたとか、そういう古い歴史がありますよね。今回の恐竜も、恐竜もののパクリと言われればそうなんですけれど、それもいいかな、と思っています(笑)」

原田「今江さんは、今度は何をやるか、決まっていますか?」

今江「いつものようにいろいろ平行してなのですが、最近、中国製のLiDARが6ドルで買えたので何かやりたいと思っています。ラジコンに載せてそのあたりをマッピングしていくようなマシン、作りたいですね。でも、それを来年出展するかというとそうではなくて、別なものを作りはじめて出展は別のものになるかもしれないです」

ヒゲキタ「今江さんの作品、ぜひ見てみたいです。あと、原田さんのラーメンタイマーバッジ、実は私のアイデアも入っているんですよね」

原田「そうなんです。あのバッジのタイムアップ後のアニメーションを湯気にしたらどうだと、ヒゲキタさんにアイデアをいただきました。その節はありがとうございました(笑)」

メイカーたちのつながりと水平思考

最後に、それぞれの「この一品」が紹介された。

今江「私は、『たのしい実験室』で放映された回路をメモしたノートです。最初はトランジスタラジオの一石から始まって、先に進むとS/Nのロジックがあったり、8セグのLEDが出てきたりと、この番組と同時に私はエレクトロニクスの進歩を体験していたようです。だから、テレビでなくてもいいんです。定期的に『こういう工作があるんだよ』と、電子工作もあり紙工作もありで楽しませてくれるものがあるといい。今だと雑誌も少ないですよね。そのあたり、オライリーさんに期待したいです」

原田「私は、このLEDバッジです。これが欲しくなったのは、80年代のアイドルの榊原郁恵さんが『ROBOT』という歌の衣装で光るバッジを4つ付けていたから。ちょうど雑誌の『初歩のラジオ』にバッジを作る記事があって。そこからずっと自分の欲しいものを作り続けています。今の子どもたちにも、自分でどんどん、新しいもの、自分だけのものを作っていって欲しいと思います」

ヒゲキタ「作文帳を持ってこようとしたのですが、見つからなかったので、オライリーさんから出版された『物を作って生きるには』という本を持ってきました。これは翻訳本なのですが日本の6人のメイカー話も載っていて、私の話も載っています。私は石川県の能登の出身なのですが、ラピロの石渡昌太さんは石川県の高専出身、テクノ手芸部のかすやきょうこさんは金沢の美術大学の出身となぜか石川県にゆかりのある人が多いです(笑)。今日も出展しているカサネタリウムさんは、小学生のときにヒゲキタのプラネタリウムを見たそうですよ」

城「ローカルなメイカーつながりも興味深いですね。このところの日本のMaker Faireは、仙台などの地方で、今年の京都ではオンラインでと、形態を変えた広がりを見せています。僕も『この一品』として本を持ってきました。『横井軍平ゲーム館』(フィルムアート社)は、任天堂の伝説の開発者の本で、97年に初版が出ています。この中に『枯れた技術の水平思考』という言葉があるんです。例えばある技術は、車では使い古されているけれどおもちゃではそうではないことがある。使い古された技術を少しずらして使うことによってまったく違う未来が見えてくる、とそういうことが書かれています。この水平思考はMaker Faireに通じるところがあると思うし、今日お話をうかがったお三方は生きざまで体現しているところがあるように思います。これからのMaker Faireも、『水平思考』で広がっていくといいなと思います」

パネルディスカッション終了後、今江さん、原田さん、ヒゲキタさんの姿は、それぞれの出展ブースにあった。今江さんは、今年出展の「地面効果翼機」をはさんで、来場者の1人と話し込んでいる。「地面効果」について教えてもらおうと待っていたら、ふと来場者の方がくるりとこちらを振り向き、今江さんに代わって説明をしてくれた(航空関係の仕事をしていた方だそう)。こんな初対面での即席コミュニケーションは、Maker Faireならよくある!


「今江科学」ブースの地面効果翼機。これは、地表からわずかに浮かんで飛行するラジコン飛行機。奥のPCで飛行のビデオを見せてくれる

原田さんのブースでは、例年通りに子どもたちがテーブル周りにかじりつき。マーブルマシンに心奪われた息子さんにお母さんが困り果てている。原田さんは慣れた様子で、「ずっとここでやっているよ。ぐるっと回ってまたおいで」と声をかけていた。これも、毎回のMaker Faireでよく見る光景!


「denha’s channel(でんはちゃんねる)」ブースにはマーブルマシンがたくさん。1個ずつの動きをじっと観察しているとどんどん時間が経ってしまう

ヒゲキタさんのブースに行くと、ヒゲキタさん本人はいない。恐竜「シロ」が動き出した。ヒゲキタさんは、シロの中! ドームの中でないのはいつものヒゲキタさんではないけれど、会場内をノシノシと歩き回って大勢を楽しませてくれるのは、いつものヒゲキタさん。


「ヒゲキタ」の外骨格恐竜 Exoskleleton Rex。巨大な「シロ」は間近で見ると迫力がある。なのに、なぜかカワイイ。中の人はヒゲキタさんです

変わらざるを得ないところと、変わらなくてもいいところ。そこを「メイカー中のメイカー」の人たちとともに実感することになったMaker Faire Tokyo 2020。Maker Faireが「メイカーの祭典」であることは、これまでもこれからも変わらない。来年のMaker Faire Tokyo 2021も、どうぞお楽しみに!