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2021.08.16

ものをつくらないものづくり #11 — スペキュラティヴ・デザイン(を超えるため)の原則

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本記事は、久保田晃弘さん(多摩美術大学情報デザイン学科 教授)に寄稿していただきました。

『Beyond Speculative Design: Past – Present – Future』に用いられている「Fazan Copy Medium」フォント。アンソニー・ダンとフィオーナ・レイビーの『Speculative Everything』のために、Kellenberger–White(ロンドンをベースとするグラフィック・デザイン・スタジオ) がデザインしたChlotz(クロッツ)フォント (0と1の2つの数字を再構成してつくられた—例えば「S」の文字を参照のこと—ユニークなフォント)にインスパイアされた。


Beyond Speculative Design: Past – Present – Future(スペキュラティヴデザインを超えて:過去—現在—未来』という本が、2021年3月15日に出版された(フリーのオンライン(PDF)版もある)。出版したのは、SpeculativeEduという、スペキュラティヴ・デザインの知識や経験を収集・共有・交換し、その新しい手法を開発し、スペキュラティヴ・デザインのみならず、21世紀の新しい教育スキルと実践、特に技術と人間や社会との間の批判的な関係に焦点を当てた教育を推進していくプロジェクトである。資金を援助したのは、Erasmus+(エラスムス・プラス)という、EUの教育、研修、青年活動、スポーツ支援のプログラムで、留学および奨学金のサポートなども行っている。この研究教育プロジェクトが実施されたのは、2018年10月1日~2020年9月30日の2年間。クロアチアのスプリット大学を中心に、エジンバラ・ネピア大学(英国)、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ(英国)、マデイラ大学のインタラクティヴ・テクノロジ・インスティテュート(ポルトガル)、ヒューマンエコシステム・レラツィオーニ(イタリア)、トランスメディアデザイン研究所(スロベニア)からなる学際的で多様なネットワークが、ワークショップ、カンファレンス、シンポジウム、展覧会などを行った。その成果は、ウェブやオンラインリポジトリ(GitHub)でも公開されていて、そこにはインタビュー論説関連資料事例研究や関連する教育機関の(ヨーロッパを中心とした)マップなど、豊富なリソースがアーカイヴされている。

そうしたSpeculativeEduの多様な活動の中でも、学生や実務者向けのテキストブックとして編さんされた、この『Beyond Speculative Design: Past – Present – Future』は、まさにそのタイトル通り、アンソニー・ダンとフィオーナ・レイビーがRCAで始めたスペキュラティヴ・デザイン教育を核とする、過去20年間の実践に対する批判的な見解をまとめ、その現状とこれからの道筋とガイドラインを提示する、非常に貴重かつ重要な書籍となっている。著者は、SpeculativeEduプロジェクトのコーディネーターであり、スプリット大学芸術アカデミーでインタラクション・デザインを教えるIvica Mitrović(イビカ・ミロトヴィッチ)をはじめとする、ヨーロッパ各地からの9名のプロジェクトメンバーである。


この本は、アーシュラ・K・ル=グウィン

“Imaginative fiction trains people to be aware that there are other ways to do things and other ways to be. That there is not just one civilisation and it is good and it is the way we have to be.”
(想像力豊かなフィクションは、他のやり方やあり方を意識するように人々を訓練します。ただ1つの文明だけがあるわけではありません。それは望ましいものであり、私たちのあるべき姿なのです。)

という、アルウェン・カレーのドキュメンタリー『Worlds of Ursula K. Le Guin(アーシュラ・K・ル=グウィンの世界)』冒頭からの引用から始まる。近年、プロトタイピングの手法としても着目されているSF(サイエンス・フィクション)であるが、ル=グウィンはSFを、あるひとつの文学ジャンルから、異なる世界、人生、存在のあり方のための思考実験と可能性のための、比類ないカテゴリーへと方向転換させた。さらに小説のみならず、日々の生活や思索に関する優れたエッセイの数々を生み出したル=グウィンは、この本の出発点、そして結論を象徴するのにふさわしい。

このプロジェクトに通底しているのは、近年興味と関心が高まっているスペキュラティヴ・デザインには、(ル=グウィンがSFに対して行ったような)方向転換が必要である、という批判的分析である。バイオテクノロジーや機械学習のようなテクノロジーの進展によって、今日のスペキュラティヴ・デザインは、衝撃や刺激を与えるだけの安易なディストピア・スペクタクルや、テクノロジーによってその可能性が支配される未来への執着へと、画一化、均質化しつつある。そうした状況に対して「スペキュラティヴ・デザインは終わった」と扇情的に語り、批判ごと消費してしまうのは簡単だ。しかし(だからこそ)、このプロジェクトは逆に、スペキュラティヴ・デザインに関連するヨーロッパの教育機関の教育者と実践者のグループに対して、50回以上の膨大なインタビューを行い、ワークショップを開催し、ケーススタディを集め、カンファレンスやディスカッションを行い、印象や感情ではなく、データを集め、そのツールやアプローチを磨くことで、スペキュラティヴ・デザインはこれから「どこへ向かうのか」を思索し、「それが何であるのか」を明確にしようとした。

スペキュラティヴ・デザインと同様に、このプロジェクトの出発点も、僕がこの連載で何度か取り上げてきた、20世紀の伝統的デザインに対する批判理論である。芸術作品として神聖化されたデザイン製品とそれを生み出すヒーローとしてのデザイナーが、技術に対する肯定主義によって、モダニズムの進歩神話を強化する役割を果たしたことで、デザインは善の力としての政治的地位を確立した。こうしたデザインに対する幻想に対して、インクルージョン、社会正義、持続可能性を訴えたヴィクター・パパネックを始め、過去1世紀の間にさまざまな批判や反論が起こった。それにもかかわらず、この肯定的、伝統的なデザインは、文化的に安定したものとなり、今なおデザインやものづくりの主流の考え方であることに変わりはない。

しかしながら、2020年以来のCOVID-19のパンデミックのみならず、加速する環境破壊や経済格差の拡大など、旧来のシステムの根本的な欠陥が明らかになった今、本の冒頭に引用されたル=グインが「代替案を考えなければ、ハイテク産業の成長資本主義が徹底的に追求されて、鉱物資源、植物資源、動物資源を無秩序に搾取し、使い果たす結末から抜け出せなくなる」とハンフォードや福島を引き合いに出して語ったように、あるいはダナ・ハラウェイも引用したジェイソン・ムーアの「安価な自然は終焉を迎えている」状況の中で、デザインが「テクノ・ヒーローの不幸な神話に深く関わってきたことを反省しなければならない」と(未だ数は少ないものの)人々は考え始めた。スペキュラティヴ・デザインに連なるクリティカル・デザインの系譜は、21世紀になっても根深く残っている、伝統的なデザインの3つの神話:

1. デザインは良いものである。
2. デザインは人々の生活を豊かにする。
3. デザインは問題を解決する。

をまず疑う。そしてこの肯定的なドグマからの「方向転換」を促し、産業革命以来の資本主義の制約や、近代的な機能主義から切り離されたタイプのデザインやものづくりを思索し実践することで、テクノロジーと社会についての新鮮な議論と新しい視点を生み出すことに挑戦する。それは消費や感情のためのデザインではなく、分析、予測、考察、さまざまな可能性の検討といった、デザインの基盤としてのディスカーシヴ(推論)性を回復し、そこから生まれる行動を誘発しようとするパフォーマティヴなものであった。

しかしこの本は、「今日のスペキュラティヴ・デザインは、こうした批判的な起源から切り離されている」ように見えると、はじめに主張する。特に問題にしているのは、スペキュラティヴ・デザインが、企業の戦略やマーケティングに入り込んだときである。イーロン・マスクが構想するBMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)「ニューラリンク」のような、テクノ・ヒーローのニュースは、今や娯楽として日常の中に溢れている。ディストピア的で荒涼とした未来を描く、エッジの効いた表現も、もはや驚くべきものではなく、むしろ陳腐なものとなった。肯定的デザインが根ざしていた、産業やイノベーションの幻想、大量生産や環境破壊の進行を問題にするためのスペキュラティヴ・デザインが、イノベーションの道具になるのは、大いなる皮肉である。それが批判対象としてきた、現在の大きな枠組みに取り込まれても、そのままの役割であり得るのか?それでもなお、クリティカル・デザインと呼ぶことができるのか? サブカルチャーやカウンターカルチャーが主流への反発として登場し、一時的には隆盛を極めるものの、その後は徐々に、そして必然的に、挑戦しようとしていたアプローチそのものに流用され、吸収されてしまうという、おなじみのパターンの繰り返しに過ぎないのか?


そうした傾向に加えて、2020年から始まり、今なお続く世界的なパンデミックは、私たちの集団的な「未来のイメージ」を、ある種のトラウマや喪失感と共に、大きく変えてしまった。実際、SNSやウェブを通じて流通し、拡散しているパンデミックの集合的な経験は、人々が未来に求めるものを曖昧にし、同時にもうこれまでのような生活には戻れないことを、多くの人に予感させている。現在も未来も、それを変えようとする以前に、すでに変化してしまった。これまでの生活とは「別の」ものになってしまった「ニューノーマル」ならぬ「ノーノーマル」の社会の中で、「別の」現在や未来を考えることに、一体どういう意味があるのか?

未来を予測するよりも、現在を再考する手助けのために生まれたスペキュラティヴ・デザイン(や他の批判的な思考や実践)は、こうした「ノーノーマル」の状況の中で、大きな岐路に立たされている。新自由主義的な自己責任ある個人に向けられていたそのメッセージを、今日の「人々に」向けることは可能なのか? その実践を「人々とともに」行うことができるのか? それ以前に、「人々」について考えることが、一体何を意味しているのか?

こうした問いに対して、しかもデザインの範囲をはるかに超えた経済的、政治的な問いに対して、今すぐ、何か明確な答えが得られるはずはない。しかし、スペキュラティヴ・デザインの目的は、答えが得られそうな問いだけに取り組み、問題を魔法のように解決することではない。見せかけのワークショップや、予定調和のディスカッションによって、偽りの達成感に浸ることでもない。それは、問題が明らかになったにもかかわらず、答えがすぐには見つからない問いに対して、希望的観測や安易な対処療法を一旦拒否し、科学や人文学がたとえ暫定的であったとしても、現実や人間について教えてくれることに耳を傾けながら、さまざまな観点から、さまざまな思索をし続け、問い(自体を問い)続け、議論し続けるためのものではなかったか?生産=消費というラインから脱却することと同様に、デザインを問題発見=問題解決、という(生産=消費と同じ構造を持った)偽りの有用性から解放することではなかったか?デザイナー自らが、自らの限界を認識し、そこと向き合っていこうとすることではなかったか?


少なくともヨーロッパでは、過去20年間、スペキュラティヴ・デザインやクリティカル・デザインのアプローチは、デザインの実践や教育の現状に挑戦するための、主導的な役割を果たしてきた(逆にそのことが「特権的でヨーロッパ中心」という批判を生んだ)。この『Beyond Speculative Design』には、そうしたスペキュラティヴ・デザインの実践や教育、それぞれのアプローチや手法(というよりもむしろ態度)、プロップやツールに関するケース・スタディが、数多く掲載されている(量的には本の約半分を占めている)。それぞれの事例は、以下のようにそのプロジェクトが有している緊張関係(テンション)の種類とそのスコープによって、分類された(それぞれの項目ごとに3つの事例が紹介されている)。なぜなら、こうした「緊張関係」に焦点を当てることで、デザインは「伝統的な」デザインプロセスと結果から脱却することができるからである。そしてこれらはそのまま、今日の答えのない問いのリスト(の一例)にもなっている。

● EXCLUSION(排除):HUMAN—KIND(人間—種類)
● ENGAGEMENT(関与):PARTICIPANT—WITNESS(参加者—目撃者)
● USE(使用):PROP—PRODUCT(小道具—製品)
● COMPLETION(完成):PROCESS—OUTCOME(過程—成果)
● GAIN(利益):LEARN—EARN(学習—収入)
● PERSPECTIVE(視点):LOCAL—GLOBAL(地域—世界)
● TIME(時間):PAST—FUTURE(過去—未来)
● INCLUSION(包含):NON—HUMAN(非—人間)

注:最初のEXCLUSIONと最後のINCLUSION、HUMAN—KINDとNON—HUMANが対になっている。

各項目ごとに3つづつ取り上げられている事例を列挙していくときりがないが、例えば、マクルーハンプログラムのディレクターを務めていたデリック・ドゥ・ケルコフらによる、オンライン上で共同教育される(つまりそれ自体が現実の投影である)子供のAI「ANGEL_F」(ENGAGEMENT)、トーマス・トウェイツの「ゼロからトースターを作ってみた結果」(USE)、惑星規模の計算レイヤーである「The Stack」を提唱するベンジャミン・ブラットンらが、ポストパンデミックのバイオテクノロジーと政治(生政治)を考える「The Revenge of the Real(現実の復讐)」、スペキュラティヴ・デザインの初期の事例としても有名な、人工歯(インプラント)にオーディオデバイスを埋め込む「Audio Tooth Implant」(TIME)、そして毎年600億羽殺されるニワトリを用いて、人新世の地質学的痕跡をピンク色にすることを提案する、現在進行中の「Pink Chicken Project」(INCLUSION)など、多様な手法/ツール/アプローチが幅広く、網羅的に集められている。


Pink Chicken Projectの紹介映像

こうした多くの事例からわかるのは、スペキュラティヴ・デザインとそれに関連する実践が、過去20年の間にアカデミックでラディカル/アバンギャルドな文化的活動から、デザイン実践の主流へと徐々に移行してきたことである。西洋世界の先進国の中産階級から生まれたスペキュラティヴ・デザインではあるが、それを誰もがアクセスできるオープンなツールキットとし、さまざまな状況や文脈に使用してみれば、その有効性や限界も、さらに明確になってくるだろう。そこで必要になるのは、さまざまな緊張関係から生まれる、提案された虚構と、私たちがよく知っている(と思い込んでいる)現実との対話であり、市場からの一方向的なプレッシャーではなく、この緊張関係の中の対話(相互作用)にこそ可能性がある。アンソニー・ダンとフィオナ・レイビーのA(肯定的)/B(批判的)デザインの対比も、AではなくBを行おう、という提案というよりもむしろ、Bを提示することによって、AとBとの間に緊張関係を作り出し、その中で対話し、議論し、提案しよう、というものだといえる。


伝統的デザインのダブル・ダイヤモンド(発見→定義→開発→提供の4つのフェーズからなる発散=収束)モデル(点線)が、緊張関係の中で変形、逸脱していき(実線)、既存のプロセスや結果から脱却する。


この本が最後に指摘しているように、クリティカル・デザインの決して短くはない歴史を顧みれば、それが「世界、文化、歴史、政治的状況」に関するリサーチと、既存の社会的・経済的構造を不変の現実として受け入れないという批判精神を持ちながらも、その一方で、主流の伝統的/肯定的デザインに、長期的で深い影響を与えられなかったことを理解しなければならない。しかしパパネックが『生きのびるためのデザイン』(の第2版序文)で述べたように「もしかしたら、私たちは災害から最もよく学ぶことができるのかもしれない(Maybe we learn best from disasters.)」とすれば、今日のパンデミック(公衆衛生)、気候変動、貧困と不平等、憎悪と偏見といった状況は、それを超えていくためのチャンスにもなり得る。おそらく、スペキュラティヴ・デザインが思索しなければならないのは、未来でも、現実でもなく、まずはデザインそれ自身なのだろう。この連載でも紹介してきた、アルトゥロ・エスコバルトニー・フライは、まさにそのこと(デザイン自体の変革)を主張してきたし、それ抜きにクリティカルな思索の意義はない。

だからこそ、このSpeculativeEduというプロジェクト自体がそうであるように、改めて「教育」が重要になる。多くの事例からもわかるように、スペキュラティヴ・デザインがもっともうまく働くのは、それが教育の場に持ち込まれた時である。伝統的な手習いのカリキュラムによって、伝統的な方法が身についた肯定的デザイナーから、伝統を引き剥がそうとするよりも、むしろまだ多くの経験や独自の型を有していない学生たち自らが、批判的かつ創造的な介入、侵犯と変化のためのプロジェクトを立ち上げ、独自のツールや言語を制作していく。こうした教育プロジェクトは、世界を今すぐ大きく変えることはできないし、支配的な社会・経済モデルを一晩で根絶することもできないが、これからの社会をつくりあげていく学生との協働を通じて、ボトムアップで一連の変化を起こし、未来や新しい地平線を想像することへの信頼を取り戻すことができる。その信頼を通して、スペキュラティヴな思考や実践が、少しずつ、さまざまな場所に浸透していくだろう。


『Beyond Speculative Design』ワークショップの様子

この本は、スペキュラティヴ・デザインの将来に向けたガイドラインで締め括られている。近代デザインのガイドラインとして有名なのが、1976年に発表されたディーター・ラムスの「良いデザインのための10原則(Ten principles for good design)」である。

1. Good design is innovative(良いデザインは革新的である)
2. Good design makes a product useful(良いデザインは製品を使いやすくする)
3. Good design is aesthetic(良いデザインは美的である)
4. Good design makes a product understandable(良いデザインは製品をわかやすくする)
5. Good design is unobtrusive(良いデザインは目立たない)
6. Good design is honest(良いデザインは正直である)
7. Good design is long-lasting(良いデザインは長持ちする)
8. Good design is thorough down to the last detail(良いデザインは細部まで徹底している)
9. Good design is environmentally-friendly(良いデザインは環境に優しい)
10. Good design is as little design as possible(良いデザインはできる限りデザインをしない)

この規範的原則を見ると、そこには「イノベーション」や「美的」、「使いやすさ」や「わかりやすさ」といったクリシェの方が前面に出ていたり、デザインの過程(プロセス)よりも、対象(オブジェクト)に注目し過ぎているといった、(現在から見れば)いくつかの疑問点があるものの、今日の商業的デザインの多くが、この原則(の後半)と反対のことを行っていることにも気づく。だからこそ、これからのデザイン原則も、逆にもう一度このラムスの原則を再考し、それを踏まえて新たなガイドラインを思索する必要がある。最終的に、この本の最後に示されたのが、以下の12の原則である。

1. Reclaim the future. Or speculate on a plurality of futures beyond the simply techno-heroic.(未来を取り戻す。すなわち、単なるテクノ・ヒーロー的なものを超えた、複数の未来を推測する。)
2. More importantly, reclaim the present – speculate on different versions of today.(さらに重要なことは、現在を取り戻すこと、つまり今日のさまざまなバージョンを推測することである。)
3. Avoid one-liners or overt provocations – these lead to easy dissemination and the illusion of success but ultimately achieve little.(一発芸やあからさまな挑発を避ける。これらは簡単に広まり、成功したかのような錯覚に陥るが、結局はあまり効果がない。)
4. Identify a clear purpose for the project – and then aim to create action in the real world.(プロジェクトの目的を明確にし、現実の世界でアクションを起こすことを目指す。)
5. Good design should be seen as a combination of means and ends. Speculate on alternative or new means (of production, resources, infrastructures …) and the ends they produce.(良いデザインとは、手段と目的の組み合わせである。代替手段や新しい手段(生産、資源、インフラ…)と、それらが生み出す目的を思索する。)
6. Keep in mind that all designed things have consequences, both known and unknown. Design is never apolitical. Use speculation to explore implications as well as applications.(デザインされたものには、既知のものも未知のものにも、すべて結果が伴う。デザインは決して非政治的なものではない。思索によって、応用だけでなく含意を探る。)
7. These implications impact not only humans, but also nonhumans. Embrace the (systemic) complexity of the design problem.(これらの意味合いは、人間だけでなく非人間にも影響を与える。デザイン問題の(システム的な)複雑さを受け入れる。)
8. Act now (with small actions / movements) rather than waiting for disaster. Think about futures that will flourish from these small actions.(災害を待つのではなく、今すぐ(小さな活動や運動で)行動する。その小さな行動から広がる未来を考える。)
9. Learn from design at the margins / periphery (geographic, economic, political or disciplinary). By necessity it is more agile, adaptive, frugal.((地理的、経済的、政治的、学問的に)周縁のデザインから学ぶ。必然的に、それはより機敏で、適応性があり、質素なものとなる。)
10. Acknowledge your epistemic boundaries. Speculative design is thematically promiscuous and demands interaction / dialogue / collaboration with diverse “others”.(自分の認識の限界を認めること。スペキュラティヴ・デザインはテーマが多岐にわたり、多様な「他者」との相互作用や対話、コラボレーションが必要である。)
11. Rather than designing objects to be replicated everywhere, design things with local resources, materials, knowledge, communities and making. This, by necessity, involves dialogue with locals.(どこにでも複製できるようなモノをデザインするのではなく、その土地の資源、素材、知識、コミュニティ、ものづくりを活かしたモノをデザインする。そのためには、必然的に地元の人々との対話が必要になる。)
12. Speculative design is about learning to question, examine and critique – and this is a duty, not a privilege.(スペキュラティヴ・デザインとは、疑問を持ち、検証し、批評することを学ぶことであり、これは特権ではなく義務である。)

(続く)